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桜坂詠恋

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 T大法医学教室、検査技師の宮下正彦は、ダイニングテーブルに空の弁当箱を乗せると、靴下を脱ぎながら直ぐ隣の台所に向かった。

 冷蔵庫の中に、ビールと、確かチーズもあった筈だ。

 それに運良く残っていた魚肉ソーセージを付けると、床に脱いだ靴下を放り投げ、テーブルの椅子を引いた。

「うーっ。疲れた」

 プシュッと音を立ててビールのプルトップを引き、二口、三口を一気に流し込む。

 思わぬ事件発生で、帰りがけになって解剖が入り、帰宅が深夜になってしまった。

 お陰で、子供達は勿論、妻すらも先に寝てしまっている。

 結婚してから子供が生まれるまでは、どんなに遅くなっても起きて待っていた妻も、今では帰宅が遅くなるとわかるや、さっさと床に入るようになってしまった。

「昔はカアちゃんも、あれでカワイかったんだけどなぁ」

 苦笑しつつ、端が乾いて変色したチーズを千切って口に放り込む。

 部屋は静かだった。

 聞こえるのは、壁に掛かった安物の時計の音と、時折唸る、冷蔵庫のコンプレッサーの音。

 そして──。

「そう泣かんでくれんかね。あんたみたいに解剖室からついてくる人は多いが、私は、あの部屋を出たら何もしてやれんのだよ」

 宮下はテーブルから生えた、血まみれの女の頭にそう言うと、また一口、チーズを放り込んだ。

「すまないね」

 すすり泣きは止まった。

 聞こえるのは、壁に掛かった安物の時計の音と、時折唸る、冷蔵庫のコンプレッサーの音。

 そして、宮下自身の溜息だけだ。

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noise 桜坂詠恋 @e_ousaka

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