第238話 無料券の誘惑

薦めてきた者には、特にそんな意図はなかったはずである。

というより、そんな意図を持ちようもないだろう。

かの理想に燃える児童指導員の母校である私立大学の大学祭に、

彼は招待されかけた。

彼の直接の担当である保母を通して。

何と、模擬店の タダ券=無料券 もあるよ、とか何とか。


彼は、そのオファーを拒絶した。

彼のせねばならぬことのために、その日、

彼は後に母校となる国立大学の大学祭に行った。

別に、何か無料券をもらえたわけでもない。

とにかく、昼から夕方までその地にいた。

そして、その日、人生を変えるスカウトを受けた。


あのネエチャンはへらへらとタダ券もあるのにと、

そんなことを思っていた程度だったかもしれない。

だが、その話に乗ってホイホイと行っているようでは、

彼の人生は開けなかった。間違いなく。


寸でのところで、彼は無料(タダ)券の誘惑を拒絶した。

それが、彼の人生を開くきっかけとなったのである。

彼には、未来が確実に開けたのである。


一方の、児童指導員。

小学生にして彼がその大学に通うようになったことを、

感想ごかして、わかった口を何度も利いた。

子どもは子どもらしくのヘチマの、と。

当時の園長のじいさんやベテラン保母のバアサンの時代の、

牧歌あふれる子ども像を有難がっていたことは明白。

だがその言葉に、彼にとっては未来など何一つなかった。

残念だろうが、それがおまえらの「現実」だったのだ。


今思うと、あの無料(タダ)券は人生を破壊に向かわせる何かだった。

彼は、今さらながらに驚愕しているという。

タダほど怖いものはない、と。

安い高いの問題じゃねえんだ、ボケ!


あの日から今年で44年。

彼は静かに、当時の「敵」を葬り去る手はずを整えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る