第36話 猫にマタタビ、イリナには花束

「ふうっ……。あいつは、必ず消してやる!」


 ストレートな怒りを見せているのは、第二王子のエルドゥアン・ヴィルケ・フィステールだ。


 微笑を浮かべつつ、裏で手を回す彼にしては、珍しい態度だ。


 その理由は、ディエヌス帝国のイングリット・ド・アブリック辺境伯と婚約しているらしきクルポルト・ヘンチュケ男爵に、秘蔵のワインを奪われたから。


「何が、『それは第一王子にもらった銘柄なので』だ! 第二王子たる私が下賜かししたワインに、ケチをつけるんじゃねえよ!? おかしいだろ?」


 上げ底が天を突いたクルポルトは、王族が慶事でのみ開けるボトルを指定した。


 張り付けた笑みがバイブレーション機能みたいになったエルドゥアンは、それでも願いをかなえた。


 第一王子と同じく、クルポルトの妄想である確信を持てず、他に使えないワインなら、と妥協したのだ。

 つまみとなる美食も、大量に奪われたが……。


 恐るべし、ヘンチュケ男爵!


 長く息を吐いたエルドゥアンは、平常心になる。


(高くついたが、これでバカを遠ざけた……)


 ソファに座ったままで、手を組む。


 目を閉じた。


(兄はニシザカ・ヒトシのところへ行き……王城へ帰ってこない)


 第一王子の派閥に潜ませたスパイも一緒に殺され、彼に情報が届かないのだ。


(やつが……いや、ノースキルだったヒトシに可能とは)


 誰かが殺したのなら、それは交渉中のキヌガワ子爵だろう。


 目を開ける。


「あのレディは、気分屋だ。私のために早合点した恐れもあるか……。よし! その点を匂わせつつも、こちらに取り込む! 彼女たちは?」


 今の話題は、衣川きぬがわイリナしかない。


 側近の1人が、王城のサロンに待機させていると報告した。


 頷いたエルドゥアンは、いよいよ決断する。


「宿に戻して、ヒトシと会わせるのはマズい……。奴らが冷静に話し合う前に、こちらの手中に収めよう。キヌガワ子爵たちに、花束を用意しろ! ガーベラが6本になると良いのだが」


 動揺した側近が、すぐに確認する。


「6本で、ございますね?」

「二度、言わせるな」


 会釈した側近は、花束の用意を始めた。


 エルドゥアンは、首をかしげているメイドに話しかける。


「お前は、キヌガワ子爵のメイドに助けられたのだな?」

「は、はい!」


 返事をしたメイドは、背筋を伸ばした。


 にやりと笑ったエルドゥアンが、当たり前のように告げる。


「では、花束を持っていけ! キヌガワ子爵には、私の寵姫、または希望する立場を用意することでの説得をしたまえ……。先触れだ! お前が説得できるとは思わん」


 納得したメイドは、ペコリと頭を下げた。


「仰せのままに……」



 ◇



 衣川イリナは、サロンにやってきた一行を見た。


(花束を持ったメイドに、近衛騎士が数人……)


 メイドが先頭にいる不可思議さに、眉をひそめたイリナ。


 同じテーブルにいる松永まつなが瑠香るかは、小さな声を上げる。


「あっ……」


 つつみ夏夜かやも、見覚えがある顔だ。


 女子2人を見たイリナは、近づいてきたメイドに視線を移す。


 立ち止まったメイドは、花束を持ったままで頭を下げた。


「第二王子のメイドである、サラと申します。キヌガワ子爵におかれましては、ご機嫌麗しゅう――」

「わざわざ、何の用?」


 イリナのさえぎりで、サラは顔を上げた。


「エルドゥアン様からの贈り物として、こちらをお持ちしました。ひとまず、お受け取りくださいませ」


 有無を言わせず、両手で差し出された花束。


 息を吐いたイリナは、片手で握った。

 王子が用意しただけあって、良い香りだ。


 ぞんざいな扱いであるものの、サラはお礼を述べ、少し後ずさる。


「エルドゥアン様は、あなた方を寵姫、または希望する方との婚約などの用意があるとおっしゃっています」

「いらない」


 即答したイリナに対して、サラは粘る。


「ディエヌス帝国から亡命してきたままでは、いつ立場がひっくり返ってもおかしくありません! それに対して――」


 しばらく、時間が経った。


「考えてみても、いいんじゃないかな?」

「……ええ、そうですね」


 瑠香と夏夜が、サラに賛成した。


 勢いづいたサラは、瞳孔が開いたままの目で、そちらに訴えかける。


「御二人は、分かっていますね! エルドゥアン様の寵愛を受けられることは、女として何よりの――」


 顔面から胸元にかけて突き刺さった大剣により、サラは後ろに倒れた。


 アルキュミアと呼んでいる、紫に光る大剣は、地面に刺さったように立つ。


 突然の凶行に、近衛騎士たちが騒ぐ。


「サラ!?」

「貴様、よくも――」


 イリナは突進しながら、アルキュミアを抜き、一瞬で近衛騎士たちを両断する。


 さらに、外側へ振り抜き、サロンのガラスごと破壊した。


 大剣による回転がサーキュレーターのようになり、一気に空気が動く。


 とっさに立ち上がり、構えていた女子2人は、頭痛をこらえているような雰囲気。


 イリナは、大剣を床に刺して、それを支えに説明する。


「たぶん、さっきの花束による魅了!」


 瑠香と夏夜は、まだ心の整理ができないようだ。


「ううっ……。感情が、グチャグチャ……」

「香りだと、防ぎようがないですね! 助かりました」


 息を吐いたイリナは、推理する。


「女にしか効果がなく、その時に話題にしたか、会った男にかなりの好意を持つ……のかな? おそらく、短時間で効果範囲がせまいけど、その分だけ強力と! どう転んでもいいように中毒性はないが、自分の恋心と思えば、重ねるほどに定着する」


 夏夜が、同意する。


「でしょうね……。こちらは、どうします?」


 首をひねったイリナは、やがて言う。


「とりあえず、あなた達の回復に専念する! いったん、逃げるよ?」

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