第213話 自由の森とは、無責任の森だった?!

そろそろ、大総括に入ろうか。

覚悟を決めて、トドメを刺しに行こう。

さあ、総括だ!


 自由の森とは、無責任の森だった。


残念至極ではあるが、それが現実であった。

今さら、改善もクソもあるか、ボケ!

別に厚生労働大臣の土下座など求める気も、ない。

岡山県知事の土下座も無用。

もう一度言うぞ。


 自由の森とは、無責任の森であった。


こう言うと、いろいろ低能が湧いて出てくるであろう。

だが、もう一度言う。


 自由の森とは、無責任の森以外の何物でもなかった。


無責任とは、なんぞや。

無論、責任がないという意味でないことは論を待たない。

そもそもが責任をただなすり合う体制であったということ。

責任を持ち得ない者が、その場限りで関わって小手先いじりをするだけ。

短大を出て間もない保母だろうが、ベテラン保母だろうが、本質は同等。

男性の児童指導員だろうが老園長だろうが若手園長だろうが、以下同じ。

そんな中、何とかよかれと頑張る人がほとんどだった。

特に、若くして園長に就任されたあの方は、別格だ。

その方と同僚だったあの方は、さらに別格。

だが、そんなレベルの人たちばかりでは、ない。

私が論じているのは、そんな個人レベルの問題ではない。


それはその人がたまたまなどというおめでたい平和主義者の寝言など、

クソの役にも立たないばかりか、

そんな寝言が問題の本質を矮小化することになるのである。

ええ加減、気付くことだな。

養護施設の宿命というのは、ズバリ、ここなのである。


いずれにせよ、こういうこと。

よかれと思おうが思うまいが、

そんなものは、

本質的に何かを解決するものではないということだ。

そりゃ、どうにもならんわ。

しつこいが、もう一度適示しておく。


 自由の森とは、無責任の森と評すしかなき場所であった。


                       以上マル

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