第2話 招かれた家。
僕は、小学3年生の時、クラスの“足立菌”こと足立さんを庇ったせいで好意を持たれたらしい。小学4年生では、僕が足立さんからバレンタインのチョコを貰った。だが、僕はクラスの生徒に見られないようにスグにランドセルにチョコを隠した。だから、クラスでは穏便にすませることが出来た。
そして、小学4年生の……春!4月か5月だったと思う。土曜だった。当時、土曜は半ドン。僕が下校で歩いていると、前方にトボトボと歩く足立さんを見つけた。気まずい。僕はホワイトデーで何もお返しをしていなかった。ここで無視するのも申し訳無い気がする。よし、挨拶だけしよう。
「お疲れ-! ほな、また月曜日」
すると、足立さんに腕を掴まれた。
「え?」
「崔君、今日、私の家に遊びに来てや」
「嫌や、女子と遊んだら、男子からめっちゃ冷やかされるから」
「誰にも言わへん。せやから、来て! 遊びに来て!」
「女子を誘ったらええやんか」
「私の友達、みんな今日は都合が悪いねん。でも、今日は、今日だけは1人で家にいるのが嫌やねん」
「でも……」
「私、ホワイトデーのお返し、何も貰ってへんで」
「うん、渡してへん」
「ホワイトデーのお返しやと思って、来てや」
「行ったら、ホワイトデーのお返しの代わりになるんか?」
「なる。なるから来て!」
「ほな、一度家に帰ってランドセルを置いてから行くわ」
「アカン、1回帰ったら、もう来てくれへんやろ? このまま行くで」
足立さんは鋭かった。確かに、僕は家に帰ったらそのまま足立さんの家には行かずに引きこもろうと思っていた。
足立さんに引っ張られて、僕は歩いた。
こんなところに、こんなアパートがあったのか?僕は古いアパートの2階に連れて行かれた。2階の1室、そこが足立さんの家らしかった。
「さあ、入って!」
「お邪魔します」
「誰もおらんから、気にせずに入ってくれたらええよ」
「はあ……」
「とりあえず、お昼ご飯を食べよか」
「はあ……」
キッチンのテーブルの上に、寿司のパックが幾つも置いてあった。
「なんで、こんなにあるの?」
「友達、2,3人呼ぶつもりやったから」
僕は、パック1つ分を食べた。
「ごちそうさまでした」
「漫画でも読んだら?」
「少女漫画ばっかりやんか」
「読んで見たら? おもしろいで」
「少女漫画はええわ」
「ほな、ゲームすれば?」
ちょうど、家庭用のゲーム機が普及し、みんながゲームにはまっている頃だった。だが、僕は戦略シミュレーションしかやらない。勿論、戦略シミュレーションゲームを足立さんが持っているわけが無い。では、トークを楽しめば良さそうなものだが、女子と何を話したら良いのか? 話題が思いつかない。
「僕、寝るわ」
僕は寝転がった。すると、敷き布団と掛け布団を出してくれた。いやいや、そんなに本格的には寝ないのだが……。まあ、せっかく出してくれたので布団に潜り込んだ。洗い立ての、洗剤の清潔な臭いがした。
「は! 今、何時?」
「今、6時半やで」
「あ、僕、帰るわ」
「アカン、晩ご飯食べて行ってや」
「……ほな、電話貸して」
僕は家に電話した。同級生の石田の家で晩飯を食べると嘘をついた。僕達は、残っていたパックの寿司を食べた。
「ほな、帰るわ」
「アカン、まだ帰らんといて」
「えー!何をして時間潰すんや?」
「テレビでも見たら」
僕がテレビを見ようとしたら、イヤホンを渡された。テレビを見る気がしなくなった。
「暗くなってきたで。電灯点けたら?」
「アカンねん」
“電灯もつけられないのか? もう、僕は帰る!”
と、言おうとしたとき!
ドンドンドン!
