道具
こまめに手入れをしてきたつもりだが、引っかかって、どうしても動かない。油を差してももう手遅れだ。引いても押してもなんともならない。
ずっと使ってきた道具は私の手に馴染み、ほとんど私の身体の一部だった。私の骨のように硬く、私の関節のようにしなやかかだった。
しかし私も老いた。肌の光沢はシミに変わり、動くたびに体の節々が軋みを上げる。近いうちに私は死ぬだろう。とはいえ、道具よりは長生きできたわけだ。それが幸運なことか不運なことかはわからないが。
修理を頼んだら断られた。あらゆる部品がもう寿命で、新品を買うのと同じことだという。私はあくまで修理にこだわった。しかしすべての部品を取り替えるのなら、修理しても仕方がないと私も思う。人間の細胞がすべて入れ替わってもその人はその人のままだが、道具の部品をすべて取り替えたら、それは別の道具になってしまう。
壊れた道具はそのまま仕事場に置きっぱなしにしている。道具のための墓地でもあればいいのだが。仕事仲間には愛着のあまり、道具に名前をつける人さえいるというが、私にはそこまではできない。名前をつけることで、彼らは道具との限られた時間を愛しんでいるのだろうか。それでもいつかは道具を捨てなくてはならない。燃えるゴミの日か、燃えないゴミの日か。粗大ゴミだとしたらいくら支払えばいいのだろう。ペットの遺体と同じ扱いなら保健所に持ち込むという手もある。道具が腐らないのをいいことに、私は判断を先延ばしし続ける。
道具が壊れてから、私はずいぶん怠惰になった。前は早起きだったのに、仕事をしなくなると、なかなか布団から出られなくなった。最近よく夢を見る。夢の中で私は幼く、道具も持たずに素手で世界を相手にしていた。道具と出会う前、私はどんな気分で過ごしていたのか。目を覚ますと忘れてしまう。長年道具を使ってきたために、私の手は変形してしまった。手だけではない。腕も、肩も、そして表情や心さえも。もう元の形には戻らない。私の身体は道具に最適化している。それなのに、道具がない。
人に勧められて新しい道具を買った。しかし仕事は再開していない。一度だけケースから道具を出したものの、感触だけ確かめて、すぐまたケースに戻した。それっきり、一度もケースを開いてない。最初からわかっていた。道具の死とともに、私の仕事もまた死んだのだ。この新しい道具を使いこなせるようになるにはまた数十年かかる。それは私の役目ではない。
私は道具の中に住んでいた。道具ごしに世界を眺め、道具の中で安らいでいた。道具を失った今、私の居場所はどこにもない。気がつけば、もう何十年も休息をとっていなかった。毎日毎日仕事ばかりで、見て見ぬふりしてきたものは多い。道具は私のまなざしまでも変形させてしまった。私が見過ごしてきたものたちを、この老いた目で見ることはできるだろうか。私を愛してくれた人々。彼らにはもう会えない。私の友達は道具だけだった。その道具が壊れた。
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