古清水の暦ぐらし

葛野鹿乃子

玫瑰  四月は家族で春を味わう

 古清水こしみずの暦は、太陽の運行を基準に二十四に分けられている。

 二十四節気にじゅうよんせっきである。

 最も日が長くなる夏至、最も日が短くなる冬至、昼夜の長さがほぼ同じになる春分と秋分を軸にして、立春、立夏、立秋、立冬が置かれ、それが細分化されて二十四節気になったという。

 元々は農耕の目安として作られたものだが、季節を知り感じるものとして、都の人々の生活に根差していた。



 季節は春分。

 都で多いものを三つ挙げるなら、雨と水路、最後に桜の木だ。

 民衆にそう言われるほど、桜の木は街中に多い。

 桜の木が一斉に花開き、都中に花吹雪を舞い上げるさまは、さながら淡い色の霞が棚引いているようである。水路に落ちた花びらが花筏はないかだを作り、水路も空も道も、都全体が薄紅色に染まるのだ。


 春の光の中で桜の花びらが零れてくる。

 白桜しろざくらの丘の一帯が花霞に覆われていた。

 水央みおは竹籠を小脇に抱え、濃い桃色の八重桜を摘み取っては籠に放り込んでいく。


 水央は白桜を守る武家だ。

 白い花は古くから土地一帯を豊かに保つ土地神として信仰を集めており、齢千年を数える白桜は都全体の鎮守なのだ。

 古清水の人々はこの白桜の大木に手を合わせて生きてきた。水央たちの一族郎党は、代々この白桜を守ってきた武家だった。


 歩きながら白桜を見上げた。

 丘の中央の白桜はその辺の樹木とは圧倒的に大きさが違っている。空を覆うような枝垂れた枝を広げて、真っ白な桜の花を咲かせている。

 丘の周囲はみんな普通の桜の木で、白桜を中心に薄紅色の木々が立つ光景は夢のように美しい。青い春空を背に舞い上がる桜吹雪と満開の白桜は、白桜の武家だけが特等席で見られる絶景なのだ。

 水央は視線を戻して別の八重桜の下へ向かう。満開ではなく、七分咲きくらいの花を少し摘んで籠に入れていった。

「……こんなものかな」

 採取した桜の花を見下ろし、水央はひとり頷いた。


 桜が咲けば、古清水ではどの家庭でも桜を採る。

 桜の塩漬けを作るためだ。

 作り方は簡単。採取した八重桜をやさしく水で洗い、手拭いなどで水気を切る。

 塩をまぶしてから上に重石を乗せて一晩置く。その後は梅酢を加えて更に三日から七日ほど重石を乗せて漬け、今度は乾燥するまで陰干しを行う。あとは保存用の瓶に陰干しした桜と塩を入れれば、桜の塩漬けの出来上がりだ。


 使うときは水に漬けて塩抜きをすればいい。

 米に混ぜたり、桜湯にして飲んだり、風呂に浮かべたり、用途は色々だ。

 長芋や蕪、大根などに和えて食べたりもする。作った塩漬けは一年ほど保つから、多めに作っておけば花の少ない季節でも桜の花を楽しむことができる。桜餅に使ったり染め物に使ったりもするので、落ちたての桜の葉も一緒に集めておく。


 白桜の警護をしつつ桜を採取するのは、毎年白桜の武家全員で行っている仕事のひとつだ。

 塩漬け作りは家裡いえうちを整える女性たちが中心に行うので、男の武士たちはこうして桜の採取を行うのが一族の慣習になっていた。この家は男女がそれぞれ役割分担をすることで白桜の警護のお役目を円滑にこなしている。


 警護の交代時間になり、水央は桜を満載した竹籠を抱えて厨房へ向かう。

 それなりに広い厨房の中は女性たちが集まってそれぞれの作業を行っていた。水央の郎党である武士たちの妻や娘、屋敷の女中たちが襷がけをして、桜を丁寧に洗っている。


 その中には、水央が去年迎えたばかりの妻の花葉はなばもいる。

 彼女は家の奥を仕切る女主人として、女性たちをまとめているのだ。彼女を迎えたことで、女性たちの役割分担や仕事の引継ぎなどが以前よりずっと円滑になった。

 出納も彼女が握っており、おかげで女性たちには自由時間を増やしてやれたし、郎党たちにもよりいいものを食べさせてやれる。

 花葉は、水央の手が届かない場所も細かく目を向けて整えてくれる。背中合わせで一緒に家を守る大切な伴侶だ。


「桜の花を持ってきたぜ」

 水央が声をかけると、いち早く花葉が気づいてくれて籠を受け取ってくれた。

 出会った頃より伸びた髪を後ろでまとめ、裾の短い活動的な衣服に身を包んだすらりとした立ち姿である。氷のような冷たさと鋭さを備えた瞳が印象的な美人である。


「水央殿、お疲れ様」

 花葉の鋭い瞳が水央を捉える。

 彼女は愛想もないし、笑ったところより怒っているところをよく見るような娘なのだが、女性陣にはすっかり溶け込んで慕われているようだ。

「どうだ? 今年はうまくできそうか?」


 すると、作業をしている別の中年の女が顔を上げた。

「いやですよ、棟梁。今年も、でしょう」

 女たちが甲高い笑い声を上げる。働き者で、明るい者たちばかりなのだ。

 白桜の花守と家の仕事を分担しているという意識がこの家は強い。だから他の名家と違って家長の男を立てるようなことはせず、言いたいことも言うし妻に頭が上がらない武士もいる。この家は良い意味で庶民と変わらない。


