第12話 時を織る


 そのとき、わたしは今年二回目の進路希望調査票を前にしていた。れんくんから長文のメッセージが突然届いた。送った曲の感想が来たのかと思って身構えたけど、メッセージではなく詩だった。さらに言えば歌詞のようだった。この歌詞に合うような曲をつくって欲しいということ?だと思った。


 そのとき、僕は教室の窓を開けてどこからか漂ってきた金木犀の香りに意識を合わせていた。ゆいさんからのメッセージはまたもや曲のリンクだけだった。再生すると、前と似ていてるようでいてまるで違う曲だった。返事がきたことが嬉しくて、この曲にまた歌詞をつけようと決心した。


 わたしは曲という経糸たていとを入れた。

 僕は歌詞という緯糸よこいとを入れた。

 時は少し先にすすんだ。


小出こいでさん、期末どうだった?勉強した?)(ぜんぜんだめ。狙ったとこ全部外した)


 月の便りのようなペースでわたしたちのラインは往復する。翌週に返事ができることもあれば三週間後のこともあった。そのあいだ、心はどこか糸の気配を感じていた。


清水しみずくん、大会の選考会どうだった?レギュラーとれそう?)(ぜんっぜんだめ。組み合った瞬間に投げられてる)


 結さんの返信はいつも曲のリンクが張ってあるだけでメッセージは書かれていなかった。いつか突然終わりがくるのではないかって不安で。だから、視界ではいつも糸の行く先を案じていた。


 わたしは経糸たていとを入れた。

 僕は緯糸よこいとを入れた。

 時は少し先にすすんだ。


(英語の梶谷がわたしばっか当ててくるんだけど!)(はは。そりゃ結ちゃん、前まで眠り姫だったもんね)


 わたしに仲のいい子ができた。うまく言えないけどたぶん友達というやつだ。日々は緩慢で、とろけそうになる自分との戦いだ。


(廊下ゆっくり歩けって言われてたのに、下級生に抜かれてるぞって先生に言われた)(どっちだよってね。ドンマイ、蓮)


