第6話 翡翠の庭
かし。 歌詞、菓子、可視・・。歌詞とは、いかに? 大上段にかまえて「歌詞!」と唱えてみてもやっぱりよくわからない。
「僕が歌詞とかつけますから」
我ながら大それた事を言ってしまった。運動も得意で勉強も苦ではなかったころの悪い癖がひさしぶりに出た。ついなんでも勢いで言ってしまう。学校の休み時間、通学時間、帰ってきてからも考えてみるけどピンとこない。
だいたい歌を歌うのも人間じゃなくてボカロ、機械音声だ。だったら彼らが歌うにふさわしい内容でなきゃならない。それでいて動画共有サイトでいっぱい聞かれるようなキャッチ―な歌。最初の一歩目にしてはけっこう難易度が高くないか?でもま、やると決めたからにはとにかくやるしかないよな。
かっこいい歌詞、かわいい歌詞、万人受けするような歌詞。動画サイトで再生数の多い制作者の歌を聞いたり。音楽再生アプリでプロの曲を聞いたり。自分なりにどういう歌詞がいい歌詞なのか考えてみる。
君が大好きさー
夢を諦めないでー
愛を信じてるー
恋愛の曲はやっぱり多い気がする。あと、つらくても諦めないでいたらいいことあるよ、という曲。自分がもっと普通の境遇だったらそういう歌詞も受け入れられたのかなと感じるのは、少しひねくれすぎだろうか。目が見えなくなって、なにもかもが ” オワコン ”になって、親しい友人も腫物を触るようによそよそしくなっていって。そんな状況で「諦めないで」と言われても、どこか高いところから言い捨てられているみたいに感じてしまう。じゃあ、自分は何を書いたらいいのか? 自分にしか書けないことってあるんだろうか。
う~ん、とベッドの上で背伸びをする。学校から帰って間もない時間にしてはやけに外が静かだ。いつもは締め切っているカーテンを開け、部屋にひとつある窓をそっと開いてみる。音よりも先に雨の匂いに気づいた。細かな雨が降ると角張った都会も薄い膜で覆われて少し優しいさわり心地になる。サッカーをやっていたころ雨は忌々しいものの象徴だったが、それがいつからか「外に出られない日」に安心できるようになった。僕が雨を好きになった。それは信じられないことだ。でも、これに似た安心感を以前にも感じたような気がする。
思い出そうとする僕に呼応するように、窓枠からグレーの世界に流入した無数の雨音たち。白い織物のように広がったシーカーラインは僕の身体を包みこむとゆっくり後ろへ押し流しはじめた。
どれくらい眠ったのだろう。目を覚ますと、薄暗い和室の真ん中でひとり寝転んでいた。座布団を枕代わりにしてうたた寝をしてしまったみたいだ。和室は書斎になっていて、両脇には低い本棚が並び、部屋の隅にはがっしりとした書斎机が座っている。畳の終わりは濡れ縁に続いていて、襖を開けると低い庇の向こうに雨が降っているのが見えた。雨の音はどこか優しくて、懐かしい。良く磨き上げられた縁の表面に庭園の緑が反射して、図鑑でみた翡翠の原石みたいだ、と思った。
田舎にある実家に住んでいたころ、雨の日はこうして祖父の書斎で過ごすことがあった。祖父は地域でも有数の大農家だったそうだが、田んぼを早々に父に譲ると趣味のパチンコと詩歌に没頭するようになったらしい。故に祖母との言い争いも絶えなかったが、どこ吹く風と気にしない祖父はどこかかっこよくもあった。
「
祖父の振りはいつも突然で反応に困った。内容も、朝の雲が綺麗だった、とか。外で食べた握り飯が旨かった、とか。他愛もない内容ばかりで。
「うん、まあまあ。いいんじゃない」
本を読む手を止めて答える。興味がなかったことも手伝って祖父の短歌は何がいいのかさっぱりだった。でも僕は祖父が詩歌を作る様子を眺めるのがけっこう好きだった。祖父はチラシの裏や手帳の端に、その時々で感じたことを書き留めているらしく、その無数のメモを机の上に積もらせていた。そして時折、一枚一枚手にとって吟味しながら詩作をした。その様子が、まるで料理をする前に食材を確認する料理人みたいで面白いのだ。
「蓮、サッカーもいいけど、お前もなんか作ってみろ」
「やだ。短歌とか誰もやってないしダセーし」
「人間、好きなものくらい自分のことばで語れるようにならにゃあいかんぞ」
これも口癖だった。
「それにお前、ダセーとか、誰でも言えるような言葉しか出せないのがダセーんだぞ。 ん? 出せない のに、ダセー とはちょっと掛かっとったな。ハハハ」
まったく面白くはなかったけど、堂々と詩歌を勧めてくる祖父が清々しくもあった。またあるときは祖母に対して、
