散歩、日傘を差す女性

 風景の中を散歩する母と子の姿は小さく、まるで二匹の虫のようだ。私は手を振る。しかしふたりは振り返さない。向こうから見ると、きっと私も虫のように小さい。


 あの風景を覚えている。日に照らされたあの草原、そして空にたなびく煙を、私は確かに母とともに見た。母は美しく、私は快活だった。私たちはあれからすっかり変わってしまった。この距離は、私たちを風景にする。


 どこかで新しい家が建てられている。トンカチの音は青空の下で乾いた咳のようにすみやかに消えていく。新興住宅地だったこの町は昔はどこも水田だった。私の小さいころはまだいくらか残っていて、田んぼの水面に映る新しい家々は、空から吊り下がる真っ白なお城のようだった。


 もう私も母も散歩なんてしない。かつての新興住宅地は薄汚れ、田んぼはすべて宅地に変わってしまった。母は狭い庭でばらの世話をばかりして過ごし、決して外に出ようとしない。母の風景は庭に押し込められ、そこに私は入っていけない。


 風景から切り離されて、私はひとり暗いところにいる。小さな明かり窓のある屋根裏部屋みたいなところで、ずっと呼吸を数えている。呼吸だけが私が今ここにいる証拠だ。誰も私の方を見ない。その無関心に私は安らぎ、そして死への一本道をひたすらに歩いていく。


 生きている者にとって死は無限に遠い。この遠さが風景を生み、私は限りなく思い出す。あったこともなかったことも関係なしに。私はふたりに手を伸ばす。そして届かないことを確かめる。記憶もまた、無限に遠い死なのだ。


 どんな風景を見ながら死にたい? これが無意味な質問であることは言うまでもないが、人は終わりの風景を想像せずにいられない。それは灼熱の砂漠かもしれないし、草一本生えない荒野かもしれない。願わくは、どんな風景であっても後ろに青空が広がっているといい。雲ひとつない青空は青が濃密に塗り込められ、宇宙のように暗く、手を伸ばしても決して届くことはない。しかしいつかはそこへ帰っていくのだ。


 地球の風景はやがて消える。すべての人が死に絶えて、その風景を思い出す人もいなくなる。だがそんな事実は私にとってはどうでもいいことだ。何もかも忘れてしまっても、いつも思い出す風景がある。そこで私は今も幼く、母は綺麗な肌つやをしている。ふたりの後ろには暗い青空が広がっている。青がふたりを飲み込もうとしている。記憶までも飲み込むように。


 やがてすべてが青になる。私は何も思い出せなくなり、風景が終わる。

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