「今年は庭に植えた玫瑰まいかいでも色々作っているのよ」

「玫瑰って……?」

 花葉の言葉に頷きかけ、水央はその花がどんな花か知らないことに気づいた。

薔薇そうびの別名よ。貴方、一応名家の家長なんだから有名な花くらい知っておきなさい」

 花葉にぴしゃりと叩かれるように言われ、ぐうの音も出ない。


 すると周りの女性陣も口々に花葉の作ったものを自慢するように話し始めた。

「すごいんですよ、棟梁。奥様が玫瑰を砂糖で煮詰めた餡で、饅頭を作ってくださったのです。それに玫瑰水と玫瑰の花茶も、とってもいい香りなんです」

「それに、今朝山に行ったときにたくさん山菜を摘んできてくださったんです。しかも、筍もいっぱい!」

 女中が持ってきた筍を見せられる。確かに山奥でしか採れないような大きな筍や山菜が種類ごとに籠に乗っている。確かに早朝に出かけると言っていたが、まさか山まで行って山菜を摘んでいたとは。


 周囲に褒め倒され、花葉は満更でもなさそうに頬を赤らめた。

「まあ、そういうわけだから、夜は期待してちょうだい」

「そいつは楽しみだ。今年の塩漬けもな。じゃあ、あと頼むぜ」

 水央が花葉の肩に軽く触れると、花葉は目元を和らげて小さく笑った。

 仕事の邪魔をするわけにもいかないので、厨房を後にした。

 外に出ると、強い風とともに花吹雪が吹き抜けていった。吹き抜けていった風はまだ少し冷たい。春愁しゅんしゅうのもの寂しさが頬に残るようだった。




 都の人間の多くは、食材の多くを市場で手に入れる。水央も山菜は家の者が買ってきたものを食べていただけなので、どの山菜がどんな味かなどはあまり気にしたことはない。水央が大雑把なだけかもしれないが。

 山菜や野草は炒めたり、汁物やおひたしにしたり、団子や餅の生地にすり潰して混ぜ込んだり、身体の不調を治すために医薬品に使ったり、とにかく何にでもよく使う。種類も豊富なので、効能を含め水央はいちいち憶えていない。


 そんな山菜がたっぷりの夕飯だった。

 夕飯には白米と味噌汁の他に、筍の刺身、山菜の炒め物と天ぷらが出た。普段よりもずっと豪華で、集まった武士たちはみんな歓声を上げた。


 水央が天ぷらに口をつけると、さくさくした衣と一緒にほろ苦い山菜の風味が口に広がった。植物が芽生えたばかりの若々しい春らしい味だ。

 筍の刺身は醤油に浸して食べる。シャキシャキとした食感に癖のない甘みがあって食べやすく、すぐに自分の分を平らげてしまった。

 筍は料理に入っているものは食べても刺身のような主役で食べたことはあまりない。毎日の夕食にも新鮮な張りがあるのは、花葉が水央の馴染みのない料理でも作ってくれるからだ。


 花葉がお茶を配って回った。

 棟梁の妻として気取らず、率先して仕事をこなしていく姿がこの屋敷の日常として溶け込んでいる。郎党たちもそんな花葉を受け入れてくれている。

 配られた食後の緑茶に桜の花がひとつ浮いている。

 湯呑を顔に近づけると、桜の香りがふわりと漂った。


「ありがとう、花葉。今日の夕飯も美味かったよ」

 飲む前に隣に戻ってきた花葉にそう伝えると、普段は素っ気なくて誰にでも言動が手厳しい彼女も嬉しそうに頬を緩ませる。

「よかったわ。筍も山菜も新鮮なものを食べてもらいたくて採りに行ったの」

「ああ。去年食べたときよりずっと美味い。市場に出回っているものと山で採ったものでこんなに味が違うなんて思わなかったよ」

「明日は筍を使って肉まんでも作るわ」

「それいいな。すごく楽しみだ」

 水央は微笑み返し、湯呑を傾ける。緑茶の旨味に春の香りがする。これも古清水の恵みがもたらす春の味のひとつだ。


 古清水では、四季に沿って旬のものを食べることでその命の力を分けてもらうと考える。だから旬のものは滋養に優れるとされる。

 人々は四季折々のものを採り、食べ、四季の移ろいに時間の経過を知る。

 季節の行事でこの地を守ってくれる神に祈る。

 そういう生活のひとつひとつが古清水の時間を回し、ひとつとして同じではない季節を巡っていくのだ。

 水央はもうすぐ終わる桜の季節のことを思いながら、ゆっくり湯呑を傾けた。

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