科学館・赤子の呼び声

「…というか、ここはどこなんだ?」


 困惑する俺の先には狭い通路。


 薄い白地の壁面にはところどころ赤い線が走り、ドクン、ドクンと、何処どこかで聞いたような音がする。


「おっかしいなあ。確かにヨシさんを追って館内に入ったはずなのに…」


 首をかしげるトモの手には一枚のファイル。


 それは数分前にヨシさんから渡されたもの。

 中には、俺が以前公募したロゴマークがプリントアウトされていた。


「とりあえず、書類もヨシさんに返したいし先に進もう」


 そう言って歩きだすトモに「…けれどなあ」と、俺は言葉をにごす。


「さっきも言ったけれど。それ半ば突然に浮かんできたロゴだし。ぜんぜん良いものじゃないから…ヨシさんも、いらないって返してきたのは事実だし」


 それにトモは「そう。私的には良い作品と思うけど?」と、ロゴと俺を見比べる。


「それに半ば浮かんだっていうのは、意識しているしていないじゃなくて自然と発露はつろしたものだから。要は、このマークはムーさんの積み上げてきた人間性が凝縮ぎょうしゅくしたもの。だからこそ、人目ひとめに留まるんだよ」


 そう言って、胸をはるトモに「人間性の凝縮ね…」と俺はため息を付く。


「となると。俺がつまらない人間だったからこそ、こんな作品になったんだな」



 ――時は、数分前までさかのぼる。


「あー、これかあ…」


 トモに指摘されたヨシさんは、フォルダを見るなりばつの悪い顔をする。


「それ、昨年の市の水族館に使用するために選考をしていたロゴの一つですよね」


 フォルダに入っている書類に視線を向けるトモ。


「当時、採用こそされませんでしたが、大学で講評があって知っているんです」


「…そういえば美大の学生さんだったっけ」


 困ったように頭をき、ヨシさんは書類に目を落とす。


「まあ、たまたま水族館を担当していた職員が知り合いでね。それで見せてもらった一次通過の作品で、偶然これに目がいったから。一部コピーしてもらって――」


「では、なぜそれを大事そうに持っているんですか」


「え?」


 驚いた顔で、こちらを見るヨシさん。


「知らないんですか。それ、二次で選考から外れた作品ですよ?」


「えっと…」とヨシさんは俺の反応に困った顔をする。


「コンピュータの類似振り分けって知ってます?」


 ケンカごしになるも、俺の口は止まらない。


「他のロゴと似てるものを弾く、それに引っかかったマークなんですよ、それ?」


 そこに「あー、そういやムーさん。先生から指摘されたとき結構傷ついた顔をしていたものね」と、いらないことをつぶやくトモ。


「『完成度がプロ並みだから、チェッカーに引っかかったんじゃないか』…ってね。まあ、ある意味め言葉じゃない?」


 そう付け加えるトモに「…要は、パクりってことだろ?」と、俺はため息をつく。

 

「他のロゴなんて意識したことなかったのに。そりゃあ作品をつくる準備として参考となるロゴにいくつか目を通してもいたけどさ。結果、一次で通ってもコンピュータに振り落とされて――だったら、最初から選ぶなよって気持ちだったし」


 唇を引き結ぶ俺に「うんうん。私が別の市に応募した筆書き作品はコンペで入選して今もあちこちで使われているものね」と最後にはお手上げになったのか、トモはなぐさめにもならない言葉を吐く。


「――で、何でそんなロゴを大事に持っているんですか?」

 

 いらだちまぎれに質問を続ける俺に「いや…まあ」と、ヨシさんはロゴを見ながら困ったような顔をする。


「もし将来会社を設立したら、このロゴが使えればなと思っていて…アキヒコくんではなくて、今日ナツヤが来ていたら。これと一緒に、設立するための相談と企画書を見せようと思っていたのだけれど――」


「え、会社を起こすんですか。ここを辞めて?」


 思わず声を大きくするトモに「いや。職員とか、周りにいる人たちにも聞こえちゃうから…」と、慌ててボリュームを落とすように身振りするヨシさん。


「ただでさえ民間への移行で忙しいんだ。転職を考えているだけで勤務態度が悪いと判断する人間もいるし、波風立てれば任期中に辞めさせられる可能性だってある」


「え、任期終えたらお役御免やくごめんなのに?ヤバいですね。公務員って」


 ドン引きするトモに「…一般の会社でも、そういうところはあるし。話も、あくまで構想段階こうそうだんかいだからね」と足元に目を落とすヨシさん。


「ナツヤとは毎年近況を話し合う間柄だったから。それに、昨年会った時に息子さんが大学で人工知能の研究をしていたと聞いていたからね。こちらも市の現状に限界を感じていたし、任期を終えた後でベンチャー企業を起こせないかと考えていたんだ」


「へー!アキ兄が人工知能なんて、意外だなあ」


 ヨシさんの話に感心するトモ――だが、その直後。

 あろうことかヨシさんはロゴの描かれたファイルを出し、俺へと差し出す。


「へ?」


「…でも、やっぱり。夢は夢だから」と、目をふせるヨシさん。


「最近はナツヤとも疎遠そえんになっていて、特別展の連絡をしても手伝いに来たのが息子さんだったし。ロゴを作った君の本音も聞けた――だから、あきらめることにしたよ」


「え、俺のせいで?」


 絶句する俺に「待ってください」と、あいだに割り込んで書類を横取りするトモ。


「諦めるなんてもったいない。それくらいだったらアキ兄にも会社の話をしてナツヤおじさんに伝えてもらいましょうよ!」


 だが、ヨシさんは運転席を開けると「いや、今の話は忘れてくれ」と乗り込む。


「そも、会社を起こそうにもこちらも生活が苦しいからね。それに長いあいだ公僕こうぼくとして勤めてきた以上、役所もそう簡単には職員を捨てないさ。ただ、もう文化施設とは縁の無い、もっと短期の仕事に回されるのは目に見えているが――」


