街中・生体トルソー

 ――腕の地図に従い、大通りから駅近くのマンションへ。


 その道中にも色とりどりの服をひらめかせる巨大なトルソー。

 道やビルのあちこちに生えたそれらに、俺は何度も目をしばたたかせる。


「…本当に、俺たちは自身の体に戻れたのか?」


 俺は思わず、自分自身の頭をあやぶんでしまう。


『――あの老人姿のAIは、キミたちを本体に戻すことには成功していたようだが、空間を完全に制御することはできていなかった』


 代弁だいべんするかのように、腕づたいに浮かぶ文字。


『いくつかの場所から漏れ出た物質がこちらに流れ込み。結果としてこのような景色となってしまったことは確かだ』


「ヤバいじゃん」と、近くの出勤途中の男性へと目をやるトモ。


「見る限り、私らしか認識できてないようだけど…これって、良いことなの?」


 男性が数歩進み、地面に伸びたレースにまともに顔がぶつかる。


 トルソーから伸びるレースはもろい構造こうぞうをしているのか。

 崩れながら身体にへばりつき、男性は気づかぬままに道をゆく。


『キミたちが認識できているのはこちらのナノマシンが分解されずに体に残っているためだ。脳から目へ、空間認識の補助機能が働くことで、こう見えているのさ』


「え…私らの中に、まだドット絵の一部が残ってるってこと?」


 困惑しつつ、手のひらに残る模様を見るトモ。


『…あのAIはキミたちを本体と統合とうごうする際に当時の記憶まで抹消まっしょうしようと目論もくろんでいたようだがね――幸いにして、こちらは次元をまたいだバックアップを取っていたから問題は無い』


「…まあ。そっちが上手うわてだったとしても、それで正常な生活に戻るわけでも無いし。こんな光景見ちゃったら、どうにかするしかないと言いたいんだな」


 俺はつぶやき、一つの建物の前で立ち止まる。


「一応、確認なんだが。俺たちが戻された時間はクリニックから飛ばされた時間からそう変わらないということで間違いないよな?」


『そうなるな』


 そう答える文字が指し示すのは、目の前のマンション。


 ――エントランスに入ると、部屋番号が書かれた投函用とうかんようポストが並び、閉じた自動ドアの前には部屋共通のカメラ付きインターフォンが設置されていた。


「…ただ、その理屈で言うと。ソウマさんは俺らより未来にいた人間になるけど」


 インターフォンのキーボードを前に、立ち止まる俺。


「向こうの時間軸に戻されていたのなら、俺たちを知らないことにならないか?」


 そこに「いや、ムーさん。その辺はドット絵の裁量さいりょうでしょ?」と俺の横合いからトモが歩き出すと、閉まっていた自動ドアが勝手に開く。


「でなきゃ、ここにいくよう指定なんてしてこないしさ――あ、ヤベ。今日の授業をサボったから。友達から鬼メールが来てる」


 スマホの振動に慌てて画面をタップするトモ。

 

「ま、開いちゃったなら仕方ないしさ。なるようにしかならないって」


 そう言って、乗り込んだエレベータ内でタプタプと返信を始めるトモ。

 …その様子に、俺も呆れながら一緒に乗り込むことにした。



 ――外の景色が見れるようにドアにはガラスがはめられており、一通りのメールを打ち終えたトモは顔を上げ「お!」と、声を上げる。


「あのトルソー、ここからでも見えるじゃん。どれ、いっちょ写真でも」


 階に着くなりスマホをカメラモードに変更するトモ。


 通路からは外の景色が見渡せるようになっており、向かいのビルの三階あたりまで届いた巨大トルソーはひどく目立っていた。


「…う、風がきつい。マンションの上階って、こんなに風が吹くものなの?」


 マンション十階で、スマホを両手に持ちつつ苦戦するトモ。


 見かねた俺はトモからスマホを預かると近くの手すりでひじを固定し、ブレの少ない範囲でトルソーを画面に収める。


「ほい、これで良いだろ?」


 撮ったスマホを渡す俺に「さっすが、ムーさん」と、声を上げるトモ。


「ムーさんは写真がピカイチだよね。デジタルだけじゃなくてアナログもいけるし。構図を決めて撮るのが早いから、シャッターチャンスも見逃さないし」


 それに俺は「…いや、勘で撮るものだろ。写真なんて」と答えつつもよく見れば、先ほど撮った風景でトルソーのみが消失している。


「あれま、これだけ抜けてる。もしかして録画でも映らないとか?」


 そう言って、録画モードに切り替え直すトモに「――ほら、もういくぞ」と、俺はソウマ医師の部屋へと歩き出す。


「モールだと、最初の人形は撮れていたのにな」


 ぷつぷつと諦めきれない様子のトモに「そも、モールでも駅構内でもスマホが使えなくなっていたからな」と、付け加える俺。


「向こうの空間にあるものらしいし。撮れない方が正常なんだよ、きっと」


「えー、たまにはクロッキー以外の形で残したかったのにい」

 

