地下シアター・しゃべる死体

『――二人と言ったが、ひとりしか連れてきていないようだね』


 地階にある古めかしいシアター。 

 前の席から黒いシャツを着た女性が立ち上がり、こちらを見上げる。


 大きく割れた後頭部。

 シャツが黒いのは、汚れた血によるものか。


『若い子を二人連れて来ると思ったが…そうだったのだろう』


 意味深なことをつぶやき、無い後頭部をく女性に「…お前は、いつまでソノザキの身体からだにいるつもりだ?」と、ヨウジはたずねる。


『おいおい、死んでいる体を活用かつようして何が悪い?』


 心外と言わんばかりの顔で、手を広げるソノザキと呼ばれた女性。


「それに君たちも同様だが…手の印――の一部がある以上は、生命活動を停止した際には一時的に主導権が移ると以前に説明したはずだが?」


「え?それって、どういう…」


 思わず俺が口を挟むとスクリーンから声が流れる。


『次元移動を助ける技術、それが我が社の人工知能によるサポート機能です』


「は?」


「…やはり、連動しているんだな」


 俺が戸惑とまどう横で、ヨウジが舌打ちをする。


素粒子単位そりゅうしたんいの物質の振るまいから次元の割り出し、対象の移動補正いどうほせいまで。予測可能な範囲でアナタの行動を手助けします』


 スクリーンに映るのは、以前に見た消毒装置。


『必要なのはこれだけ。お近くの装置に手をかざすことで粒子状りゅうしじょう生体端末せいたいたんまつ噴射ふんしゃされ、アナタの皮膚を通して脳の情報を読み取り、的確なアドバイスを行います』


「え?」


 思わず自分の手を見ると…確かに。

 赤い模様が振動し、生きているような感じさえする。


『――ムーさんでも理解できないとなると、映像での説明にも限界があるか』


 ため息をつき、女性は名乗ってもいない俺のあだ名を口にする。


『先ほども言ったが、次元をまたぐことは自身の知る環境とは全く違う環境に置かれるということ…にも関わらず、どうしてキミたちは、今まで当たり前に呼吸も移動もできていたのか。不思議には思わなかったのかい?』


 首を傾げてみせる女性に「俺たちは突然、訳のわからない場所に放り込まれているんだ。考えているひまなんて無いだろ」と、ヨウジが吐き捨てるようにつぶやく。


『おやおや。となると、やはりいくぶんかの口での説明が必要ということだな』


 面倒くさそうに頭部があった辺りに手を当てる女性。


『――ついては彼の抱く、今一番の疑問。もう一人の自分。沼男(スワンプマン)について話でもしておくか』



 …それは、一つの思考実験。


 一人の男がハイキングのさなか、沼の近くで雷に打たれた。

 男は死ぬが、別の雷により沼の中で化学反応が起き、そこから生物が出てくる。


 細胞単位で体つきから頭の中まで死んだ男と何一つ変わらない生物。

 沼から出た生物スワンプマンは死ぬ直前の男の生活へと何事もなかったのように戻っていく…


『果たして、沼から生まれた生物と男は同一か、自我じがとは何かを問いかける問題でもあるが、君たちにはそれ以上に思い当たる節があるはずだね?』


 その質問に俺はと答えられない。

 ――そう、俺もトモもすでにもう一人の自分と会ってしまっているのだから。

 

『なぜ、自分たちが生活していた場所に同一の姿をした存在がいるのか。どうして、彼らと記憶が共有されるのか――結論から、言おう』


 死んだはずの女性は息を吸い、続ける。


『次元を移動した時点で…いや、端末に触れた時点で君たちは別の次元に出力された存在となっているのさ』


「それじゃあ、今の俺やトモは…」


 そう、いやおうでも無しに連想してしまう。


 ――以前、シアターで見た映像。


 最小単位のブラックホール。

 二人の人間が鏡写しに出てくる様子。


(つまり。ここにいる俺たちは、本人たちのコピーでしかなくて…)

 

