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二足歩行のビーグル犬がやってきて

僕の家のドアをけとばす

それがノックのつもりなのだ

犬にノックされても開ける義理はないが

うっかり開けてしまったのが運の尽き


ビーグル犬は空き缶を僕に差し出す

空き缶には汚い紙切れが貼ってあり

のたくる字で

「ちょこちっぷくっきー ぷりーず」

と書いてある


自分で書いたのかい?

僕は訊ねる

ビーグル犬は肩をすくめる

犬に肩なんてあったのかと僕は驚く


あいにくチョコチップクッキーは切れていた

僕は事情を伝えてドアを閉めた

しばらくすると

彼はまたドアをけとばし始めた


勘弁してほしい 今週はさんざんだったのだ

無意味な会議で予定が次々とつぶされ

締め切り仕事に間に合わせるため会社で徹夜した

休みの日くらいゆっくりしたい


音がやんだ

ようやく帰ったか

そう思ってドアを開けたのが運の尽き

ビーグル犬はまだそこにいた


彼は芝生の上に何やら材木を並べていた

赤と白のペンキ缶がひとつずつ

それに刷毛まである


そういえば僕が子どものころ

親父が鳥の巣箱を作ったことがあったっけ

あのときの親父と同じように

ビーグル犬は芝生の上で背を丸めて座り込んでいる


こいつは自分の犬小屋をつくろうとしているのだ

僕は急にそれに気づいた

そしてそれがうまくいかないこともすぐわかった

材木は厚さも太さもばらばらだし

ノコギリもトンカチもクギもない

僕はビーグル犬にそう忠告した

彼は僕をちらりと見上げ すぐに目をそらし

芝生にちらばるガラクタをまたぼんやり眺めた

あたりを小さな黄色い鳥が飛んでいた

まるでメロディの余韻のように


僕はため息をつき

家に戻って着替え また家を出た

芝生を横切るとき ビーグル犬は

「信じられない」

という顔で僕を見た

信じられないのは僕の方だ


ホームセンターに必要なものはぜんぶ揃っていた

材木もノコギリもトンカチもクギも

おまけにチョコチップクッキーまであった

僕はそれらをカゴに入れ会計を済ませた

領収書もちゃんともらった


買ってきたものをビーグル犬に差し出すと

彼の両耳がぴょんと上に立った

そしてチョコチップクッキーを立て続けに五枚食べると

新しい材木を並べてトンカチ仕事を始めた

僕は彼の小さな肩をトントンと指で叩き

けげんそうな顔で振り返る彼に領収書を差し出した

ビーグル犬はしばらくそれを眺めた後

何も言わずまたトンカチ仕事に戻った

僕はため息をつき 家に戻った


別会計で買っておいたビールを僕は飲み始めた

ジャーキーをつまみにして

トンカチの音と

彼のぼやき声のようなものを聴きながら


犬ならジャーキーが好物だろう

そう思ってついでに買ったのだが

改めて考えると彼がジャーキーを食べるとは思えない

彼の嗜好は十歳の少年に近いと思う

犬ではなく人間の


酔いが回ってきて僕はソファに横になった

ジャーキーだけではお腹が膨れない

冷凍食品のピラフがあったはずだ

レンジで温めるだけでいい

なのに立ち上がるのがおっくうだ


ビーグル犬もお腹を空かせているだろうか

チョコチップクッキーだけでは足りないだろう

彼はピラフを食べるだろうか


僕は何を心配しているんだ?


考えを振り払い眠ろうとした

しかしなかなか眠れなかった

トンカチの音がやまず

僕の頭の中で犬小屋は着々とつくられていった

とても大きな

まるで小山のような犬小屋だ

そのてっぺんで彼が作業をしている

ザイルとハーケンで安全を確保して

ときどき手を休め

空を眺めながらレモネードを飲む

いつしか僕も彼の隣に座り

一緒にレモネードを飲んでいる

甘ったるい 子どもが小遣い稼ぎでつくるようなやつだ


犬小屋からあたりを見下ろすと

子どもたちの姿が見える

子どもたちは野球をしている

子どもたちはレモネードを売っている

子どもたちは人生について語り合っている

子どもたちはさんざんな一日を嘆いている


僕とビーグル犬はそんな彼らをただ眺める

何の感想もなく

良いとも悪いとも言わず

そして黙ってレモネードを飲む


君の名前はなんて言うんだい?

僕は訊く

彼は何か言う

しかし何と言っているかわからない

言葉というより うがいのようだ

黄色い鳥があたりをふらふら飛んでいる

上空の強い風に流されながら


じゃあ僕が君の名前をつけてあげるよ

僕は言う

彼は肩をすくめる

ご自由に

そう言っているようにみえた


空を眺めながら僕は彼の名前を考える

最初は犬らしい名前を考えていたが

いつしか人間の名前を考えていた

野球に出かける10歳の男の子を呼び止めるとき

僕は彼に何と呼びかけるだろう?


僕は彼をその名前で呼ぶ

彼は犬らしからぬ声で返事をする

小さな黄色い鳥が余韻のように飛び回る

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