本編
〈本編〉
◯音声スポット・時計博物館前(なるべく正面の振り子時計を見上げられる場所)
屋上の人影に、「博物館を見学すれば、あの上へも登ることができるのかな?」などと、ぼんやり考えながら焦点を合わせてみると、その人物の姿がなにやら奇妙なことに気づく。
全身黒づくめで黒いマントを羽織り、頭にはシルクハットをかぶっているのだ。
その上、黒づくめの衣装に反してその顔は真っ白い色をしている……遠目なので確かなことは言えないが、まるで『オペラ座の怪人』の〝ファントム〟の如く白い仮面を着けているような感じだ。
明らかに現代風のファッションではないし、もちろん普段使いの服装とも思えない……。
もしかして、ドラマか映画の撮影でもしているのか? あるいは今の時代だし、この博物館自身でSNSなどにUPするためのPR動画を撮っているとか……。
浮いた格好のその人物にそんな推測を巡らす私だったが、現代社会からすれば異質なその装いも、この時計型建物の屋上にいる姿は妙にしっくりとくる。
……いや、この建物ばかりではない。銀座の服部時計店などもそうなのだが、どうにも〝時計塔〟には〝怪人〟というものがよく似合うような気がする。
モーリス・ルブランの描いたかの怪盗アルセーヌ・ルパンとか、昭和のミステリ界の大家・江戸川乱歩が世に生み出した怪人二十面相なんかが影響しているのか? あるいは時計塔という存在が強いレトロ感を抱かせるためなのだろうか?
そんなことを思いつつ、屋上の人物の方をじっと眺めていたのだが、不意にその人物もこちらを見下ろし、図らずも私とそれとの視線がバチリと合わさる……。
と、その瞬間。
一瞬の内にその姿が屋上から消えたかと思うと、代わりに今度は自分の背後に異様な気配を感じる。
そして、恐ろしげなその気配に無意識にも全身鳥肌が立つ私の耳元で。
「貴様、
と低い男の声で囁かれた。
その心臓を鷲掴みにするかのようななんとも不気味な声に、ゾクゾクとした冷たい
背後を確認したい気もするが、恐怖に
それでも、視界の隅に映り込む
もう一度、時計博物館の屋上を見上げてみるが、やはりあの黒づくめの姿はそこにはない。
今、後にいるのはあの黒づくめの怪人だ……しっかりと見たわけではないが、本能的にといおうか、肌感覚でそうであることが確信できる。
だが、先程まであの屋上にいた人間が、一瞬にして背後に移動するなんてことがあるわけない……そんなことのできるのは最早、人間ではない……いや、待て。それじゃあ、つまり、今、私の後に立っているものは……。
「そんなことあるわけがないと思っているな? まあ、人間ならばそう思うのも無理はない」
私の頭の中を覗きこんでいるかのように、黒づくめの怪人は再び口を開く。
「無論、人間ならばできない芸当だろうが、我のような存在にならば造作もないことだ」
人間ならばできない芸当? ……やはり、この怪人は人間ではないということか? それならば幽霊? あるいは妖怪なのか……?
「ああ、言っておくが幽霊ではないぞ? 妖怪の定義は曖昧だが、妖怪といえば妖怪の範疇に入るのかもしれないがな……いわば〝仮想怪異〟とでもいったところか」
恐怖に動けぬまま固まっていると、またもや思考を読んでいるかの如く怪人は告げる。
「誰が最初に思い描いたものか? 時計塔の上には怪盗や怪人が立っている……そのイメージが人々の間に拡がるにつれ、我はその存在を徐々に徐々に強めていった。神も悪魔も、鬼も妖怪も、または祟りや呪いなんてものも皆、そうやって現れ出たものなのだ……量子力学の不確定原理というものを知っているか? 嘘も言い続けていればいつか本当のこととなる……この世に存在するものは、すべて人の認識によって作り出されているものなのだよ」
さらに怪人は、私の耳元でなんだか小難しい話を続ける。
仮想怪異……つまり、この怪人は人間の想像力が生み出したものだということなのか? だが、そんな妄想の産物が、こんなにもリアルに存在しているものなのだろうか?
「妄想にしてはリアル過ぎると言いたげだな? もちろん我は実体を持つものではない。極めて曖昧な存在だ。
怪人はまたしてもこちらの考えを見透かして、その疑問に答えるかのようにして語る。
「その知覚できる人間は、我らのような存在と親和性が高い……即ち、貴様も我ら同様、曖昧になりつつある存在だということだ」
曖昧になりつつある? ……なにをわけのわからないことを言っている。私はちゃんとここに実在しているではないか。
「いいや。他の人間達とは違い、仮想現実である我の姿が見え、我の声が聞こえているということが何よりのその証だ。そして、さらに我を知覚し、我と触れ合ったことによって、貴様はますます我らと同じ存在へと近づいてゆく……」
だが、心の中で呟いた反論をバッサリ斬り捨てると、なんだか怖いことを怪人は言い始める。
「〝神隠し〟……世にそう呼ばれる現象のいくつかは、そうして我を見たことによって起こっている……偶然にも我を見てしまった者は、我らと同じ、この現実世界ととなり合わになった仮想世界の住人となるのだ」
……やばい。早くこから逃げなくては……頭ではそう思っているのだが、一歩も足を踏み出せないどころか指先一つ動かすことができない……。
それまではあまりの恐怖に動けないものと誤認していたが、これはそんなんじゃない……物理的に肉体が硬直しているのだ。いわゆる〝金縛り〟というやつである。
「動けぬだろう? それも今の貴様が現実世界と仮想世界の境界線──どちらでもない時空の狭間に位置しているからだ。だが安心しろ。もうじきこちらの住人となって、時空をも飛び越えて動き回ることができるだろう……ただし、現実世界からは消え去ることになるのだがな」
現実から消え去る? なにが安心しろだ! そんなの嫌に決まっている!
だが、動けないし、声を出すこともできず、今の私にはどうすることもできない。
「もうじきこの大時計の鐘が鳴る。それがその時の合図だ……これで貴様も我らの仲間だな。ようこそ、仮想怪異の世界へ」
嫌だ! 消え去るのなんて嫌だ! 早く! 早くなんとかしなくては! 動け! どうか動いてくれ!
嬉しげに告げる怪人の言葉に、私は動かぬ身体の中でなんとか逃れようと必死に足掻く。
しかし、その抵抗も虚しく、ボーン、ボーン…とけたたましい振り子時計の鐘の音が、私の頭上に鳴り響いた……。
(仮想怪異 〜時計塔の怪人〜 了)
仮想怪異 〜時計塔の怪人〜 平中なごん @HiranakaNagon
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