「おらああ!出て来いやおらああ!」
玄関が騒がしくなった。思わず、小声になる僕等。
「あれ、誰?」
「借金取り」
「そのままやないかい!」
「崔君、どこ行くん?」
僕はベランダまで這っていこうとした。僕の腰にしがみついて引き止める足立さん。ラグビーでタックルされているような状況だ。
「いるんはわかってるんやぞー!」
「崔君、ここ2階やで」
「2階やったら大丈夫、飛び降りられる」
「アカン、ここにいてや」
やがて、玄関が静かになった。
「帰ったみたいやなぁ」
「うん。でも、また来るかもしれへん」
「僕、帰りたい」
「お母さんが帰ってくるまで一緒にいてや、1人やと怖いから」
「お母さん、いつ帰ってくるんや?」
「明日の朝」
「お父さんは?」
「おらん」
「……わかった、電話を貸してくれ」
家に電話して、石田の家に泊まると嘘をついた。流石にしょっちゅうとは言えないが、僕が友人の家に泊まることはたまにあるので、親は外泊を許してくれた。
「崔君、これからどうする?」
「真っ暗やからなぁ、もう寝る。本格的に寝る」
僕は、また布団に潜り込んだ。足立さんが、僕の横に自分の布団を敷く。隣同士で寝ることになった。
「今日、借金取りが怖くてお風呂に入られへんけど、汚い子やと思わんといてや」
「思わへんよ」
「今日はありがとうね」
「別にええよ、ホワイトデーの代わりなんやろ?」
「うん、でも、何かお礼がしたいなぁ」
「ほな、胸を触らせてや」
勿論、冗談だった。だが、足立さんは言った。
「うん、ええよ」
座ったままパジャマの上を脱いだ。薄暗かったが、足立さんの胸はハッキリと見えた。ほんの少しだけの胸。だけど、確実に膨らもうとしている胸だった。僕は、吸い寄せられるかのようにその胸に手を当てた。柔らかい。スベスベしている。
その時、また玄関が騒がしくなった。
ドンドンドン!
「おらああ!金返せやこらああ!」
だが、僕達は2人きりの世界に入り込んでいた。だから、玄関の騒ぎなんて気にしない。気にならない。
いつの間にか玄関の騒ぎは治まっていた。そして、ふいに僕は我に帰った。慌てて手を引っ込める。
「ご、ごめん」
「ううん、崔君やからええよ」
「もう、パジャマ着てくれてもええで」
「うん」
「ほな、寝よか」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」
朝になった。今日は日曜日。足立さんが目を覚ました。足立さんは僕の側まで来て、僕の頬にキスをした。どうしよう? とりあえず、もう少し寝たフリをしておこう。そう思った。
やがて、僕も起きてトーストと目玉焼きを食べ終わる頃、足立さんのお母さんが帰ってきた。
「ただいま、1人で大丈夫やった?」
「うん、1人じゃなかったから平気やったで」
「ほな、僕は帰るわ」
「あ、崔君、ありがとう」
「また学校でな」
次の日、月曜から足立さんが学校に来なくなった。僕は気になっていたが、足立さんのことを気にしていることがわかったら、男子に冷やかされてしまう。僕は、足立さんのことを気にしていないフリをした。
そして、しばらく経って、下校前のホームルームで担任の先生が言った。
「足立さんが転校しました」
ショックだった。僕はスグに家に帰った。級友から声をかけられたような気がしたが、僕は気にせずまっすぐ帰った。帰ると、自分の部屋のベッドに潜り込んで、声を押し殺して泣いた。足立さんはあんなに苦しんでいたのに、僕は何もしてあげられなかった。僕の涙はなかなか止まらなかった。泣き疲れて眠るまで泣いた。
好きな女子は他にいたのに、大人になって、足立さんのことを思い出すことが多い。生まれて初めて、自分の無力さを痛感したからだと思う。
箱③。~ 踏みにじられた純情&招かれた家 ~ 崔 梨遙(再) @sairiyousai
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