本編

「パパ、早く釣りしに行こうよ」

 ぼくはパパの手を引っ張るようにして、歩いていく。

「そんなに急いでも魚はにげないって。せっかく水族館にきたんだし、パパは先に魚が泳いでるのを見たいな」

 と、薄暗い館内に設置されているガラス張りの水槽を見ながら言った。

「釣り、釣り、つりー!」

 ぼくは、必死にパパの手をひっぱった。

「わかった、わかった」

 苦笑しながら、パパは釣り堀に向かった。


 ぼくが来た城崎マリンワールドは、兵庫県の北部に位置していて、イルカなんかのショーも見ることができる。そして、アジ釣りを楽しむこともできて、釣った魚を調理してもらって食べることもできるんだ。

 釣りがしたくても、ぼくが住んでいるところは内陸で、海なんてないし。

 パパもママも釣りには一切興味なし。

 友達が夏休みにこの水族館に行って、釣りができることを聞いた。それから、パパとママにお願いして、春休みにやっと連れてきてもらえたんだ。

 ママは、仕事だからパパと二人っきりだけど、ママは「水族館はいいけど、生の魚は苦手だから、仕事でよかった」って言ってたし。これで、口うるさいママがいないから、思いっきり釣りができる。


 水族館内を抜けて、セイウチやペンギンを横目に見ながら進み、外へ出た。

「海だ」

 右手には岩肌でごつごつとした山があり、左手は海だった。

 嬉しくて、パパとつないでいた手を離して、走っていった。

れん!」

 幼稚園でもない。あと数か月で十歳になるんだから大丈夫だって。

 ぼくは、パパの呼び声を無視して走った。


 海のそばまでいけるところまでいくと、カラスが二羽地面に降り立って何かをつついていた。

 くちばしでつまんでは、地面にふり落としている。

 近寄ってもカラスは逃げない。もっと近づくと、それはカニだった。

 まだ足が動いている。

 助けようと思ったわけじゃないけど、ぼくはカラスの側まで走っていった。

「はなれろ!」

 カラスを蹴ろうとしたけど、すぐにカラスは飛び去ってしまった。

 でも、すぐ近くの波打つ岩に止まったまま、ぼくをじっと見ていた。

 このままカニを放っておけば戻ってきそうだ。

 ぼくは、そっとカニを手で甲羅を持つと、パパの方へ走った。

 パパは、すぐ後ろにいてカニを見せると、「でかいカニだな」と受け取った。

 そして、水族館のスタッフの人に渡していた。

 カラスは、と見渡すと、茶色くて作り物のカメの甲羅の上にいた。そして目があった気がした。

 背筋がぞくっとして、すぐに顔を逸らした。

 パパに「早く行こ!」と声をかけると、釣り堀まで走った。


 チケットを買うと、釣り竿とえさと交換した。

 釣り堀は、プールのような四角形ではなく、教室ほどの広さの地面に、でっかいハンマーでいくつか穴をあけたような形になっていた。

 穴と穴の間の道はせまく、すれ違うのも落ちそうで怖いほどだ。

 釣り堀は底は見えず、魚の黒い影がたくさん見えていた。

「めっちゃいる」

 釣っている人は、それほど多くなく、壁際に荷物を置いて、さっそく釣り始めた。


 最初はえさのつけ方も、ぎこちなくてパパに手伝ってもらってたけど、そのうち慣れた。それに、面白いほど釣れた。

 糸を魚の群れの中に垂れると、竿がぐんと引っ張られる。

 引き上げると、魚が釣れていた。

 面白くて、どんどん釣った。餌がなくなってきたころ、さっきまで釣れていた魚が全く釣れなくなっていた。

 と、そこへ、

 カー、カー

 と、カラスの声がした。

 顔を声の方へむけると、二羽のカラスと目があった気がした。

「どうした?」

 パパがぼくを見た。

「なんでもないよ」

 と言って、また糸を垂れた。

 ぐんと引っ張られた。でも、

「あー、やられた!」

 餌だけ取られて、魚は釣れなかった。さっきからこんなんばっかだ。

「くそっ」

 前のめりになるぼくにパパが

「落ちるぞ」と思わずといった声で言った。

「大丈夫だって」

 ぼくだって落ちるのはいやだ。そこは、気をつけているつもりだった。

「そう言うけどな、落ちたら後の祭りだぞ」

「後の祭りって?」

「それはな……っおい!」

「えっ?」

 ぼくはパパが指さす方を見ると、カラスが魚の入ったバケツをつついていた。

「こら、やめろ! ぼくが釣った魚だぞ」

 手で追い払おうとしたとき、カラスが羽を広げてぼくに向かってきた。

「うわー」

 手で顔を覆い、一歩下がった――ところに地面はなく、バランスをくずして、釣り堀に落ちた。

「うわっぷ……ぷはっ……、た、……たす」

 たすけてって言いたいのに、服が絡まって上手く手脚が動かせない。

 パパが手を伸ばしているのに、ぼくの手は届かない。

 なにがなんだかわからない。必死に手足をばたつかせるしかない。

 鼻から、目から、口に塩辛い水が入ってくる。

 息ができなくなったとき、足に何かがあたった。とても硬いもので、それはぼくを押し上げてくれた。

「ぷはっ……げほっ」

 口に入った水を出して、ひゅっと息が吸えた。力をふりしぼって伸ばした手を誰かが掴んでくれた。

「蓮、蓮!」

 パパがぼくを呼ぶ声が聞こえる。

