60
この部屋はずいぶん寒いな
ストーブが壊れているんだ
さっきまでガンガン部屋を暖めていたのに
今はうんともすんとも言わない
毛布はあるけどずいぶんペラペラだ
これじゃ毛布というより膝掛けだ
ないよりはましだが
寒さをしのげるわけじゃない
別の部屋に移ろうか
暖房がしっかり効いていて
ふかふかの毛布とベッドのある部屋に
でもそうやってたどり着いたのがここなのだ
また部屋を移っても
今よりよくなる保証はない
電話はある
しかしつながらない
ずっと話し中なのだ
クレームが殺到しているのかもしれない
それはそうだ
こんな対応をされれば
どんな穏やかな人だって頭にくる
おなか空いたなあ
外に何か食べに行きたいが
どうやって外に出ればいいかわからない
ここまで来た道順は忘れてしまった
恐ろしく複雑に道が入り組んでいて
案内の矢印もない
途中までは覚えようとしたが
すぐに諦めてしまった
隣からかすかに声がする
いびきのようでもあるし
笑い声のようでもある
聞き耳を立ててみるがどうもはっきりしない
思い切って部屋を出て
隣の部屋の前に立つと
力を込めて三回ドアをノックした
まるで不正に抗議するように
しかし返事はない
何の物音もしない
少しためらってからドアノブを回す
鍵は掛かっていなかった
ドアを開く
中には誰もいなかった
さっきとまったく同じつくりの部屋だった
暖房は効いてないし
ぺらぺらの膝掛けみたいな毛布があるだけ
近くの部屋のドアをかたっぱしからノックし
そしてドアを開けた
どれも同じつくりの部屋だった
それぞれの部屋から毛布を一枚ずつ集めていって
五枚ほど重ねて体にかけた
無いよりはましだが
暖かいという感じはしない
体が冷えて熱を発さなくなってきているのだ
誰の部屋ともわからない部屋で壁にもたれこみ
毛布に包まれたまま目をつぶった
ここが誰の部屋でもどうでもいい
どうせどれも同じつくりだし
注意する者もいないのだ
部屋には部屋番号もついていない
部屋は部屋というよりも
「部屋」という抽象概念のようだった
自分の肉体が死につつあるのを感じていた
古い倒木のように乾ききり
すべての細胞が呼吸を止めつつあった
それなのに意識は明晰だった
このまま意識と体がきれいに分断されれば
最後には幽霊になるのだろうか
また電話をかけようと思った
受話器がなくても電話くらいかけられる
目をつぶったまま
心の中で受話器に手を伸ばし
電話をかけるのだ
それで相手とつながる
そんな確信がふと生まれ
電話をかけてみると
本当にかかった
相手は口ひとつ聞かなかった
しかし息づかいが感じられ
そこに誰かいるのは明らかだった
その息づかいは
眠っているようでもあり
何かを恐れているようでもあり
怒りに震えているようでもあり
不眠に苦しんでいるようでもあった
それは私だった
すべてが同じ部屋なのなら
向こうにいるのもまた私だ
私の眠り
私の恐れ
私の怒り
私の不眠
私とまったく同じで
目新しいものは何もない
私は「私」という抽象概念だった
熱を発さず
肉体を持たず
ただただ空虚で
沈黙していた
私は沈黙を吸い込んだ
そして沈黙に吸い込まれた
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