第2話 こんなはずじゃなかった

翌朝。

「こんなはずじゃなかったのに……」

私はベッドの隅に腰掛けた林志朗の背中越しに、絶望的な言葉を聞く。

彼はきっと、私がまだ寝ていると思っている。

すぐに理解した。〝ああ、昨夜は彼も酔っていたんだ〟って。

だからって、そんな言い方はないんじゃない?

「おはよ」

聞かなかったことにして、普通の顔であいさつする。

一瞬ビクッとする林志朗。

「おはよう……」

その顔、動揺しすぎ。後悔が滲み出すぎだから。

「会社行かなくちゃね。シャワー借りていい?」

「え、ああ、うん」

シャワーで少しだけ泣いたら、普通の顔で会社に行く。

あんな言葉を聞いてしまったら、林志朗とはこれからも今まで通りの同期の同僚でいるのが賢明だ。

実際にはこんな時でも泣き落としすらできない女なのよ、私は。


九時三十分。

林志朗とは別々に家を出て、定時ピッタリに始業する。

「ん? マギ、昨日の服のままじゃない?」

こういうの、結芽ちゃんは絶対見逃さないと思ってた。

「え? 昨日って、私が帰った後どうなった? すぐ解散?」

「ずっと飲んでたよ。リンリンと」

こっちを見て、私の服装やら髪形やらをマジマジと見る彼女に、私はパソコンに向かったまま答える。

「ずっとリンリンと……え!! ってことは! リンリンと——」

慌てて結芽ちゃんの口を押さえる。

「結芽さん、ここがオフィスだってわかってるかな?」

両頬を片手でムニッと掴んで、結芽ちゃんをアヒルみたいな顔にしながら怒り気味に聞く。

「わかってまふ……」


昼休み。

午前中の仕事の間中、気になって仕方がないって顔をしてた結芽ちゃんをカフェに連れ出した。

「え!? マギってリンリンのこと好きだったの!?」

同期の良い関係を壊したくなくて、これだけは結芽ちゃんにも必死で隠してた。

「じゃあ何も問題無いんじゃない?」

彼女の言葉に、私は首を横に振る。

「林志朗、『こんなはずじゃなかったのに……』って言ってた」

結芽ちゃんは不思議そうな顔で首をかしげてつぶやいた。

「あいつ、なんでそんなこと言ったんだろう」

「そんなの、私は林志朗にとってただの同期か友だちだからに決まってるでしょ」

「うーん……? そんなはずは……」

なんだか〝腑に落ちない〟という表情をされてしまう。

「ところでさ、マギってどうしてリンリンのこと〝林志朗〟って呼ぶの? 地味に前から気になってた」

「え? 下の名前で呼ばない方が良かった?」

「下の名前?」

「え?」

何が言いたいのかよくわからない結芽ちゃんの言葉にポカンとすると、彼女も同じ顔をしてこっちを見た。

「うーん……なんか、なんていうか色々とややこしいな。……うーん、こういうときは——」

結芽ちゃんは腕を組んで考え込んでいる。

「合コンしよっか」

「は?」

なんでそうなる?

「だってマギ、リンリンとはダメそうだって思ってるんでしょ?」

「ストレートに抉るのやめて……」

でもたしかに、こういう時こそ合コンかも。

「いいよ。いつ?」

「今日」

「今日? 急すぎだよ。私、昨日と同じ服なんだよ?」

「昨日会ってなければわかんないって。服装以外は大丈夫ってことでしょ? セッティングしとく。というわけで、私先に戻ってるから!」

いつになく強引なのは、私を励まそうとしてくれてるのかな? それにしても当日の合コンで人を集めて店も予約できちゃうって、凄腕すぎるでしょ。

『こんなはずじゃなかったのに……』

林志朗の言葉を思い出してため息をつく。

「さすがに、クるなあ……」


十九時。

結芽ちゃんに指定された店に行く。

居酒屋かと思っていたら、わりときちんとしたイタリアンのレストランだった。

合コンなんてやる雰囲気じゃないんだけど……?

