クリニック・落下オリジン

「…彼女は三年間、医者から勧められた薬を飲んでいた」


『ソノザキ・アカネ』と名が書かれた、薬手帳。


 ソウマ医師は書類の挟まった手帳を閉じると大きくため息をつく。


「そのクリニックで彼女は同系列どうけいれつの病院を紹介され――行った記録を最期さいごに亡くなるまでの二年ものあいだ医療機関いりょうきかんを通うこと自体、やめていたようだ」

 

 診療所の時計を見ると、シアターを出た時刻からすでに九時間も経過していた。


『話は、んだな…』


 ふいに、小さな声があいだに挟まる。


『では、改めてこちらの話をさせてくれないか?』


「えっ」


 声の主は俺の手の甲。

 シアターで見た、欠けた頭部の死体を思わせる十センチにも満たない体。


 ついで診察室のドアが開き「うわー、可愛いドット絵!」と、トモが声を上げる。


「十六かける十六ピクセルじゃん。立体っぽくも見えるけど、ビーズ製とか?」


『残念。手のひらにあるナノマシンを肉眼にくがんでも見えるよう集合させたものだ』


 ドット絵の女性はそう答えるとコミカルに歩き出し、手の甲に沈み込んだのちにトモの肩へと出現する。


「やだあ、ハムスターみたいで可愛いー!」


 ほおずりするトモに『――うむ。同次元にいれば、端末同士たんまつどうしの意識を同期どうきさせることも可能のようだ』と、腕を組んだドット絵もうなずく。


『…とは言うものの、まだ改良の余地はある。何しろ今も補助している肉体では相手と対面した時点で再接続さいせつぞくした感情部分かんじょうぶぶんの制御ができないからな』


 ついで、含みありげにヨウジを見るドット絵。


『もっとも。別の肉体を経由して、見た目もソフトなものへと変化させれば先ほどのような事態が起きないことは今しがた証明されたがね』


「…つまり、ソノザキ・アカネの死体を動かした状態でヨウジと対面すると、今後も支障ししょうが出る可能性が高いと言うことか?」


 手帳を机の引き出しに戻しつつ、たずねるソウマ医師に『ああ』とドット絵。


『彼女の深層心理しんそうしんりが強く出ているからな。意思が消えても、私が接続している時点で脳内でぶり返す…いわば、フラッシュバックに近い現象だな』


「フラッシュバック…か」と、含みありげにヨウジを見るソウマ。


「――待て。となると、ソノザキは今どうしている?」


 そこに割り込むヨウジに『…大丈夫だ』と冷ややかな目を向ける、ドット絵。


『私は本来、次元内で肉体を安全に移動させるためのツールなんだ。彼女の肉体も、こちらで責任を持って保管させてもらっている――もっとも、場所を口にしたことでまた向かわれるのは勘弁かんべん願いたいものだが』


「そうか」と、胸をで下ろすヨウジ。


「…一応、聞いておくが。生き返らせることはできないのか?」


 ヨウジの言葉に『不可能だ』と、冷たい声でおうじるドット絵。


『誰であろうとも、私が接続すれば感情も記憶も私のものとして再編成さいへんせいされる』


 ついで、彼女はヨウジに目を細め『…それに、もし彼女が生きていたとしてもキミの言動げんどうがすべて精算せいさんされるわけではないからな』と小さく付け加える。


 その言葉は、聞こえているのかいないのか――「そうか」と、ヨウジは腕を組む。


「実は彼女が死んだ瞬間、もう一人の女性がビルから飛び降りるところを見たんだ…その顔が、ひどくソノザキに似ていた気がしたんだが」


『それが、本人オリジナルだ』


 ドット絵の声がさらに冷たく周囲に響く。


『次元をまたいで複製された人間が亡くなると、同期しているもう一方も死亡する。どちらか片方が生き残ることはない…それは決定された未来だ』

 

 ――気がつけば、クリニックであった室内が駐車場へと変わる。


 俺が座っているのは椅子ではなくて車のボンネットの上。


 トモも困惑こんわくした表情で周囲を見渡し、その近くには先ほどまでと服装の違うヨウジがあおい顔をしてあらぬところを見つめていた。


 くもり空に、風切り音。


 ヒュー…――


 グチャッ


 いや、それは風切り音ではない。


 あっけない音。

 湿った、重いものが地面に叩きつけられる過程までの音。


 彼女は上を向いていて、その頭部は銃で撃たれたかのように散乱しており、広がる血だまりはとめどもなくて――


「あ…!」


(これが、ヨウジが見た光景)


 俺の耳元で、頭部のかけたドット絵が口を動かさずにささやく。


(対となる存在が死んだ際に発生する共感覚。それは、近くにいる人間を巻き込む…もっとも長続きはしないがね)


 風景はすぐに変わり、見覚えのあるロッカールーム。

 ロッカーに崩れる、頭部の欠けたソノザキ・アカネの死体。


(だが、ヨウジは現実これを受け入れられなかった)


 その場から離れ、エレベータへと向かいポケットから紙切れを取り出すとランダムに回数ボタンを押しこむヨウジ。


おろかにも、むかし馴染なじみの医者の元へと向かった)