 ついで、先回りしたトモはドア横にあるインターホンにも目もくれず、ソウマ医師がいる部屋のドアノブにいきなり手をやる。


「おい、ちょっと。開くわけないだろ?」


 ――が、ドアはそのまま外側へと開き。玄関先には、二人の人物。


 …今しがた、出かけようとしたものか。

 ウェーブヘアでシックな装いをしながら靴を履く女性。


 その女性を、後ろから抱き抱えるソウマ医師がそこにはいた。



「どうしたの?」


 女性の言葉に「いや、なんだか悪い夢を見ていたようなんだ」と、ソウマ医師。


「二週間もひどい悪夢の中にいて…もう少しで子供を引き取る予定だったのに」


 私服なのか、シャツ姿のソウマ医師。

 彼は目にうっすらと涙を浮かべると、女性の髪に顔を埋める。


「でも、それも半年以上も先の出来事のはずで――けれど、良かった。二度とキミと会うことができないと思うとたまらなかったから」


「…そうか」


 それに女性は微笑みを浮かべると片手でソウマの頭を優しく撫でる。


「このところ忙しかったからね…でも、手続きはこれからだよ?」


「そうだよな。僕らはこれから――」


 そこまで言ったところで、僕らとバッチリ目が合ってしまうソウマ医師。


「失礼、しましたー!」


 速攻で、ドアをピシャリと閉めるトモ。


「いかん。帰るぞ、ムーさん!」


「…ああ、ここに居てはいけないかもしれん」


 そうしてそそくさと逃げようとする俺たちに「――待て待て、二人とも帰るな!」とドアが開き、顔を真っ赤にしたソウマ医師が顔を出す。


「…あー、クソ。全部悪い夢だと思ったのに。やっぱり現実なんだな?」


 先ほどとは別の意味で、今にも泣きだしそうな顔で頭を掻くソウマ医師。

 そこに先ほどの女性が顔を出し「あのー、どちらさま?」と声をかける。


「――あ、いや。俺たち部外者です」


「お邪魔ですので。このまま、失礼しますんで」


 そう言って、再度逃げようとする俺たちに「行くな、僕も一緒に行くから!」と、ソウマ医師はドアから出ると女性に向き直る。


「…すまないが、今日はキミだけで頼む」


 女性はそれにほんの少しだけ目を泳がせるも「わかった」と、小さくうなずく。


「事情は分からないけれど。大切なことのようだし」


 ついで俺たちに目をやり、女性は小さくうなずく。


「大丈夫、中学の頃とは違うから。一人でできるし…気をつけて、行ってきて」


 それに一瞬、ソウマ医師の目に涙が浮かびかけるも「ああ、絶対に帰ってくる」と女性を抱きしめる。


「――そうしたら。あらためて一緒に子供を迎えよう」


「…うん」



「お子さん、迎える予定だったんですか?」


 駅に向かう道中で気まずそうな顔をするトモ。


 それに「子供が作れないから、互いに相談した結果でね」と答えるソウマ。


「中学の頃から何となく意識しあっていたんだが。向こうが在学中にいじめにって。互いの家で勉強をするようになって夢を目指して――今は向こうが内分泌系ないぶんぴつけい、こっちは内科の医者でパートナーとして暮らしているよ」


 ついで、周囲にそびえたつ巨大なトルソーにため息をつく。


「ああ、なるほど」


 それに何かを納得した様子のトモに「すぐに駆けつけられなくてすまなかった」と、謝るソウマ医師。


「目が覚めた時に違和感は感じていたんだが、今日が手続きをしにいく日だったことも思い出して――そちらを優先してしまった」


「謝ることはないですよ」と、俺はソウマ医師を見る。


「普通だったら家に戻っていた時点で夢だと思いますし、ソウマさんの場合は数ヶ月も記憶が移動しているんですから。なおさらですよ」


「…そう言ってくれると、嬉しいけどね」


 答えるソウマの横を、ふわりとしたものが通り過ぎる。


綿わたぼこり?」


 首を傾げるトモに「…これは吸い込まない方が良いかもな」とソウマ医師は手早く近くの薬局に寄るとマスクを購入してこちらに渡す。


「見ると良い、だんだん増えている」


 従うようにマスクをつけ――ようやく、気づく。


 駅前から出てくる人々の身体。

 その体にはちぎれたレースが巻き付き、その上に綿埃が付着する。

 

 彼らは駅から出ると自分たちの姿を気にするでもなく近くのバスやタクシーへ乗り込み、街のあちこちへと散っていった。


「…どうやら。街にあのトルソーが広がったのは、この胞子ほうしのためだな」


「え、胞子?」


 驚くトモに「ほら、トルソーの上からこの綿埃が出ているだろ?」と駅の上を指すソウマ医師。


 そこには複数のトルソーが生えており、胞子と呼ばれた綿埃が風に乗ってこちらに向かう様子が見えた。


「胞子ってことは、あれはキノコってことですか?」


 俺の問いかけ「おそらくは」と、近くに飛んできた綿埃を見るソウマ医師。


「性質が自然界のキノコと同じだ――となると、あのトルソーの下には大量の菌糸もあるはずで、これらの大元となるものだが。まさか駅とは…」


『――その推測は正しいよ、ソウマ医師』


 いつしか俺たちの腕に文字が浮かぶと、矢印が駅中のエレベータを指していた。

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