 僕と同じクラスの、柔道クラブの友達と遊ぶようになった。目の不自由なふたりで出かけたらどうなるのかと心配だったけど、全然なんとかなった。


 そのあいだわたしたちはラインで交互に糸を入れては押し合って目を細かくしようとした。不格好になり、うまくいかなくて、なんどもやり直した。

「前の歌詞のほうが蓮くんぽくてすきだったけどな。なんで変えちゃうかな??」


 僕たちはいつもあの図書館の奥、朗読室にいた。ことばを交わさなくても、遠く離れていても、僕たちはあの場所にいた。

「より曲のイメージに歌詞を合わせたつもりだったんだけど、これ伝わってないかも。前のメロのほうが結さんぽくてすきだったな」


 わたしは経糸たていとを入れた。

 僕は緯糸よこいとを入れた。

 時は少し先にすすんだ。





「最近どうだ、学校は」

 父はいつもやぶからぼうに質問をする。

「べつに。ふつう」

 われながらわかりやすい返事だ。

「俺さ、今度昇進するんだわ。また帰りが遅くなることもあるかも知れないけど別にかまわんよな。お袋ももういないし」

 箸の先が朝食のハムエッグに差し込まれるとトロッとした黄身があふれ出た。いつもこの人はひとこと余計だ。

「ふうん。いいんじゃない」

 そのあとの沈黙に絶えかねたのか、父は話を続ける。

「これで少しは給料も上がるし、お前の進学も、私立でも何でも自由に選んでいいんだからな」

「――わたし国立行くから。だから心配しなくていいよ」

「そ、そうか。お前がその気ならありがたいけどな。国立なら地方になっても仕送りもしてやれると思うし」

「うん。まだ具体的に決まってないから。また相談する」

「まだ一年あるんだ。ゆっくり考えろ」

 その先のことば「一年なんてないけどね」は、強引に飲み込んだ。まだ本当の思惑を父に明かすわけにはいかなかったから。

「どうだ結、落ち着いたらどこかふたりで旅行でもいくか。今までどこも連れて行ってやれなかっただろ、だから――」

「やめてよ」

 思いのほか、大きい声が出た。卓上の電気ポットが蒸気で沸騰を報せた。

「じゃなくて。わたし今までそんなに勉強に集中できてなかったから取り戻したいんだよ。でないと――」

「わ、わかったわかった。またお前の気が向いたら、な」

 うまく取り繕えただろうか。自信がない。けど、経済的に守られているこの家からわたしは本当に離れられるだろうか。




「もちょっと離れてよ」

「え、なんで。温かいんだからいいじゃん」

 あいさんはいっしょに買い物に出かけるとき、やたらくっつきたがるようになった。寒さにしびれる鼻に、前までは着けてなかった愛さんの香水の香りが届く。それは視界にまで干渉するような気がしてザワザワした。なんとなくだけど、愛さんは彼氏ができたような気がする。


れんはさ、将来なにになるの」

「うーん?割合的にはマッサージとか、清掃の仕事が多いらしいよ」

「蓮の話をしてるんだけど」

 高等部一年の三学期。ふつうならまだ進路なんて気にしなくていい時期なんだと思う。けど、盲学校から大学に進学する人はごく一部だというから、考える時間はそう多くないのかもしれない。

「なにかひとの記憶に残る仕事がしたい」

「・・へえ。なんで」

 愛さんは "例えばどんな" じゃなく、"なんで" と聞いた。

「わかんないけど、ぼくがいる、という意味を感じたい?」

「ほー。大変だねあんたも。立派立派」

 他人事ひとごとみたいにつぶやいて、それ以上は聞いてこなかった。満足したみたいだった。

「そういえば結ちゃんからは連絡あるの?」

「連絡・・は、あるよ」

 話はしてないけどね。

「そか。あれっきり顔みてないからさ。あたし彼女怒らせちゃったから、どうなったのかと思って気になってたんだよね」

 愛さんは、よかったよかったとご機嫌だった。自分の正義感を優先して結さんを傷つけてしまったと後悔していた。元看護師だから、今までいろんな家庭の結末を見聞きしてきたんだろう。そんな彼女だって、自分の息子が失明するなんて想像もしなかったに違いない。

 最近、周囲に残ってくれたひと、去ってしまったひとが自分にどんな思いをもっていたのかよく考えるようになった。


となり人を愛せよ)


「ん?なんかいった?」

「なにも?」





 粉砂糖みたいな雪が降った。

 増えたお小遣いで新しく買ったオレンジのマフラーはもふもふで、寒さで憂鬱な朝をほんの少し色づかせた。

 わたしたちの、"会話のないラインでの会話" はまだ続いていた。便りを返す度に詩の変更点は小さくなった。そこでようやく、どうやら蓮くんは曲から感じたわたしの感情を代弁して歌詞を書き直しているのだと気づいた。


 盲学校の校舎は造りが古くて、せっかく暖めた教室の空気を窓の隙間から入り込む風が台無しにしていた。外の匂い。これが都会の冬の匂いなんだと思った。

 僕たちの会話はまだ続いていた。ただ、詩を返す度に曲の変更点は小さくなっていた。そしてようやく、結さんは歌詞から読み取った物語を代弁して曲を作り直しているのだと気づいた。

