38
あなたの顔は覚えてないのに
「好き」だけが残っている
あなたと歩いた道にも
あなたと座った河原にも
あなたと休んだカフェにも
「好き」の姿が
ぼうっと青白く立っている
まるで消えることを許されない亡霊みたいに
「好き」と相席してみた
カフェでコーヒーを二杯注文して
一杯を「好き」の前に置いた
「好き」はコーヒーを飲まなかった
「好き」には口がないから
しかたなく私ひとりでコーヒーを二杯飲んだ
私は「好き」にささやきかけた
もう眠っていいんだよ
暗いところに行って
二度と誰も好きにならないでいいんだよ
でも「好き」には何も聞こえていないようだった
「好き」には耳がないから
「好き」はあなたのいた席のあたりをじっと見ていた
「好き」には目がないというのに
「好き」はまだ
あなたのことが好きなのだろう
「好き」一号はそんな感じだった
*
私は河原に行って
「好き」二号にも会ってみた
なぜこんなところに昔の私たちは来たがったのだろう
腰を下ろしたらスカートが汚れてしまう
寒いし殺風景だ
若い人たちの考えることはわからないな
私は苦笑いした
「好き」二号はまだ若いのか
汚れるのも気にせず腰を下ろしていた
腰もないくせに
と言いたいところだが
体を屈曲させたところに
腰のようなものがあるように見えた
私は平たい石を拾い
川面めがけて投げた
手持ち無沙汰なときあなたがよくしていたように
石は水面を跳ねることなく
どぼんとしぶきを上げて沈んでいった
円盤を飛ばすように
サイドスロー? というのを試してみても
やっぱりどぼんと沈むのだった
河原なんかに来て何が楽しかったのだろう
ぜんぜん思い出せない
でも
「好き」二号はまだそこにいた
もしかしたら
あのころの私も河原が好きでなかったかもしれない
スカートが汚れるのを気にして腰を浮かせ
あなたがやたらと石を投げるのを眺めながら
あなたのことが好きだったのかもしれない
そういうことなの?
私は「好き」二号に訊ねた
「好き」二号はうなずくでもなく
じっと川面を見ていた
よく見ると
少し腰を浮かせていた
私は思わず笑った
*
最後に
私は「好き」三号に会いに行った
「好き」三号はまだ観覧車の中にいた
あのときからずっと
こうしてぐるぐる回っていたのだろう
私は「好き」三号のことが少し気の毒になった
観覧車で告白とはずいぶんベタだね
私は皮肉っぽい口調で
向かいに座る「好き」三号に話しかけた
「好き」三号は何も言わなかった
告白されるって気づいたとき
なぜか自分の方から告白したくなることがあるよね
あるある
相手が黙っているので
私はひとりでつまらない掛け合いをした
観覧車がてっぺんまで近づいた
とくにいい景色でもなかった
私はあくびをした
なんでこんなところに連れてきたの?
とあなたをなじるように
気がつくと
「好き」三号は消えていて
私ひとり観覧車に残された
観覧車が下降するあいだ
あなたはずっと黙っていたっけ
あなたの告白を私が断ったから
OKしたとしても同じことだったと思う
あの恋はすでに終わっていた
まだ始まってもいないのに
先がすっかりわかっていた
私は観覧車を降りた
空の観覧車が再び上昇を始めると
「好き」三号の姿がまた現れた
ああして明滅をつづけるのだろう
昇っているあいだはまだ「好き」なのだ
下降することのない
永遠に上昇する観覧車があればいいと思う
あなたはまちがった場所ばかり選んでいた
カフェも河原も観覧車も
「か」で始まる場所は縁起が悪いのだ
まあ
今さら言ってもしょうがないけど
何しろ若かったしね
あなたもそうだし
私もそうだった
間違ったことをたくさん言って
間違った受け答えをたくさんした
「好き」一号
「好き」二号
「好き」三号
あなたとはつきあいもしなかったのに
この「好き」たちは
どうしてまだ残っているのだろう?
ちゃんとつきあって
そして別れた人たちの分の「好き」は
きれいさっぱりいなくなったというのに
私は今でもあなたのことが好き
なのかな
それでもあの判断は間違ってなかった
もしあの観覧車でOKしてたら
私たちはすぐに別れたろう
そして「好き」はひとつも残らなかったと思う
だって私は
観覧車で告白するような男の人と
どんな顔してつきあえばいいかわからないから
うまく行く見込みはゼロだった
私にはわかっていたけど
あなたは何か勘違いしていたみたいだね
その勘違いの無い分だけ
私の方が大人だった
でもそれはちょっとの違いにすぎない
あなたもすぐに気づいただろう
そしてその時にもう一度会っていたら
私たちはどうなっていたのか
そんな妄想をひとりで弄んでいる
私は老いて
どんどん孤独になっていく
今でも私の友だちでいてくれるのは
あなたへの「好き」だけ
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