「小林さま……ああ、スズモリ様のお連れ様ですね」

〝スズモリ〟? 誰? 合コンの相手?

不思議なことばかりだけど、きっと個室は合コンぽい雰囲気なんだろうと思って、おとなしくお店の人についていく。

……だけどやっぱりそこは普通のレストランの個室。テーブルに、席は二人分しかセットされていない。

「あの、スズモリさんじゃなくて中村——」

席についたところで、店員さんに確認しようとした時だった。

「ごめん、お待たせ」

現れたのは、林志朗。

「え? なんで……」

今日一番会いたくない人なんだけど。

「マギに謝りに来た」

胸がズキッと痛む。結芽ちゃんといい、林志朗といい、どうしてこうもストレートに人の心を抉ってくるのかな。

「謝るのに、バラ? 何よそれ」

彼はなぜか赤いバラの大きな花束を持っている。

林志朗は「ンンッ」とノドを整えるみたいに咳払いをすると、座っている私の前に跪いた。

「マギ。いや、小林茉伎さん」

そう言って、彼は私の目を見つめる。何が起きているのか、さっぱりわからない。

「約束より早くなってしまって申し訳ないけど、俺と結婚してくれませんか? 今すぐに」

「……」

「マギ?」

「……え? は?」

「え?」

「約束? 結婚?」

あまりにもわからなすぎて、パニックにすらなれないくらい頭が真っ白。

「な、なんの話……?」

「何ってマギ、もしかして覚えてない? 結婚の約束……」

私は首をブンブンと横に振る。

「そんな約束したことない!」

「嘘だろ……」

林志朗はものすごく絶望したような青い顔をしている。

いや、だって本気でわけがわからないんだよ?

「あの、とりあえず話を聞かせてくれない? リンリンが言ってる約束って、いつの話?」

きっと酔っ払っていたとか、ふざけてたとか、そういう話だ。

「キャンプ研修の時」

ん? あの時? 会社のイベントだったからお酒は飲ませてもらえなかったし、だいたい、私たちってあの時初めてじっくり会話をしたんじゃなかった?

