僕の心臓

 僕と心臓を取り替えないか。脳を取り替えてもしょうがない。記憶はそのままに、心だけを入れ替える。それだけが、僕たちに残された唯一の希望だ。


 自分のでない人生を生きている気がするだろう? つじつまは合っていても、いつもどこか他人事だ。僕たちは誰かに対して怒ったことがないし、誰かの死を悲しんだこともない。失恋したときはずいぶん落ち込んだけれど、それは恋が終わったからではなく、最初から恋なんてしてないと思い知らされたから。


 僕たちの心は痛みしか知らない。だから人を避け、誰にも心を乱されない生活を送って自分の心を守ってきた。でもそれも限界に来ているのだと僕らは薄々気づいている。僕らはずいぶん年をとった。年相応、ということもそろそろ考えなくちゃいけない。


 僕たちが生まれるとき、神様が僕らの心臓を取り違えて入れてしまった。それで僕らはこれまで他人のような人生を送ってきた。しなくてはならないことばかりしてきて、したいことなど何もない。眠りたいという欲望だけがいつもあって、消えてしまいたいといつもどこかで願っていた。


 君もそんな風に生きてきたのだろう。初めて会った時からそんな気がしていたよ。互いに対して少しも好感は持たなかったが、妙に話が合った。僕は君が妬ましかった。君が僕の心臓を持っていたから。そして君の醜い目つきもまた、僕を妬み、僕の心臓を狙っていた。


 しかし僕らは年をとり、人を妬むほどの気力もなく、朝から晩まで疲れている。今さら自分の人生をやり直そうとは思わない。ただ、自分の人生に蹴りをつけたいんだ。僕は僕として死にたい。世界が終わっていくのをたったひとりで眺めていたい。そのとき僕は君のことを思い出すだろう。僕の人生を奪った君のことを。心から君のことを憎み、そしてすぐに疲れてしまう。


 僕は言葉を探す。ずっと君と友達になりたかった。でもそれを言うのはあまりに図々しい。君に対してというよりも、僕に対して。


 心臓をあるべき持ち主に返そう。それで、僕らを結ぶ絆は無くなる。すり減った憎しみからも急拵えの友情からも解放され、僕は初めてリラックスできる。僕は目の前の風景を愛することができる。


 心臓を引きちぎる痛みもどこか快い。胸から血を垂らしながら、僕は僕の孤独を楽しむ。風景が真っ暗になっていく。僕の心臓が止まる。

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