暗室・擬態

 ――ふと、俺は思い出す。


 トモから、SNSに興味があると聞いたとき。

 活動をする参考にと自分の両親に帰省きせいがてらに直接相談をしていた。


「自分の作品を載せたいのなら、辞めた方が良い」

 

 タイポグラフィックデザイナーである父親は、開口一番そう言った。


「長年見てきたけれど、アナタはモノの本質が見えていないのよね。奥行きに構造こうぞう、対象への観察眼が生まれた時から欠落けつらくしているとしか思えないの」


 母親は個展をいくつも開いているアーティスト。

 

 二人とも俺の話をしぶそうに聞いていたものの、トモの絵を見ると感心したように声を上げた。


「なるほど。この絵は埋もれておくには惜しいな」


「ふーん。この子はアナタと違って、人をきつける才能があるわ。知り合いのギャラリーにも紹介しようかしら」


 シビアにして、リアリストの両親。

 ポートフォリオ用にと、俺が撮影したトモの作品に二人はそう評価をくだした。


「一般の目にも留めておいたほうが良いだろう、彼女のためにも…」


 ――それは、しくも一年の夏休みのこと。


 その数日後、俺はロゴマークの結果を聞かされた。



「…才能もないのに美大を選んだせいで、俺たちは道がせばまっちまった」


 度重なるストロボの光から逃れるため、俺は床をいつくばる。


「他の道もあったかもしれないのに、俺たちは親が通ってきたレールを進もうとし、何の成果せいかも経歴も無いままに、諦めながら生きることだけにシフトしていく」


 必死に床を進む俺に「なあ、そんなの不幸だろ?」と、語りかけるヨウジ。


「ひどいよなあ。ここのような環境の整ったカメラ部屋にいたって、今の俺には何の意味もない場所になってしまっている…」


 バシュッと響く、ストロボ音。


 ――その瞬間、回復しかけた俺の視界で大量のコードがわだかまる影が見えた。


「お前、俺がシャッターを押すと見えなかったか。記憶があらわにならなかったか?」


 俺はヨウジの言葉には耳を貸さず、必死に下を向きつつ手で床を探る。


「ソノザキもそうだが…なぜ、俺が苦手とする人間は自分の過去を隠すんだろうな」


 長く伸びるスパゲティコードの影が、首を傾げるように向きを変えた。


「どんなに隠しても、いずれはあらわになって自分を追い込むだけなのに。だったら、あらかじめさらして、必要な位置フレームに収まったほうが良いはずなのに」


「――必要な位置って、どういうことですか?」


 俺の問いに「そりゃあ、俺たちとのみ分けさ」と、ヨウジは答える。


「視界に入ることも嫌だ。同じ賃金なら、さらに嫌だ。俺たちをイラつかせたくないためであったら病院に行かせる時間も惜しくは無い」


「…相手に強要きょうようすることが正しいと?」


 俺の手が次第に怒りで震えてくるなか「――実際。俺が三年も職場で無事に働けているのは、それを認められているという証拠だから」と、しれっと応えるヨウジ。


「俺らには自由がない。そうなると向こうは余計に自由になる権利はない…当然だ」


「どうして、そんな差別的さべつてきな思想ができるんですか!」


 俺はヨウジに声を上げ、とっさに床にあった取手とってをつかむ。


 …それは、床下収納ゆかしたしゅうのうの扉。

 熱を感じるその取手を、俺は一気に引き上げる。


「そんなことで回る、世の中のほうが間違っている――それにヨウジさんがいる環境も、都合を整えたところで本当に満足できるものとなったんですか?」


「あ?」


「――俺は、俺のたい場所。トモのところに行きます!」


 開いた先の暗闇くらやみに、身をおどらせる俺。


「親父は俺の別の才能を見抜いていた…トモは、もっと露骨ろこつに口にしていた」


 ――そう、フラッシュバックの後で俺は思い出していた。


 帰省時にトモのポートフォリオを見せた日の夜。

 父親と母親が、二人だけでしていた会話。


(本当にセンスだけなら問題ないのにね。撮った写真も悪くはないのだから)


(そうだな、美大で学べるのは絵だけじゃ無い。選択肢も多い方が良いからな)


 …俺を、美大に上げてくれた両親の真意しんい

 それに気づいたのは、つい先ほどのことであった。



 ――頭上で遠くなっていく赤い光。

 床に落ちると構えたものの、柔らかい足元に着地する。


「あ、ムーさん。どこに行ったかと心配したじゃん!」


 途端に抱きついてくるトモ。

 近くにはソウマ医師の姿もあったが、二人の動きがなんだか鈍い。


「…来たとしても、状況的にマズいことに変わりはない。見てごらん」


 つられて下に目を向ければ、腰ほどに積もった綿埃わたぼこり


 密集したそれらは粘着質ねんちゃくしつなものへと変化し、近くには胞子から成長したものか、複数のトルソーが固まって生えている。

 