 地面に引き上げられたぼくが、げぇと水を吐き、せき込んだ後、目を開けると、パパの胸の中にいた。

「大丈夫か?」

 必死な顔をしたパパにぼくは軽くうなづいた。

 ほうっとため息をついた、パパが「よかったー」と力が抜けた声がぼくの耳元で聞こえた。

 助かった――。

 ぼくもほっとして、涙が出た。そこから、わんわん泣いて、泣いた。

 怖かった。怖かったんだ。

 服はびしょびしょだった。パパもぼくを抱いたから濡れていたけど、一番ひどいのはぼくだった。

 泣き止んで顔を上げると、ぼくとパパを取り囲むように大人の人がいた。ぼくと目が合うと「大丈夫?」と聞かれてうなずいた。


 服も借りれるそうだが、心配性のママがお出かけの際には必ず、一式そろいの服やタオルを車につんでいる。

 春で天気もいいから、寒くはないけれど、濡れていたら別だ。風が吹くと寒くてくしゃみが一つ出た。 

 釣った魚をフライにしてもらっている間に、ぼくはシャワーを借りて、パパが車から持ってきてくれた服に着替えることにした。服を脱がそうとしたパパが、

「服の中に魚でも入っていたらもうけものだな」

 と言った。

「そんなの、ないって」

 魚がいたら、動くしわかる。でも、水を含んだ服は重いし、海のにおいがたっぷり。それに肌にはりついて気持ち悪くてすぐにでも脱ぎたかった。

 脱いでいると、ポケットの中に何か入っているのがわかった。

「なんだ?」

 魚?じゃない。硬いものだった。手を入れて取り出してみると、

「箱だ」

「なんだ、それ?」

 パパもぼくの手のひらをのぞきこんでいる。


「蓮が持ってきたのか?」

 こぶしぐらいの塗りの小さな箱だ。

「こんなのもってないって」

 首を横に振るとパパは、怪訝な顔をした。

「パパも知らないし蓮も知らない。捨てるか?」

「えー!」

「知らないものは、捨てよう」

「やだよ」

「さっきも大丈夫だって言って落ちただろ?」

 説得するように言われて、「うっ」と言葉につまった。

 でも、手放すのはいやだった。

「あのとき、捨てればよかったってなったって、後の祭りだ」

 そう言えば、落ちる前も言っていた。

「『後の祭り』ってどういう意味?」

「後悔しても、遅いってことだ。もし、この箱が玉手箱だったらどうする?」

「えっ?」

 玉手箱って……昔話に出てくる、あれ?

「浦島太郎がカメを助けて、竜宮城に連れられて、戻ってきたときにはとても時間が経っていて、玉手箱を開けたらおじいさんになった昔話があっただろ?」

「うん」

 よくは覚えていないけど、そんな内容だった。

「どうしてここで浦島太郎の昔話がでてくるわけ?」

「漣は知らないっけ? お前がさカニを助けたところから見えただろ?」

「なにが?」

「竜宮城が」

「りゅ、りゅうぐうじょう? そんなのないって」

「カメの像があっただろ?」

 そういえば、カニを助けたとき、カラスがとまっていたところにカメの像があった。

「その向こうにあずま屋が立った小さな島が見えなかったか?」

「見てない」

 カメは見たけど、島までは見てなかった。

「そっか。また、後で見に行こうな。ここはな、浦島太郎が玉手箱を開けた島だっていう言い伝えがあるそうだ。そこで、竜宮城に見立てたあずま屋が建ってるってわけさ」

「へー。パパ、どうしてそんなこと知ってるの?」

「ここに来る前に下調べしたからな」

 どうだと言うように、パパは自慢げに言った。

 それを、ふーんと聞き流して、水族館だからカメなのかなと思ったぐらいだったのに、まさかの竜宮城に笑ってしまった。

「ぼくが助けたのってカメじゃなくてカニだし。もし玉手箱だとしたってこんなにちっちゃいんだよ」

 笑っているぼくを、困ったようにパパは見てため息をついた。

「信じてもらえないかもしれないけど、蓮が頭まで海水につかってしまったとき、水底に大きな影をみたんだ。すぐに消えてしまったけどな」

「あっ」

 ぼくは、パパに言われてハッと思い出した。力強く海面へ押し上げてくれたもののことを。

 カメの恩返しじゃなくて、カニの恩返し?

 玉手箱も本当の話かも知んない。

 じっと、手のひらにある、太陽の反射でてかっと光る箱を見た。

「でもさ、よく考えてみてよ」

 と、ぼくはパパに言った。

「浦島太郎は、何年も竜宮城で過ごしたからおじいさんになったってママから聞いた。でも、ぼくは竜宮城に行ってない」

「……、たしかにそうだな」

 パパはあごをさすりながらうなづいた。

「じゃあ、ぼくはおじいさんになんてならないって」

「いやいやいや」

 止めるパパの意見も聞かずにぼくは箱のふたを開けた。

 すると、白い煙が、もくもくっと出てきて視界を消した。

「れ、蓮! な、なんだこれ。だから言っただろ。開けちゃ駄目だって。あー、もう、後の祭りだ――」

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ぼくのアジ釣り体験が。 立樹 @llias

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