「またこんな暗いところでふたりして! せっかくテレビもゲームも禁止にしてるのに蓮の目がこれ以上悪くなったらどうするんですか!」
「見えなくなったって蓮は俺の短歌を聞いてもらわにゃあいかん。それに本だって読んで聞かせにゃあならん」
「何言ってるんですか!あなたも
「うっさいうっさい。黙っとれ!うるさくてかなわん。目より前に耳が悪くなるわ」
と口うるさい祖母を煙に巻いてくれた。
「まあ確かに、どうせ見えなくなるから本なんて読んだってしょうがないっていうのはほんとだけどね」
というと、真剣なまなざしで、
「そんなことは絶対ないぞ、蓮。ことばは無くならない。ことばは物語だ。いろんな物語がずっと寄り添って、いつかお前が困ったときに助けてくれる」
茶化すでもなく深刻ぶるでもなく淡々と語っていた祖父の口調が耳から離れない。祖父はいい加減なひとでもあったが、ふさぎ込んでいた僕に普段通りに接してくれた数少ない大人のひとりだった。
最後にあの部屋に入ったのは中学二年、祖父が亡くなった後だ。主のいなくなった書斎に入ると、かつてメモが山積みになっていた机の上が綺麗に片付けられているのを見た。そこではじめて祖父にもう会えないのだという実感がこみ上げてきたのを覚えている。
懐かしさもあって狭い視野で部屋を舐めるように散策する。本棚には短歌だけでなく、俳句や詩吟、小説などおよそ文字の書いてあるものならなんでもと言った雑然とした凹凸が続いていた。その中に一冊だけ、植物の茎が単行本から飛び出ているのに気づいた。そっと取り出すと詩集のようだった。あるページに押し花のごとく野花が一輪差し込まれ、薄茶色のシミを広げている。房を丁寧に取り除くと、花の遺言はこう続いていた。
灰と化した若き日の上に横たわり
死の床でその残り火は燃え尽きるほかなく
慈しみ育ててくれたものとともに消えゆくその時
それを見定めた君の愛はいっそう募り
永遠の別れを告げゆくものを深く愛するだろう
W.S
祖父がどのような気持ちでこのページに花を差し入れたのかはわからない。ただ、ちいさな単行本の1ページに圧縮されていたのはかつての祖父の時間であり、響きの美しさに震える僕の時間でもあった。ことばの力は強い。時間や空間を簡単に飛びこえてくる。
自分の好きなものを、自分だけのことばで。
物語は寄り添ってつらいときに助けてくれる。
窓を閉じ雨音を遠ざけると、再び周囲はグレー色に戻った。僕はめったに家では使わない点字盤を机の上に取り出し、用紙をセットする。文字を書くにはスマホのほうが気軽ではあるけど、あえて紙にしてみようと決心した。手に触れられるかたちで言葉を編んでみたいと思った。それに万が一、愛さんに歌詞が見つかっても点字なら読まれないから安心だ。
「寂しい。目が見えなくなって前に踏み出すのが怖い」
「でも不安で縮こまってたらもっと動けなくなる」
「後悔なんかしてやるもんか。笑った奴らを反対に笑い飛ばしてやりたい」
「今の自分とは違う、もっと素晴らしい存在になりたい」
「誰かを笑わせたい」「安心させたい」「自分を好きになりたい」
「もっと自由でいたい」
恥ずかしくて口から出たことのないセリフが、文字ならばスラスラと紙に凹凸をつけていくのが不思議だった。祖父がかつて机の上に落ち葉のように重ねた言の葉。その気持ちが今なら少しわかる気がした。自分の気持ちを書き出すことで、自分の気持ちに直に触れられるようになるのが、こそばゆくも心地よかった。気持ちの次は物語を考えてみよう。
主人公は洞窟の中に入っていく。どんどん暗くなって、手持ちの明かりもちいさくなって。おなかもすくだろうし、心細いだろう。でも主人公が諦めないのはなぜか。きっとその洞窟には綺麗な宝石や宝物があるんだ。それを探し求めている。じゃあ、主人公は炭鉱夫? 宝石職人?違う。トレジャーハンターだ! 歌の主人公はこれで決まりだな。
連想ゲームのように考えていたらどんどん楽しくなってきた。可愛らしい電子音声のキャラが生き生きと洞窟を探索し、冒険する。その先に大切なものを見つけるまで。主人公は僕だ。日ごろから穴ぐら暮らしをしている実力をみせてやる。そして無事洞窟から出られた暁には、結さんに宝物の自慢をする。結さんはきっとなんだかんだ口では言いながらも、機嫌のよさそうな語尾でしぶしぶ作曲を承諾してくれるに違いない。僕はその瞬間を夢想しながら再び点字盤に取り掛かった。雨音が微かに部屋に染み入って、僕は再び翡翠の庭を感じながら思索にふけっていった。
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