「――僕らは、あの上から連れ込まれたんだ」


 高い天井に懐中電灯を当てるソウマ医師。

 見れば、そこはホテルの会場と思しきところであり天井の一部に穴が空いていた。


 そこに『ヨウジ、ヨウジ。またお客さんが来たわあ!』と声がし、とっさにソウマ医師が電灯を向ける。


『やだ、何なの。明るすぎるから向けないで』


 ――そこにいたのは、ヤエコと呼ばれていた女性。


「…アレ、なんですか?」


 俺は、女性の下半身から伸びた先を見て息を呑む。


 ――部屋の中心。布で囲われた巨大な天蓋てんがいが設置され、内側に何かいるのか淡い光の中で影がうごめいている。


『ひとり、ふたり、さんにん』


『ミシンの数が足りないの、ねえ。足りないから取ってきて』


『もう少しで、服が一枚えるわあ』


 ぐねぐねと空中を泳ぐのは四人のヤエコの上半身。

 ――それらは、すべて中央天蓋の四方から伸びている。


『ヨウジ、何をしているのよお』


 ヤエコの伸びた上半身のひとつが壊れた天井へと潜り込んでいく。


「まるで、人を引き寄せるための罠だわ」


 開いていたクロッキー帳を畳む、トモ。


「で、ヨウジさんはどこなのさ?動けないから、クロッキーも終わっちゃったし…」


 トモがそう言い終えないうちに周囲に軽い振動が起き、俺の背後に光が指す。


「大丈夫か、助けに来たぞ!」

 

 見れば、空中の扉からヨウジの姿。


「あ、ヨウジ。探したんだぞ。今までどこに行っていたんだ!」


 先に声をあげたのは、他ならぬソウマ医師。

 ついでヨウジは奥を見るなり「うわ、なんだあれ」と四体のヤエコに声を上げる。


「ヤバいな。外に出る道を探していたんだが、急いで引き上げよう」


 手を伸ばすヨウジに「…あれ、お前の名前を呼んでいるんだが?」と四人のヤエコを見ながら問う、ソウマ医師。


「知らん、あんな化け物初めて見た」


 その言葉に安心したのか、手を伸ばそうとするソウマ医師。


「――ちょっと、待ってください!」


 やっとのことで粘着質な足元から移動した俺は二人のあいだに割り込む。


「ヨウジさん。さっきまで、俺を写真の現像室に連れ込んでいましたよね?」


 その質問に「はて?」と首を傾げるヨウジ。


「知らんぞ。俺は、ボタンを押して自分の時間軸に戻ろうとしたんだが。その直後にここに迷い込んでしまって…そうなると」


 つと、ヨウジは天井を見る。


「まさか、駅の階下にいる化け物と別の場所で遭遇したのか?」


「駅の階下?」


 困惑するソウマ医師に「――人の記憶を探って相手をおびきよせる化け物がそこに巣くっているんです」と、答える俺。


「見分けるためには手を見ることが重要で…そうだ。全員手を見せてくれます?」


 とっさに思いつくことがあり、俺は両手を前に差し出して全員に指示する。


「え、こう言う感じ?」


「これで良いのか?」


「こんな非常時に…」


 俺も含めた四人の手。

 全員の手には寸分の狂いもない模様。


「大丈夫じゃん。早くヨウジさんに引き上げ…」


 そこに『いや、偽物だ』と模様の延長線として文字が浮かぶ。


 浮かんだのは俺とトモ、ソウマ医師。

 …無いのは、たった一人。


『嘘をつくのが下手だな。こちらを取り込んだ時に、模様の形状までは把握はあくしていたようだが――まあ。を呼ぶまでの、単なる時間稼ぎか』


 ついで、ヨウジの顔が無表情になり、扉ごと消える。


(…嘘つきと呼ぶなよ。情報共有が遅れた結果だ)


 ヤエコと最初に遭遇そうぐうした部屋でも聞こえた、ヨウジの声。


『彼らは、すでに人ではない』


 俺たちに注意喚起ちゅういかんきをする、腕の文字。


『親子共に空間移動に巻き込まれ。その時点で人で無くなってしまっているからな』


 

 ――またもや、変わる景色。


 そこは、無人の駅中にある階段。

 階下に飲み込まれようとする女性の手をヨウジが取ろうとしている。


「母さん、すぐに助ける…何なんだよ、これ!」


 階下にわだかまる、なんとも形容しがたい物体。

 女性はその物体にほぼ全身を飲まれ、身動きが取れなくなっていた。


「母さん、母さん…」


 必死に引き上げようとするヨウジ。

 もはや、物体から出ている彼女の体は腕一本のみ。


「かあさ…!」


 その瞬間。物体から無数の女性の腕が生え、ヨウジに襲いかかる。


『…学習したのさ』

 

 見れば、俺の肩でドット絵が腕を組んで見ている。


『あの菌類は集合することで知性を得る。分解した生物と同じ器官へと化けることもできれば、ああして同じものを大量に複製することもできる』


「――となると、ここはまた記憶の中か?」


 俺はだんだんと慣れを感じることに不快感を感じつつ、ドット絵に問いかける。


「でも、その理屈だとこれは…」


 そこで、俺の顔を見つめるドット絵。


と同じといえるのではないか?――そう、まさにその通り』


 そう言って、すでに呑まれたヨウジに向き直るドット絵。


『だからこそ我々は、拮抗状態きっこうじょうたい只中ただなかにいるのさ』


「は?」


 ついで物体が激しく動き出し、上階へと触手を伸ばす。


「え、あ…ああ!」


 触手は上階の床に付着すると、足先から胴体、服や頭部までつくり出し…


 ――プツリ切れた頭部の先端。

 それは、床に倒れたヨウジとなっていた。

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