 僕は、いてもたってもいられず、とても久しぶりに短いラインメッセージを送った。


「にちようび 十時 まってます」

「OK」

 心配をする時間もないくらい結さんの返事は速かった。




「よ。元気してた?」

 僕が図書館奥の朗読室に入ると、結さんはすでに中にいた。今まで通り、なんでもないような音色を結さんはあえて出した。そんな気配が嬉しかった。

「はやい、ですね」

「先に来て勉強してたんだ。そろそろ真剣に受験勉強しないとさ、間に合わないから。わたしバカだからさー」

「そっか、もうすぐ三年生ですもんね」

「――そう」


 沈黙は深く、この狭い部屋に根をはった。ひさびさに会えた高ぶりと、たぶん、結さんと会うことはより難しくなるだろうという諦念が言葉を繰り出すことを躊躇とまどわせた。


「じゃあ、やろっか」


 何を、とは聞かなかった。結さんはノートパソコンをテーブルの上に出して、イヤホンの片方を僕の手のひらに載せた。変わらずコロンとしたちいさな星だった。


「曲はさ、さいしょ特に何も考えずに弾いたんだ。歌にすることなんて考えてなかった。ちょっと自由に弾いてみたよっていう程度だったんだけど」

「僕ははじめから歌にしようと思って書いてましたよ」

「だよね、途中まで気づかなかった」

 イヤホンから流れる曲は最後に送られてきたピアノ曲をパソコンに打ち込んだものだった。ボカロソフト"奏多かなたが、僕の歌詞を女の子の声で歌う。


 ちいさくて弱虫でどうしようもないわたし

 鳥かごの中で目を覚まし 何も掴めない

 でも気づいたんだ


「ここさ、どうせなら性別不明にして、"わたし"じゃなくて"僕"にしようよ、シチュも蓮くんの視てる世界にしてほしいんだ、遠慮せず」

「じゃあ僕からも。サビ前、歌詞に合わせて音を置いてもらいましたけどこれだとテンポが結さんぽくないので、ここは自由にしてほしいです」


 再生しては、止め、考えていたことをぶつける。その場で曲も、ボカロの歌う歌詞も書き換える。重ねる、再生する。午前九時にはじめた編集作業は昼を越えた。ごはんも食べず、僕たちは歌作りに集中した。はじめから通しで再生してはまた直し再生する。寄せては引く波のように繰り返しているうちに、僕と結さんの意識が溶け合ってひとつになっていくみたいに感じた。不思議な感覚だった。左耳からは曲が、右耳からは結さんの声が聞こえる。無数に絡み合うシーカーラインは目の前の空間に楽曲を越えた像を形づくった。



 わたしはパソコンの中で産まれていく新しい楽曲が、自分のものだとはっきりと自覚できた。前のトレジャーハンターは蓮くんの歌詞に合わせて曲を作ったのだけど、数ヶ月かけて少しずつ育ててきたこの楽曲は、曲も歌詞もわたしの一部だと思える。


「でき・・たあ」

「・・できましたね」


 どちらからともなく完成を確信した。お互いのやれること、やってほしいことをやり遂げた。そんな感じだった。無事完成した安堵とお腹の底から湧き上がる多幸感に包まれる。ふたりで納得のいく曲を作れた事実はこの先もずっと変わらない。そう思うと誇らしい気分になった。

「まだ変更した部分に合わせて微修正は必要だけどそれはただの作業だから家でもできるし」

「あの、ぼくはパソコン音源じゃなくて、結さんの弾いたピアノ伴奏にボカロの歌をあててほしいです。そっちのほうが好きだから」

「うん・・わかった。うまくひけそうだったら録音するね」

 一瞬迷ったが、蓮くんの「好きだから」に押されてしまった。彼をふと見ると、顔を傾かせて手をテーブル上で握りしめて、決心して何かを言おうとしている。


( いっしょに作りませんか。曲! )


 その様子を察してわたしは、いつか喫茶店で彼が言ってくれた台詞を思い出していた。


「結さん、――あの、僕。結さんと――」

「ちょ、ちょっとまって、先に言わせて」

 心の中で詫びながら先手を打つ。

「わたし、国立の大学を受験しようと思ってるんだ。だから、今年は必死に勉強しなきゃだから。だからゴメン!」

 蓮くんの肩からみるみる力が抜けていくのがわかる。

「じゃ、じゃあ、春休みのあいだならどうでしょう、少しくらいなら――」

 わたしはどう返事をしたらいいんだろう。でも、蓮くんには嘘をつきたくなかった。迷ったあげく本当のことを伝える決心をした。


「わたし、引っ越しようと思ってるんだ」

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