ホテル個室・伸縮とフラッシュ

「…あらあら、こんなところに人が」


 俺の顔を見るなり、ほほに手を当てる女性。


「ヨウジが連れてきたのかしら。私が困っているから」


 その声に「あ、ヤエコさん」とソウマ医師が来るなり、懐中電灯を向ける。


「どこに行ったのかと思っていたら。ここにいたんですね」


 ヤエコと呼ばれた女性はそれに「ああ、先生!」と、まぶしそうに目を細める。


「そうなの。ヨウジにこの場所に連れてこられて。できることと言ったら、馴染なじみのこのミシンくらいでしょ?どうしたら、良いのか」


 それにソウマ医師は「いえ、ここからすぐ出ましょう」とヤエコに手を差し出す。


「足が悪かったじゃないですか。それにこんな暗がりでミシンなんかすれば…」


 そこで、ハッとした顔をするソウマ医師。


「…ねえ。あかりって、その懐中電灯だけだよね?」


 確認するよう、慎重しんちょうな声で暗い室内を見渡すトモ。


「でもさ。なんでこの人は、明かりもつけずにミシンが使えたわけ?」


 ――そう、俺も薄々うすうすと感じていた違和感。

 なぜ、ほぼ見えない室内で最初に女性が立ち上がったと気づいたのか。


「ヤエコ、さん…ですよね?」


 懐中電灯を顔に向け、再度たずねるソウマ医師。


 ついで、ヤエコの体がぐいと背後に引き――

 気づいた時には、彼女の上半身のみが暗がりの中で揺れながら浮いていた。


『ひどいじゃないですか、ひどいじゃないですか』


 まるで、出来の悪いばね仕掛けのように左右に宙を揺れるヤエコ。


『助けに来てくれたんじゃないんですか。私のこと、忘れてしまいましたか』


 ライトに照らされた下半身は蛇のように長い胴体に繋がっており、周囲に溶けこむような色をしたそれは開いた隣の部屋のドアの向こうから伸びている。


『ヨウジ、どこにいるの。いじめられているのよ、ヨウジ!』


 声を上げるヤエコの姿をした何か。

 

 ついで部屋の周囲から(――聞こえている!)と大声が響く。


(すぐに向かう、すぐだ…)


 その瞬間、すさまじい風が廊下から室内から吹き上がり、とっさに目を閉じるも、俺の体は風によって引き倒されてしまった…



「…よお、大丈夫か?」


 ――目を開ければ、赤い室内。

 ヨウジが、俺の顔を覗き込んでいる。


「ここ、どこですか!」


 とっさに飛び起きるも、部屋の中には俺とヨウジだけ。


「トモは、それにソウマさんは?」


 壁ぎわにはいくつかの区分けされた机と機械。

 赤いライトのついた部屋は、学校で見た覚えがあった。


「びびるな、部屋が赤いのはセーフティライトのせいだ」


「セーフティって…ここは暗室ですか?」


 見れば、机の上には液体の入ったバットが複数並び、いくつか写真が浮いている。


「撮っていたんですか?」


 俺の質問に「…少しでも、見たものを残せないかを考えた結果だ」とヨウジ。


「お前のところの嬢ちゃんも、同じようなことをしていただろう?」


 そう言うとトングで写真を取り出し、濡れた写真を一枚一枚、丁寧に物干しロープに洗濯バサミで留めていくヨウジ。


「俺も美大の卒業生でな、写真専攻だったから多少は腕に覚えがあるんだよ」


 最後の一枚を留め、ヨウジは答える。


「…ま、早々に飯の種にならないとさとってな。つまらんデザイン事務所に入って体を壊して、今は安い福祉の仕事を我慢がまんしながら母親と暮らしている」


 写真には、ショッピングモールにシアター。

 駅構内にロッカールーム。


 ――すべて、俺とトモが行った場所が写っていた。


「ヨウジさん。俺はアナタを探していて…」


「なあ。なんでお前はあの嬢ちゃんに入れ込んでいるんだ?」


「え?」


 ヨウジは近場の折り畳み椅子を開き、そこに座る。


「俺の母親は、俺を産む前は服飾デザイナーをしていてさ」


 棚に置かれた一眼レフを手に取り、話を続けるヨウジ。


「仕事を辞めてまで結婚した親父と結局ソリが合わなくて。女手一つで俺を育てて、無理がたたって、病気がちになったんだ」


 画面の光が顔に映り、ヨウジの顔がボンヤリと浮かぶ。


「親父は仕事以外は何もできない人間でさ。俺はそんな人間にならないように、自立した人間になろうと必死に足掻あがいてもいた」


「…いや、何の話ですか?」


 俺の質問に「じゃあ、結論から言うか」と、カメラをこちらに構えるヨウジ。


「あの嬢ちゃんに付き合って。自分の人生を棒に振るのか?」


 その言葉に、自分の胸に重いものがのしかかる。


「いや。俺は――」


「あの嬢ちゃん。絵を描くこと以外は苦手が多くないか?食事に睡眠を忘れがちで、注意散漫ちゅういさんまん。今の社会でまともに働くことは難しくはないか?」


「いや、でもアイツは…」


「お前さんよりも才能はあるんだろ。でも、そのために犠牲ぎせいになる必要はあるか?」


「犠牲?」


自己犠牲じこぎせいだよ。自分を殺し、生活をサポートして相手が暮らしやすいようにする」


「いや、俺は別に…」


「俺の母親は、そのせいでひどい目にあったんだ」


 ヨウジの言葉に俺はハッとする。


「仕事を辞めたのは親父の生活面を支えるため。でも、家事労働をしても生活は楽にならず、かといって職場にも復帰ふっきできず。別の仕事を探し過酷かこくな労働を強いられた」


