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小説を書いてるんだってね

君がそんなことしてるなんて

ちっとも知らなかった


君は本なんて読まなかったし

人と口を聞くことさえ滅多になかった

作文はいつも白紙で提出して

職員室に何度も呼ばれてたっけ

そこでも君はだまりこくっていたんだろう

先生もしまいに諦めて

やがて君は呼び出されなくなった

みんなから放っておかれて

ぽつんと席に座っていたっけ


君にとって僕らはいないのと同じだった

僕らにとって君はいないのと同じだった

君は君だけでそこにいた

無害な幽霊のように


君は今も幽霊なのかい

さっきから何もしゃべってないね

物音ひとつ立ててない

ひょっとしてもう死んでるんじゃないか

死人が書いた小説ってどんなのだろう

ちょっと読ませてくれないか

今日はそれでここに来たんだ


君に奥さんがいたなんて驚いたよ

お茶を運んできてくれたさっきの女性だよ

あるいは奥さんでなくて妹さんかな

君にずいぶん似ていたし

彼女も口を聞かなかったな

物音ひとつ立てずに入ってきて

だまってお茶を置いて出て行った


ここは本当に静かだ

僕の声だけが響いている

僕がだまったらこの空間も消滅するんじゃないか

そんな気がして

僕はせっせと空間を言葉で満たしている


君もそうなんじゃないか

だから小説を書くんだろう

せっせと糸をつむぐ盲目の老婆のように


なあ

君の小説を読ませてくれないか

ここはさびしいよ

ここには僕の言葉しかない

だんだん言葉がすり切れて

悲鳴のようになってきた

もう話すことが何もないんだ


僕はくるしいよ

君としゃべりたいことなんて何もないのに

この家を出ることもできず

言葉をすり切らしているんだ

僕の体もすり切れていくようだ

このさびしい空間で

言葉は僕の体そのものだから


君の言葉がほしいよ

しゃべりたくないなら黙っていていい

ただ君の原稿用紙を渡してくれたまえ

何も言わずにだまって読むから

君がこの世界をどんな風に見ているのか

僕に教えてくれないか


ここには色がないよ

君の言葉で色づけてくれないか

僕にはできないよ

僕の言葉には色がない

君の言葉が必要だ

色は言葉を交わすことで生まれる

僕はそう信じている


さっきの人

やっぱり君の奥さんなんじゃないか?

君にお似合いの女性だ

まるで静かな湖畔のよう

色のある世界から閉め出されているのは僕ひとりだ

本当に孤独なのは君でなくて僕だ


僕が消えていく

言葉はもう尽きてしまった

君は最後まで小説を読ませてくれなかったね

うん

それでいいと思うよ

君の小説は君だけのもので

僕は僕の小説を書かなくてはならない

でも

僕には何も書けないんだ


知ってたかい?

僕はもういないんだ

どこにもいないんだ

僕の言葉はすり切れてしまった

読みたかったな

君の小説

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