第68話 世の中の狭い人物の与えしもの

もう一つ、かの作家氏の知る人物を。


少年時代の彼を短期里親で受け入れた家庭の母親。

彼女は実に大きく深い愛情をもって、彼に接した。

あたかも自らの子女に対するも同然というほどに。

彼女の夫は、裁判所職員であったが、本人は主婦。


彼女はいくらかパートレベルの仕事はしていたようであるが、

自ら働きに出て大きく稼いでいたわけではない。

その家を守る、縁の下の力持ちと言えば聞こえはいいし、実際そうだった。

だが、その分、社会性という点ではその狭さが際立った。


彼女の社会の狭さは、かの少年もやがて肌身で感じとった。

そこから、彼の親離れが始まったのである。

彼女の大きく深い愛情など、もはや必要ないところまで育った少年。

そんな少年を、彼女は我が方に取込もうとさえしていた。

その大きく深い愛情の海に。


だが、そんな意図は結果的に徒労に終わった。

無理もないだろう。

彼が生きていくのは、片田舎街のその家ではないからな。

それは彼が大学に現役合格した時点で、明白になった。


それでも彼女は、まだあきらめきれていなかったのか。

やがてかの少年は、あっさりと、その「母親」のもとを去っていった。

それが証拠に、かの家が郊外に移転後、彼はその母に面と向かって会っていない。

電話では、何度か話している。だが、それだけであった。


彼女は、自由とは名ばかりの自由の森にとらわれた少年に、

大きく深い愛情=母性 を与えた。

彼女の世の中の狭さは、やがて彼をしてその地を離れる最大の要因となった。

だが、それでいいのである。

彼女は、彼女の役割を果し切ったのであるから。


かくしてかの元少年は、自らの役割を果すべく、今や作家として活動している。

これでいいのだ。そう。これでいいのだ。

ってこと。


へびのあし

もし彼女が世の中の広い人だったら、こうはなっていないだろう。

良きにつけ、悪しきにつけ。

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