第15話 日向さんとの……
もちろんやるべきことを片付けていること前提だ。
電波時計が18時を指し示すと同時に俺は「お疲れ様でした」と言って部屋から出た。その間10秒ほどだろうか。
毎日こんな感じで帰れば『すぐ帰る奴』としてイメージが固まってしまうだろうけど、たまになら「今日は何か用事があるのかな?」と思ってくれるに違いない。
まあそれ以前に俺がいつ帰るかなんて誰も気にしてないだろうけど。
帰り際に如月の「ちょっ……!」という声が聞こえたような気がするけど、気のせいにしておこう。
俺がなぜWeb小説を読むためだけにこんなにも急ぐのか。それは如月の推しWeb小説の作者が
理由としてはやっぱりあの慌てようだ。如月がタイトルを口にした瞬間に、盛大に水筒を倒してテーブルがお茶でびっちゃびちゃになったこと。
それに如月が熱弁している時に終始恥ずかしそうに聞いていたことも、その説を後押ししている。
うーん、ちょっと弱いか? 「で? それだけ? それだけで変な疑いをかけるの?」と言われたら「すんませんでした」と即謝るしかない。でも如月ならともかく、日向さんはそんなことは言わない。
帰宅した俺はカップラーメンで腹ごしらえをしてから、ベッドでスマホから大手Web小説投稿サイトを開いてあの作品を検索した。
無事見つけられたので早速読んでみる。俺は悪役令嬢ものでもアニメなら結構見ている。
——なるほど、確かに面白い。如月も言ってたけど、主人公の女の子に唯一優しくしてくれたイケメンが実は王子だと、序盤で読者に明かされるから主人公はもちろん、視点を変えてイケメン王子の心の動きも丁寧に描かれている。
気がつけばかなりの時間が過ぎていた。俺は高評価ボタンを押してから寝る準備に入った。
翌日。さて、日向さんにどう話を切り出せばいいのだろうか。「話がある」と言えば重くなる。かといって、みんながいる前で話すのは配慮に欠ける。
考えた末、昼休みを一緒に過ごすという結論に至った。もう慣れたのだろうか、俺は日向さんを昼休みに誘うことに何のハードルも感じなくなっていた。
「日向さん、急な誘いにのってくれてありがとう」
「何言ってるんですか先輩。誘ってくれてありがとうございます!」
今日も日向さんは元気な笑顔だ。そんな日向さんの謎を暴くみたいなことを今からしようとしていることに、俺は後ろめたい気持ちを消すことができなかった。
「昨日如月が推してたWeb小説を俺も読んでみたんだよ」
黙って聞いてくれている日向さんに変わった様子は無い。
「そしたら面白くてさ、定時ダッシュして一気読みしても最新話に追いつけない程じっくりと時間をかけて読んでいたんだよ」
「昨日すぐに帰ったのはそのためだったんですね」
「そうだね。でさ、その作品の作者なんだけどね——」
「嬉しいです!」
「えっ?」
「そんなにも丁寧に私の作品を読んでくれたなんて、書いてよかったです」
意外なほどにあっさりと認めた日向さん。この時の俺はどんな顔をしていたのだろう。
「私があっさり認めたことが意外でしたか?」
完璧に見抜かれてしまっていた。
「私もですね、昨日の水筒を倒してしまったタイミングが分かりやすすぎて、自分でもちょっと笑っちゃったんです」
ちょっと笑ったという話を恥ずかしそうに話す日向さん。
「私でもそう思うのに、先輩はきっと気付いているんだろうなって」
「そうだね、水筒を倒したタイミングは完璧だったよ」
「先輩! いじわるですね」
「じゃあ今日俺がこの話をすることには?」
「多分そうなんだろうなと思いました」
「俺も結構分かりやすいのかな」
「私も先輩のこと見てるんですよ」
日向さんと目が合った。吸い込まれそうな瞳とはよく言ったものだ。
「先輩と映画に行った日のこと覚えてますか?」
「もちろん覚えてるよ。先週だね」
「あの時、先輩が私に『日向さんは小説を投稿してる?』って聞きましたよね。先輩が読みたいって言ってくれた時、私、断ってしまって」
確か「それはダメです!」って勢いよく断られたんだっけ。
「今にして思えば、いろんな人に読んでほしいから小説を投稿してるのに、断るなんて変な話だなって。なんだか先輩にだけは知られたくなかったんです」
少し
「私、それがずっと心に引っかかっていて。先輩に申し訳なくて。でも今日話せてよかったです」
「そっか。Web小説を書いてるからってバカにしたりはしないよ。話してくれてありがとう」
「先輩との『二人だけの秘密』がまた一つ増えましたね! そんなわけでこれからも『嫌われ令嬢は魔王を倒して完璧王子と結婚したい』を応援してくださいね! あー、すっきりしたー!」
そう言って「うーんっ!」と伸びをする日向さん。その表情はいつにも増して晴れやかだ。
俺の何気ない質問が日向さんを悩ませていたのかと思うと、いたたまれない。
それと同時に日向さんとの『二人だけの秘密』がまた一つ増えたことを素直に喜ぶ俺がいた。
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