 一眼レンズの向こう側で、ヨウジは泣いているように見えた。


「…俺はさ、それを聞いて人生って何なんだろうと思ったね。どれほど献身的けんしんてきにしても、見返りどころか自身まで不幸になっていくばかり。そんな関係は間違っている」


「でも。その話はあくまでそちらの問題で、俺と白神は…」


他人事ひとごとじゃ無い。いずれは壊れるはずだ。何しろ、あの嬢ちゃんは


 その瞬間、俺はトモが侮辱ぶじょくされたと感じる。


「普通のことができないヤツは人の足を引っ張る。周りの人間を巻き込んで、人生を狂わせる…俺は、お前を被害者ひがいしゃにしたくない一心いっしんなんだよ」


「俺は、被害者なんかじゃない!」


「優しい奴ほど早めにダメになるぞ、俺が良い例だ」


 そう言って、構えたカメラ越しにくつくつと笑うヨウジ。


「デザイン事務所では常に頭を下げ続けて。理不尽な時間帯でも必死に働いて」


 レンズに映る、逆さまの俺の虚像きょぞう


「だが。才能が無いと言われ、机や椅子をられて。その後は、仕事を転々とするも短期間で放り出されて――俺は自分なりに必死にその原因を探って…わかった」


 ヨウジの向けるレンズがギラリと光る。


「相手のために我慢がまんする必要はない。自分のやりやすい環境を整えるべきだと。必要のないものは見限みかぎり、捨てる必要があるとな」


 その、あまりに冷酷れいこく結論けつろんに俺はゾッとする。


「俺は、福祉に勤めたときにそれを実行した。仕事をやりにくくする連中の問題点を面と向かって指摘し、人格を否定し、泣こうがわめこうが、俺の仕事をし易くするためだけに重点を置くようにした」


 ヨウジは「――で、安心して仕事ができる環境が整ったというわけだ」とカメラを外し、首にかける。


「他の人間は次々と辞めていく。だが、直属の上司は俺を辞めさせない…注意もせずため息ばかりつき、次の使えない奴を送り込んでくる――そうして、三年めになる」


「それは…あまりにひどくないですか?」


 俺の言葉に「これ、世間でも当たり前らしいぜ?」と、ヨウジはしれっと応じる。


「今の時代。会社組織に長く残れる連中ほど、俺のように進んで環境を整えることに重点を置けるタイプらしくてさ。弱い奴ほど逃げて別の場所で似たような目に遭う――弱肉強食なんだよ。要はさ」


 そう言って、ゲラゲラと笑うヨウジ。


共存社会きょうぞんしゃかいだなんて嘘っぱち。未だ競争社会きょうそうしゃかい主流しゅりゅう、弱い奴ほど生き残れない」


「でも、トモは決して弱い人間では…」


 俺のせめてもの抵抗ていこうに「今の時代はな。変に目立ち普通じゃないと認定された人間は、周囲から叩かれやすいうえに生き残れない」と続けるヨウジ。


 …その手には、いつしか巨大なストロボ。


「見限ったほうが幸せだぞ。俺とお前は似た匂いがする――それだけにな」


 瞬間、閃光せんこうが走る。


「お前の親、デザイナーか美術系の人間だろ。才ある親の子だから自分もできる人間であると思っていたんじゃないのか?」


「…どうして、そう思うんですか?」


 ストロボのまぶしさに、目を細める俺。

 見れば、足元には焼きつけたかのような自身の影が残っていた。


「人生で一度くらい『お前には才能がない』と、親に言われたことはないのか?」


 ――再び走る閃光。 


「あ…!」 

 

 瞬間、脳裏によみがる。


 そう、トモにロゴマークを指摘された時にムキになってしまったのも。

 似ていると言う理由で自身の作品を放棄してしまったのも。


 すべては、自分に才能が無いという自覚を持っていたから。


「――どうして、そんなことを聞くんです!」


 ヨウジに顔を向けようとするも俺は顔を上げられず。

 ただ、焼き付いた自分の影を見つめる他ない。


 …そう、俺は絶望していた。

 親や学内の他の天才と比べ、自身のちっぽけさを知ってしまっていた。


 その苦悩が形となって、影として床に伸びている。


「――俺はな、美大でノウハウを学んでデザイナー事務所にもいて。当然、親は俺をひとりのクリエイターとして認めていると思っていたんだよ」


 閃光が瞬き、ボシュっと焚きつけるような音がする。


(…街でアンタの作品を見かけたけど。やっぱり、ダメだね。才能がない)


 気がつけば、俺の頭上に女性の声が降ってくる。


「…必死に勉強して、手に職までつけて。でも、すべてが無駄だと母は言ってきた」


 ――グラグラと揺れる暗室。

 物干しロープに留められた写真が、一枚また一枚と落ちていく。


(多少は成長するかと思って、大学まで行かせたけど…駄目なものはダメね)


 写真の中で、先ほどこちらに話しかけてきた女性の口が動く。


(写真じゃ食えず、デザイナーにもなれない。まるで――)


「俺は、親父のように無駄に人生を浪費しただけだった」


 フラッシュの連続で見えづらくなった視界に反響する、ヨウジの言葉。


「夢も希望も、この世には無い」


 再び焚かれた、強力なストロボ。

 俺の視界は完全に閉ざされてしまった――

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