白神歯科クリニック・母の夢

「どこどこどこどこ…ぎゃー!」


 猫の尻をひたすら叩き、手を噛まれるトモ。


 ――ここは、歯科クリニックと隣接りんせつしたトモ自宅の二階。


 部屋に入ると二匹の猫がドアを開けてやってきて、片方は俺の膝にもう片方はトモに背を向ける形で座り込む。


「くっそー、普段だったら大喜びなのに。空間を移動しまくってニオイ変わった?」


 フンフンと自分の服の匂いを嗅ぐも、こちらを見るなり「おのれ!」と叫ぶトモ。


 …そんな俺はといえば、ひざに乗られた猫に服を吸われ、やり場のない両の手は猫の背中をなでること以外できない。


「――なぜ、ムーさんこそなつかれる。何が違うのさ?」


 猫に逃げられ、わなわなと立ち上がるトモ。


「思えば、あの科学館で見た赤ん坊もムーさんのことをいていたようだし。いまの私とムーさんとの違いとはなんだ、答えよ!」


 指摘された俺は「えーっと…」と、思いついたことを口にする。


母性ぼせい、とか?」


 その瞬間、トモは「ぼ…え?そんな。は、はあああ…!?」と取り乱す。


「くそ、未来永劫みらいえいごう後悔させてやる!覚えてろよ!」


 何かひどい呪詛じゅそかれたような気がするが、俺は猫の頭をなでつつ、開いたドア越しに泊まる予定となったトモの兄の隣室に目を向ける。


 ――そこには、ベッドメークをするトモの母親。

 すでに夕飯と風呂をいただいた俺たちは、しばしの休憩に甘んじていた。


「…なんか、普通の家だな」


 トモの部屋には何冊かのスケッチブックと画材用の道具が片付けて置かれており、彼女の母親がいかにマメな人物であるかをうかがわせた。


「夜遅くに来ても最低限の注意だけだったし。お前の両親、良い人たちだな」


 思わず出た本音を、聞いているのかいないのか。

 トモは「おのれ、逃げるな」と叫びつつ猫たちとにぎやかに部屋を駆け回っていた。



「――思い出したんだけどさ、理科室のあった場所。うちの中学で間違いないわ」


 就寝後からの深夜。

 家の廊下を歩きながら、トモはそう答えた。


「なんか既視感きしかんがあったんだけど、スケッチを見て確信した」


 そう言って、彼女がめくるクロッキー帳に描かれているのは理科室とネジの海。

 写実的な光景は夜の暗さも相まってか、よりリアルに見える。


「それに、町内に新興宗教しんこうしゅうきょうが入り込んでいたことも思い出してさ。母さんの話では近くの公民館を借りるかたちで集会をかねた販売があって、アキ兄の家あたりが特にヤバいとは耳にしていたんだよね…」


 冷たい廊下を素足で歩き、トモは話を続ける。


「まあ。もともと、あの辺りは歯抜けになったビルのテナントや空き家が多くてさ。そういった物件を格安で買い取って、信者の住宅地と支部にしていたみたいだけど」


 それに俺は「…なあ、トモ」と、彼女に話しかける。


「なに?」と、こちらを向くトモ。


「お前、トモじゃないだろ――俺の手にいる、端末だろ?」


 その指摘に『…ご明察めいさつ』と言うなり、トモと同じ背丈せたけのドット絵が出現する。


「となると、これは夢か?」


 暗い廊下を見渡す俺に『燃費を最低限にして必要な情報を伝えるには、これが最適とわかったものでね』と、俺と同じ身長のドット絵は頭を指さす。


『脳をかいしての情報共有じょうほうきょうゆう。もちろん、先ほど話したことはすべて真実。一部はトモくんの記憶から呼び起こしたものもある――彼女の方もキミの姿で情報を共有させてもらっているが…どうする。こちらに呼び寄せたほうが、話がしやすいかい?』


「頼む」


 同時に俺の前にトモが現れ「げ、何これ!」と等身大のドット絵にギョッとする。


「ムーさん、もしやこれは夢かい?」


 それに「…ああ、手にある端末の仕業だ」と俺はドット絵を見て、そう答える。


「どうも、俺たちの見聞きしてきたことやトモの記憶も総合して、情報共有をはかりにきたらしい――で、こんなことをするには、もちろん理由があるんだろうな?」


 俺の質問に『ああ、こちらの処理能力がとどこおる原因に、ある程度メドがついた』と答える、ドット絵。


「ん、ということは。私たち元の体に戻れるの?」


 トモの質問に『いや、今のところ一旦いったん駅構内に戻ることになる』と、ドット絵。


『キミたちが事象じしょう根幹こんかんに向かえば、そこに繋がる道が見つかるはずだ』


「根幹?」


『そう、いわゆるともいえる根幹だな』


 ドット絵の言葉にいつしか廊下は広い車庫の扉へと繋がっており、開いたドアからは見覚えのあるバンが見えた。


(ごめんなさい、ごめんなさい…)


 ――開かれたバンのバックドア。

 その先には、荷室に置かれた祭壇がある。


 中には小さな男の子の人形が置かれ、女性が手を合わせていた。


(産んであげられなくて、ごめんなさい。お兄ちゃんにできなくて、ごめんなさい)


 涙を流す女性の背後には数人の笑顔を浮かべた男女がおり、彼女の肩に手を置く。


(ご相談をしていただき、ありがとうございます)


(我々の祈りは来世に届きます)


(祈りのためにはお布施ふせが必要です)


(我々は皆、財産を共有する必要があるのです)


 女性は嗚咽おえつしながら、分厚い紙袋を笑顔の一人に渡す。


(――大丈夫です。これで、あの子の魂は浮かばれるはずです)


(我々も、神もアナタのことを見ていますから)


 トモの歯科クリニックが見えるビルのワンフロア。

 巨大な祭壇の前、うずくまる女性を笑顔で見守る人々の光景がそこにはあった。



「町内ぐるみで監視して、洗脳して、金まで奪っていくってどうよ?」


 世が明ける前、トモは俺を叩き起こすと服を着替えて外に出る。


「ムーさんもそう思うよね…だからこそ、アキ兄の家に行かないと」


 怒りを抑えるためか、クロッキー帳に鉛筆を走らせつつ、道路を渡るトモ。

 彼女の足は家々の連なる細い路地裏へと進み、狭い隙間を通り抜ける。


「これさ、アキ兄の家に行く一番の近道なんだ。裏手から入るんだけどね」


 得意げに言いつつ、トモは一軒の家の勝手口で足を止める。


 ドアノブに手をかけると鍵は開いているようで、こちらに向かって開くドアに、「うし、侵入できる!」と、トモはガッツポーズをする。


「じゃ…アキ兄、裏口から行くよー?」

 

 さすがに、他人の家にそのままのテンションで乗り込むことをためらったのか。

 トモはクロッキー帳を脇に抱え、小声で室内へと入っていく。


 ――俺も左右を見渡し、一応人気がないことを確認し中へと入る。


 時刻は、早朝の四時半過ぎ。

 こうして俺たちは、物音ひとつしない『平坂車体製作所』の母屋へと入りこんだ…

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