「本当に忘れちゃったのか? マギ」

「え? うーん……ピンとこない」

そんな私に、林志朗はガッカリしたようにため息をついて話し始めた。


***


キャンプの日の夜。

俺はふと目が覚めてしまって、星空でも見ようとテントを出た。

そしたらみんなで焚き火をした場所の跡に、マギが座ってて——


「起きてたんだ」

ベンチに座ってたマギに声をかけた。

「なんか、寝れなくて。星がすごいよ」

「隣、座っていい?」

マギは「どうぞ」って言いながら少し右に寄って場所をあけてくれた。

「変なこと……っていうか、俺なんかに聞かれたくないことかもしれないんだけどさ」

「ん?」

「小林って、もしかして最近彼氏と別れた?」

「……」

マギは少し驚いた顔で黙ってしまった。

「あ、悪い。嫌だよな、やっぱこんな質問」

「ううん、大丈夫。っていうか、よく知らない人に聞いてもらうのって良いかも」

「よく知らないって。同期なのに」

「事実でしょ」

マギがクスッと笑ってくれて、俺はなんとなく安心したんだ。

「怖いんだって、私。強すぎて」

「強すぎ?」

「さっきの、バッタみたいな話」

俺は一瞬、バッタのことを思い出して眉をひそめる。

「ああいう時に、リンリンみたいなリアクションして欲しいみたいだね、男性は。そういう可愛げの無さがダメだって言われて振られちゃったの。二年も付き合ったのに」

マギは足元を見て「ふう……」って悲しそうなため息を漏らした。

「もっと早く言ってよねーって感じ」

それから、強がった笑顔。

「俺は全然そんな風に思わなかった。すげーかっこよかったし、正直ときめいた」

「何それー! 男女逆転してるじゃない!」

また笑ってくれたから、今度は嬉しくなった。

「男らしいとか女らしいとか、そんなんじゃなくてさ、いるよ、小林に合う相手が。男なんてこの星の数くらいいるんだから」

空には、都会では絶対に見えないような満天の星が輝いてた。

「リンリン、いい奴だね」

マギも空を見上げる。

「私はこの中から、私だけの星を見つけられるのかなー。ふふ」

その時のマギの横顔がすごくきれいだった。

「俺とかどう?」

「え?」

「あー、いや、相手が見つからなかったら」

「……見つからなかったら、か。いいね。私、料理できないから助かる。でもそれ、期限いつまで?」

「え? んー……こういう時ってあれだよな、三十歳になってお互い独り身だったら結婚しようってやつ」

俺の提案に、マギは「あるある」って言って笑った。

「じゃあ、約束ね」

そう言って、マギが左手の小指を差し出したから、俺の小指を絡めた。

「あ、バッタ!」

「え!?」

「あはは! リンリン今跳ねた!」

「リンリンて言うなよ」


***


思い出した。

「って! 約束ってあれ?」

林志朗はうなずく。

「あれって…」

あの時、私は『俺とかどう?』って聞かれた瞬間、ドキッとして恋に落ちた。

だけど『相手が見つからなかったら』で、冗談なんだって思って失恋した。……って思ってたから、次の恋愛って思って合コンに行きまくってたの。

「待って待って、え? リンリンって私のこと、好きなの?」

「うん。好き。正直、入社式で会った時に一目惚れしてたけど、あのキャンプでもっと好きになった」

「なんで言ってくれなかったの!?」

二年半も。

「え、だって俺と付き合ってくれるのは三十歳まで独身だったらって約束だろ?」

「は?」

「だから、マギが合コンに行きまくるから気が気じゃなかった」

「え?」

話の様子がおかしい。

『何って、マギに悪い男が寄ってこないように監視してんのよ』

「もしかして、結芽ちゃんが言ってた〝監視〟って」

林志朗がギクっとする。

「……いや、だって三十歳までに相手ができちゃったら、困るじゃん?」

〝なぜか彼氏ができない〟って、原因はコレだった。

思わず「はあっ」て大きなため息をついてしまった。

「バカリンリン!」

「え……」

「予防線ばっかり張って、裏で手なんて回して! 全っ然、男らしくない!」

『こんなはずじゃなかったのに……』

あれって、〝三十歳まで待つ予定だった〟って意味だったんだ。

「……だけど、すっごくリンリンらしい」

バカらしくて涙が出てくる。二年半も、こんなことに振り回されてたなんて。

あと五年も待つつもりだったってこと?

本っ当にもう!

「そういうとこ……大好き」

「え、じゃあ……」

私はコクっとうなずく。

「……しょうがないから、結婚してあげる」


***


翌日。

「えーーー!?」

「本人は隠してるつもりらしいけど、マギは知ってると思ってた」

予約の名前が〝スズモリ〟だったのが不思議で、結芽ちゃんに聞いてみた。

私が鈴木林志朗だと思っていた彼は鈴森志朗すずもりしろう、株式会社ベルフォレストの御曹司だった。

「最初の研修でリンリンが書いた縦書きの名前が下手すぎたから……」

〝森〟が〝木〟と〝林〟に分かれて見えた。

それに、社内では老若男女問わずリンリンがすっかり浸透している。

「なんか、そういう自分に気を使ってこないところも好きだって言ってたよ」

「なにそれ、勘違いじゃない」

「いいじゃんなんだって。マギ、これから先ベルフォレストのキャンプギア使い放題だよ」

「マギ、超愛されてるよ」って、全部知ってた結芽ちゃんに笑われる。

なんだかいろいろ納得いかないんだけど……

これって一応、ハッピーエンドってことでいいんでしょうか?


fin.

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なぜか彼氏ができない ねじまきねずみ @nejinejineznez

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