「嘘だ!」


 そこに、怒りで顔を赤くしたヨウジが声を張り上げる。


「そんなはずがない。ソノザキは向こうにいる自分たちは偽物ニセモノだと、ここにいる、俺たちこそが本物だと言っていたんだぞ!」


『それはに聞いた彼女の言葉だろう?』


 頭が欠けた死体は、そう指摘してきをする。


『…彼女も薄々うすうす真実には気づいていた。でも、確証かくしょうは持てなかった。持てた時点で、すでに戻ること自体に絶望をしていたからね』


「何を言っているんだ、彼女だって同じなはずだ!」


 ヨウジは相手にめ寄らんばかりに近づいていく。


「俺たちは、このおかしな状況から抜け出すために、今まであちこちで探索を続けていたんだ。彼女が何を持って絶望なんて…」


 しかし、それ以上の言葉をヨウジは続けられない。

 横のスクリーンから女性の声が響いたからだ。


『許して…これ以上、持っていかないで』


 画面に見えるのは病院の待合室と思しき光景。


 顔を覆った女性のシルエット。

 彼女がスクリーンから座席へと枠を越えて歩き出す。


『ああ…』


 気がつけば、ため息混じりにスクリーンと同じ声のあるじが口を開ける。


『そちらが感傷かんしょうに任せて迫るものだから、補完した私の肉体も反応しているじゃあないか』


 頭部の欠けた女性が、絶望とも落胆らくたんとも取れるような笑みを浮かべる。


『…それも、マイナスの方向に。空間を開き、じ曲げるほどの悪夢あくむとして』


 今や、シアターは広大な院内へと変化していた。


 画面から抜け出るようにこちらにやってくる複数の女性の影。

 そんな彼女らを追うように院内のドアから伸びてきた無数の腕がつかみかかる。


『こちらに任せてくれれば、何も問題ありませんから』


『変わらないのですね。クスリを続けてみましょう』


 声は優しくも、動きは無慈悲むじひに。

 腕は彼女の背や頭をつかみ、影の一部をむしりとっていく。


『――どんなに頑張がんばっても、ダメなものはダメなんです』


『正直、ここまでだとは思いませんでした。私も専門外ですしね』


 かけられる声も次第に落胆らくたんへと変わり、女性のシルエットはあちこちが欠けながらもいずりながら必死に前へと進んでいく。


『自分が異常なことを知りなさい』


『これで社会で生きていけると思うの?』


『身の丈にあった生活をするべきですよ』


 さらにむしられ、嗚咽おえつを叫びながら床を進む女性の影。


『痛い、身体が痛い。許して』


『でも、生きなきゃ。これでも生きなければならないって、みんなが…』


 むしられ、がれ、もはや原型をとどめていない存在の群れ。


「…やめろ」


 気がつけば、ヨウジがこぶしを震わせている。


「これは何なんだ…こんなことをして、彼女をおとめるな!」


『違うだろ』


 そこに、頭部の欠けた女性が冷淡れいたんな目を向ける。


『キミの考える理想の彼女と、この身体にある記憶。そこに差があるだけだ』


「お前…!」


 今にも殴り掛かりそうになるヨウジを止め、俺は必死に出口を探す。


 見れば、近くには『EXIT出口』と看板の掲げられた通路。

 とっさにヨウジの腕を取り、俺は駆け出す。


『ムーさん、キミのその判断は正しいよ』


 背後で、静かな女性の声が響く。


にとって、彼の声はマイナスにしかならない』


「だから、どういう…」


 ヨウジがそう言いかけたとき『――出られる方法、見つかったらしいじゃないか?』と横から一本の腕が伸び、かろうじて這っていた女性の頭をつかむ。


『そういえば、ときどき思い詰めたような顔をしているだろ?俺も福祉の職員をしていた経緯があるからわかる。それに、いい医者も知っているからさ…』


 良くなるためにも、一緒に行ってやるよおぉ――


 不気味なほどにゆがんだ語尾ごび

 くだかれる、女性の頭部。


「嘘だろ、あのときの言葉がそんな…」


 俺の隣で、ヨウジがつぶやくのが聞こえた。

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