「そんな…」


「アキヒコくんには、キミたちの事を伝えておくから」


 ヨシさんはそう言い残し、車の窓が閉まると建物の裏へと消えてしまう。


「行こう、中に入ればヨシさんやアキ兄も見つかるはず!」


 早足で歩き出すトモに「…いや、まあ。向こうで搬入作業はするだろうけどさ」と俺も後を追う形でついて行く。


「話、まだ続けるのか。戻り方もわからないのに?」


 それにトモは「行く」と一言。


「だって、煮え切らないじゃん。せめて二人のいるところで話しをして…」


 そうして、俺たちは科学館のドアをくぐり――



 ほぎゃあ、ほぎゃあ…


 気がつけば、目の前には一体の胎児たいじ


 壁に埋まる丸いカプセル状のれ物。

 中にいる胎児は薄っすらと目を開け、俺を見つめる。


「行かないと」


 それは、俺の口から出た言葉。


「見つけなきゃ、この子のいる場所にいかないと」


 足が自然と通路の先へと歩き出し「ちょっとムーさん!」とトモの声が後を追う。


「どうしたのさ。急にそんな早足になって」


 だが、今の俺はそれどころではない。


(――早く、赤子を探さないと手遅れになる)


 どうして、そんなことを考えるのか。

 理由はわからねど、とにかく急がねばと俺は走る。


 薄く白い膜の壁には赤い線が枝上に伸び、ドクン、ドクンと聞き覚えのあるリズムが絶えず壁や床を揺らしていく。


「やだ、ここって体の中みたいじゃん!」


 トモが叫ぶと同時に視界が急に開ける。


 ――透明な、管上の通路。

 眼下には赤血球を思わせる、平らな赤い粒が集まるプール。


 …その中心に巨大な赤子がいた。


 身体を起こし、俺たちのいる管付近まで顔を近づける巨大な赤子。

 その口が開くと通路を揺るがすような轟音ごうおんがあたりに鳴り響く。


 ほぎゃあ、ほぎゃあ…


「呼んでる、行かないと」


 疲労の中、俺は透明な壁へと手を近づける。

 それに応じるかのように赤子もこちらに向かって巨大な手を伸ばし――


「ムーさん、何しているのさ!」


 とっさに襟元えりもとをつかまれ、思わず尻餅しりもちをつく俺。

 ついで俺がいたあたりの管が粉々に砕け、赤子の巨大な顔がのぞく。


『アレに当てられてるな。出口には来ているし、いっそ捨てておくかい?』


 見れば、トモの肩に行方をくらましていたドット絵が乗っており「ご冗談じょうだん!」と、トモは声を上げる。


「こんな理由わけのわからない事でパートナーを失ってたまるもんですか。さっき出口に来ているって言っていたわよね、引っ張っていくわよ!」


 そう言って、俺の襟首えりくびを引っぱるトモに『こちらも、手伝えれば良かったんだが』と、呑気のんきにトモの肩に居座いすわるドット絵。


『こちらに来てから諸事情しょじじょうでリソースを割くことができなくてね。まあ。君等きみらに帰る意思があるのなら、成り行き次第でなんとかなるはずだ』


「んな、テキトーな。ムーさん、行くよ!」


 崩れる通路の先で必死に俺を引っ張るトモ。


 だが、今の状況はわかっているものの俺の目はこちらに手を伸ばす赤子に釘付けとなっていて、胸の中は焦燥感しょうそうかんと悲しみでいっぱいになっていた。


「いけない、今度こそ。今度こそ、あの子を…」


 口から漏れるのは、誰ともしれない女の声。


残留思念ざんりゅうしねんの侵食によるものだが、どうする…?』


 首を傾げるドット絵に「えーい。要は正気に戻せば良いんでしょう!」と、スッと手を挙げるトモ。


「くらえ、精神分析平手せいしんぶんせきひらてー!」


 バッチーん!



「…いや、ホントにすまなかったと思ってるからね」


 トモと一緒に科学館の自動ドアをくぐると、またたく星が見える。


「いや、別に良いから」


 ヒリヒリする頬を押さえ、そう答える俺。


「あの場では、しょうがなかったし…でも、これは」


 後ろを見ると建物はすでに閉館し、電気の消えた室内には非常灯の明かりのみ――もちろんというか、人の気配はまるでない。


「そこの時計、間違ってなければ夜の十時だよね。さすがにヨシさんはもう…」


 ため息をつくトモの前で、車寄くるまよせに一台のバンが横付けされる。


「お二人さん、あんまりにも遅いから親御さんに電話かけさせてもらったぞ」


 窓を開けたのはトモの幼馴染おさななじみであるアキヒコ青年。


「仕事も終わっているし、よかったら乗れよ。送るから」


 そして彼はバンの後部座席のドアを開け、俺たちに乗るよう促した――

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