第10話 キサラギサン

 今日から入社する女性の席が俺の隣になり、俺が仕事を教えることになった。

 彼女の名前は如月きさらぎさん。茶色がかった髪色のふわっとしたポニーテールで、凛々りりしく端正な顔立ちをした美人だ。


 男なら喜んでしまいそうなシチュエーションだが、俺の口から漏れた言葉は「えぇ……」だった。一方の如月さんは俺を見て驚いている様子だ。


「ヨロシクオネガイシマス、キサラギサン」


「ハイ、コチラコソ!」


 お互いガッチガチに硬いあいさつを交わす。だがこれは緊張しているからではない。


 何から教えるべきだろうかと俺が考えていると、如月さんが主任のところへ行き何やら話している。

 そしてこっちに戻って来たかと思ったら、俺の長袖ワイシャツの袖を親指と人差し指だけでつまんだまま無言で部屋の外へと出て行こうとする。仕方がないので俺もそれに合わせて部屋の外へと出て行った。


 如月さんはまだ建物の中を知らないから、俺のワイシャツの袖をつまんだまま闇雲に人気ひとけの無い所まで進んで行く。

 そして周りに誰もいないことを確認すると俺にこう聞いてきた。


「なんでアンタがいるのよ!?」


「それはこっちのセリフだ」


 実は如月さんとは初対面ではない。幼なじみでもない。ではどこで会ったのかというと、異世界だ。俺は異世界で如月さんと会っている。それどころか同じ冒険者パーティーで活動していたことがある。


 そして如月さんは俺が異世界に召喚された時にはすでに有名人だった。数々の武勲をあげて最も勇者に近い人物として注目されていたからだ。


 どうやら勇者にも適性というものがあるらしく、如月さんは火・氷・風・雷・光といった属性魔法を全て使いこなせていた。中でも唯一無二だったのが回復魔法を使えるということだった。普通は回復薬に頼るしかない。


 それでいて剣技も使いこなすという、まさに理想的な勇者像だ。戦闘能力だけならば。


 しかし性格に難あり。戦闘ではとにかく敵に突っ込んで力でゴリ押しするという戦闘スタイル。五人でパーティーを組んでいるのに、一人だけ作戦が『ガンガンいこうぜ』で固定されているのかと本気で疑った。


 一度だけ「なぜ危険を顧みず敵に突っ込んで行くのか?」と質問したことがあり、その時に返ってきた答えは「回復魔法で治せばいいでしょ」の一言だった。


 それを聞いた俺はこいつはやべぇ奴だと思ったことを今でもよく覚えている。


「私は求人票を見て応募しただけよ」


「俺は大学を卒業してからずっとここで働いている」


「言っとくけど私は敬語なんて使わないわよ。25歳で同い年なんだから」


「あれ? 如月って21歳じゃないのか? 異世界で冒険者パーティーを組んでいた時にそう言ってたと思うけど」


 俺がそう言うと如月は何やら必死な表情でこう言った。


「う、うるさいわね! 21歳も25歳も四捨五入すればどちらも20歳だから変わらないでしょ!」


「25歳は四捨五入したら30歳だろ……」


 これくらいのサバ読みは別にいいんだが、これの何が悪いかって実際に21歳と言われてそう見えるんだから困る。事実俺は今までそう思っていた。それくらい如月は容姿端麗なのだ。


「まあ別に21歳に見えるからいいんだけど」


「なっ! ちょっ……!」


 慌てふためく如月。異世界にいる時ですらこんな姿見たことなかったぞ。


「そ、そうね。普段からのケアの賜物たまものかしらね。アンタもスキンケアくらいした方がいいわよ」


「俺はいいよ。面倒だから」


「ダメよ。シミはできてからじゃ遅いのよ。アンタだっていつまでも若く見られたいでしょ」


「それはまあそうだけど」


「私がおすすめのスキンケア用品を選んであげるわ」


「分かった、今度頼むな」


 そろそろ席に戻らないと怒られそうだ。どうやら如月は建物内の案内をしてもらいたいと主任に言って抜け出す口実を作ったらしい。


 実際は何一つとして案内できていない。しかも闇雲に進んで来たから、このままでは如月が迷子になってしまう。


 俺は小柄な如月の歩幅に合わせてゆっくりと自分の席まで戻って行った。


 みんながいる前では初対面を装わなくてはならないため、お互い敬語で話す。異世界で会ったことがありますなんて言えるわけがない。


『二人だけの秘密』というわけではなかった。日向ひなたさんも如月のことを知っていたのだ。さすが有名人。でも直接の面識は無いとのこと。


 なので、如月は日向さんが異世界帰りということを知らない。

 日向さんも異世界帰りだということは俺と日向さんだけの『二人だけの秘密』だ。これだけは絶対に守ると決めている。


 昼休みは日向さんも如月も予定があるとのことで外食に行ったようだ。俺は珍しく同期の仲間と時間が合ったため雑談をして過ごした。


 

 18時。俺が帰ろうとするとワイシャツの袖をつままれた。如月だ。


「どうした?」


「スキンケア用品を選んであげると言ったでしょ。忘れたの?」


「え? 今から?」


「こういうことは早いほうがいいの」


「分かったから袖を引っ張るなって」


 如月に続いて俺が部屋を出る間際にふと日向さんを見ると目が合った。

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