第三章・科学館

クリニック前・オーバーラップ

 …正直、俺は失念していた。


 鍵付きという安心感とヨウジに呼ばれたこともさることながら、長時間ものあいだトモを放置してしまっていたことは事実であったからだ。


「――まあ。ムーさんが流されやすいタイプなのは知っていたけどさあ」


 あらかじめ手にしていたクロッキー帳を抱えつつ、ソファに腰掛けてスマホを起動するトモ。


「こっちだって人並外れた度胸がある訳じゃないし。さっき、死体が落ちて来たときだって、だいぶん動揺したんだよ?」


 画面の戻らないスマホ。

 それをあちこちいじるトモの指も、かすかに震えている。


「自分たちが偽物にせものって知った時も、かなりショックだったし」


 顔を見せずにスマホをポケットに入れるトモに「…悪かった。今後はなるべく一緒に行動しよう」と、俺はもう一度頭を下げる。


「頼むぜよ」と唇を尖らせつつも、こちらを見るトモ。


「――モールに誘ったのはこっちだけど。一人で背負うにはキャパ越えなんだから、まあ、そもそもはあの機械のせいでもあるんだけど」


 そう言ってため息をつくトモに『…その点では、こちらもサポートが行き届かず、申し訳ないと思っているよ』と声がかかる。


「んにゃ、まだいたワケ!?」


 驚くトモに『プライベートな話は、なるべく聞かないようにしていたからね』と、俺の手の甲からズズっとドット絵が出てくる。


『それと一応言っておくが。キミたちは本人オリジナルではないが全く違う存在とも言い難い――現に本人と記憶を共有しているし、同じ次元にいれば彼らから離れていても当人として認識されているだろう?』


「…じゃあ、偽物じゃないのなら何なのさ?」


 困惑するトモに『要は次元ごとに複製はされども、記憶を共有する同一人物ということさ』と、ドット絵。


「そうか、スワンプマン…外も中も同じ人間だというのは、そういうことか!」


 その事実に俺が気がつくと『ああ、そうだ』と、ドット絵もうなずく。


『本来であれば、一つの次元にいられる人間は一人のみ。それが、次元をまたいでも肉体がダブった状態で存在し、複製された側のみが記憶を保持していることはかなりの問題なのだよ』


「じゃあ、俺はあの場所では本来はひとりの人間であるはずで…」


 俺の指摘に『もう一人の自分に会った時、ひどく不快な気分にならなかったか?』と、なぜか聞いてくるドット絵。


「――言われてみれば、確かに」


 自室でもう一人の自分を見たとき。

 訳のわからないものを見たという恐怖以上に、ひどい嫌悪感を抱いた気がした。


「…そういえば私、寝ている自分の横で顔をスケッチできなかったわ。普段だったらメチャクチャラッキーと思って自分の顔をあちこち写生しただろうに、なぜか気分的にえちゃって。そういうことだったのね」


 なぜか、一人うなずくトモの横で『…やはりな』と考え込むドット絵。


『この手の不具合は初期の頃にはよく発生したが、戻ることを本能的に恐れているということは、双方の乖離性かいりせいが高いということだろう。本来ならばこのような事態が起きても、私がいる限りは一時的なもので済んでいたのだが――』


「何か、問題が起きた?」


 俺の質問に『未来に存在する、私の機能が縮小していることが原因と見られるな』とドット絵。


『過去の人間の行動によって私のできる範囲も決まる。このまま事態が進めば、私はおろか、今現在ここにいるキミたちの存在自体も危ういだろう』


「――私たち、いなくなっちゃうの?」


 困惑するトモに『まあ、そもそも端末と接触したという事象事態じしょうじたいが起こらなかったというだけになるだろうが…』と、さらに考え込む仕草をするドット絵。


『そも、キミたちはここに至るまで気がかりなことは無かったか?』


「ん?どういうことだ」


「…ぶっちゃけ、違和感だらけのものしか見てこなかったけれど」


 困惑する俺とトモに『――いや、ここに来るまでの過程で直感的に気がかりなものがあるということが重要なんだよ』と、ドット絵は自分の頭に指を置く。


人工知能わたしの機能の中に、対象の希望や感性に応じた次元を引き寄せる性質がある…キミたちが元の次元に戻りたいという望みがあれば、それに準じたもの――私が存在できる未来に繋がる次元に行ける可能性があると思ってね』


「そんなこと言ったって、そんな急には…あ!そういえば」


 言うなり、クロッキー帳をめくるトモ。


「関係あるかはわかんないけどさ。そもそも端末を手につけたときに浮かぶ模様――あれが製造元の会社のロゴマークじゃないかと思ったことがあってさ」


 そこに描かれていたのは、俺やトモの手にもある赤い端末の印。


「…え、あれって単なる模様じゃ無かったのかよ?」


 戸惑う俺に「――それが、スケッチしているうちに分解できることに気づいてさ」と、得意げにポケットから出した鉛筆で矢印を引き、さらに下に描き込むトモ。


「この前のデザイン論で企業のロゴマークの成り立ちと時代による変化をレポートにまとめたのが役に立つとは思わなかったわ」


 描かれていく過程でトモは手を止め、その度に覚えのあるマークが浮かぶ。


「え、マジかよ!エネルギー事業の大手に、日本の宇宙航空開発局に――」


 次々と描かれていくマークに「…だけど、いくつかわからないものもあるのよね。これなんか、見覚えはあるんだけれど」と鉛筆を止めるトモ。


 ――その一つのマークに、俺は目を吸い寄せられる。


「いや、ちょっと待て…なんで、ここにがあるんだ?」


 困惑する俺に『なるほど』と肩の上のドット絵が声を上げる。


『おそらく、これが…』


 その時、紙面のマークがぐにゃりと歪んだ。

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