 エレベータを出ると同じフロア。


 通路の向こうからは、ヨウジと同じ姿をした男――年かさの増した女性の手を引くそっくりな男がいたものの、ヨウジはうつむきながら二人を素通りし、クリニックの中へと入る。


 クリニックの待合室には看護師や診察待ちの客がいたが、誰もが危機迫ききせまるヨウジの顔に驚き、さらに奥へ向かうヨウジを止められない。


「ちょっと、ソウマ医師のところに――」


 口ではそう答えつつ、いきなり診療所のドアを開けるヨウジ。


「あ、どうしました?何か忘れ物なら…」


 そう言って、立ち上がるソウマの腕をヨウジはつかんで走り出す。


「緊急だ、ケガ人がいる。銃で頭を撃った、今すぐに――」


「待ってくれ。大怪我おおけがだったら人手や道具が…」


 しかし、ソウマの意見は無視され、二人はクリニックの出口近くにある盗難防止のゲート型の探知機を通る。


「なんだ、ヨウジ――ここは、どうなっているんだ!」


 トルソーの生えた背後のクリニック。

 谷のように裂けた道路が見える窓の外の風景。


 困惑するソウマ医師を無視し、ヨウジは彼を連れてロッカールームに向かい…


『次元を超えた人間が手を握れば、端末が手をつた複製ふくせいされ、同じ時空間に移動する――ある程度、予想はできたはずだが?』


 先ほどまで死んでいた女性。

 肩口で黒い血をざわめかせていた彼女は、ため息をついて起き上がる。


『残念だが、すでにこの身体の持ち主の意識はない』


 欠けた頭部を首を傾げる形で見せ、女性は二人に話しかける。


『今は、この体にあった端末が緊急措置きんきゅうそちとして肉体の感情や神経を補助している――蘇生そせいは、あきらめたまえ』


「何を…言っている?」


 困惑するヨウジに「おい、ヨウジ!」とソウマ医師が声を上げる。


「これは明らかに生きている状態とは言えないぞ…それに、ここはどこなんだ?」


『巻き込まれたんですよ。ソウマ医師』


 そう答え、大げさに肩をすくめてみせる女性の死体。


『一人の女性が死んだと言う事実が飲み込めないという理由で、アナタはこの次元に連れてこられた――戻る方法も、彼女から聞きそびれたうえでね』


「え?」


「なんだと?」


 さらに困惑する二人に『まあ、次に話すのは新しくふたりの人間が来た時にでも』と、彼女は近くのロッカーへと歩き出す。


『駅近く、ビル内のボーリング場の下のシアターにいますから。彼らが来たらそこにいる男ではなく、今しがた話した二人をこちらに寄越よこすよう…頼みますよ』


 ついで、死体はロッカーの一つを開けるとズルリと中に入り――そこから、二度と出てくることはなかった。



(まあ。多少の過程は違えども、キミたちと会話ができている以上、問題はない)


 気がつくと、そこは先ほどまでいた診療所。


 トモも俺と同じ体験をしたのか、さかんに診察室を見渡しており、逆にソウマ医師やヨウジは不思議そうな顔でこちらを見ている。


(――ああ、そうだ。端末たんまつは生きた人の脳にも干渉かんしょうできる)


 肩口…いや、頭の中でドット絵の声が響く。


先程さきほどの出来事は彼らの記憶をキミたちの脳に直接追体験ついたいけんさせたもの…といっても、ここまで同期ができるようになったのはのことでもあるがね)


「え?」


 そこに「ちょっと、時間をくれないか?」とソウマ医師が手を挙げる。


「少し、ヨウジと状況を整理したい。二人とも待合室に移動してくれないか?」


 それに「ちょっと待てよ」と、抗議こうぎするヨウジ。


「外は危ないんだ。慣れてない二人だけにするのはまずいだろ?」


「大丈夫」と、何か言いたそうな顔でヨウジに目をやるソウマ医師。


「先ほどの話では端末が僕らの手にある限り、最小限の安全は保証されるようだからね。話も、十分程度で切り上げる予定だし…頼むよ」


 それに「ん、わかった」と、トモがいきなり俺の腕をつかむ。


「こっちもムーさんとちょいと話がしたいし。なんなら、納得いくまで話し合って」


「え。お、ちょっと…」


 ついで、診察室と待合室をへだてるドアがピシャリと閉まり、俺の体は外へと――待合室どころかクリニックの外まで引っ張り出される。


「待て待て、外は危ないって」


 慌てる俺に「大丈夫、こっちは一分もいらないから」と、トモ。


「…ムーさんや、ちょっと言わせてもらいたいんだけどさ」


 クリニックの外に置かれた待合用のソファ。

 俺は靴を脱いだ状態でその上に正座し、目の前には腕を組んだトモがいる。


「ぶっちゃけ、鍵かけていたとは言え。ほぼ初対面の男性が近くにいる個室に、私は九時間近くも放置されていたワケだけど――何か、言うべきことは無いかしら?」


 絶対零度ぜったいれいどとも言うべき、トモの視線。

 俺は目を泳がせたあと…観念して、頭を下げる。


「大変、申し訳ありませんでした!」


 ――それは、はたからみれば見事なまでの土下座であった。

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