1-2-2「我道心牙は夢を見る」
食事が終われば食器の片付けと洗濯物を双子に任せ、心牙は高校の宿題と明日の予習をするために自室に籠る。しかして30分もしない内に台風の第一陣が訪れる。
「お兄!スマプラしよーぜ!」
携帯ゲーム機片手に部屋のドアを蹴り開けて強襲してきたのは雛泰だ。トレードマークのヘッドホンは首からかけている。
「宿題してんだよ!あと蹴るな、ノックしろ!」
心牙の注意は台風の前のそよ風に過ぎない。
台風は進路そのまま、机に向かう心牙の背中から右肩に顎を乗せてくる。
「こんなのサッとやっちゃえばいいよ!……X=42」
「やめて!答えを言わないで!」
我道家の双子は天才である。心牙が苦戦する高校数学の方程式程度なら暗算で解いてしまうから、兄としての威厳は小さい。かと言って小学生の妹に宿題を任せるほど高校生の兄は不真面目になりきれない。
「ナギは?」
「引き分けにしかなんねーから、やーだ」
毎度のことながら兄が相手にしなさそうとみるや雛泰は漫画本と教科書、参考書が散乱したままのベッドに寝転がり、迷わず化学の教科書を読み始めた。兄相手に程良く無双して兄のプライドをバッキバキにへし折りたかったという魂胆が透けて見えるようだった。
本物の台風と違って何もしなければ可愛い妹だから、心牙は雛泰の好きなようにさせる。
程無くして部屋のドアがコンコンと控えめにノックされる。
あぁ、やっぱり来たかと心牙は諦めの感情を押し殺して「入っていいよ」と声をかけた。
「にぃ…さま…」
雛泰と違いちゃんとドアをノックして入室してきたのは既にもこもこの
我道家の双子は天才である。雛凪は見た目は名前の通り小鳥の雛のように愛らしいがその実は恐ろしい鷹、否大鷲、否ティラノサウルスだ。
非常に記憶力がいい雛凪は心牙の弱点など遠の昔に把握している。
「いっしょ…に、ねょ?」
潤んだ瞳で上目遣いで見上げられると、心牙は兄として庇護欲と父性を掻き立てられてしまう。更に追加攻撃で頭をちょいと傾げれば、大抵の男は抗うことなど出来ないであろう。
時計を見ればもう10時半近い。確かにそろそろ双子は就寝の時間ではある。ふと雛泰のほうを見れば頭を抱えるようにしてヘッドホンを装着して耳を押さえている。ベッドで膝を抱えてうつむいており表情は確認出来ないが苦痛に歪んでいるだろうことは容易に想像できた。
「発作か?」
極力優しく声を抑えた心牙の問に、力の無い首肯で返す雛泰。
雛泰は精神的な理由から聴覚過敏に似た症状を患っており、彼女の意志とは無関係に時折「発作」として「あの時の音」が大きく反響して聞こえるから、ヘッドホンを手放せない。
「雛凪、布団の準備を頼む」
雛凪にそう指示を出して心牙自身は立ち上がりそっと雛泰に近付く。そしてやはりそっとその震える頭を胸に抱き寄せる。雛泰の「発作」は精神的なものだから、安心すれば多くの場合落ち着く。すなわち、一定のリズムで鳴る心音を聞かせればいい。
雛鳥に触れるように花を愛でるようにゆっくり優しく頭を撫でれば、縋るように甘えるように雛泰は心牙の背中に手を回して抱きしめる。
そうして数分もすれば布団を敷き終えた雛凪が再び顔を出した。
「雛泰、動けるか?」
「ん〜〜〜、もちょっと」
「収まってんじゃねぇか!」
心牙はこのままベアハッグで締め上げてやろうかと一瞬考えた。投げ技は逆に投げ返されてしまうが、締め技や関節技なら有効だからだ。
結局、雛凪までもが心牙の背中に抱き着いてきてサンドイッチにされてしまったため、済し崩し的に心牙の自室のベッドは今日もまたソファとしてしか使われなかった。
家の一室が和室になっており、本来は来客用の部屋だが普段はそこに布団を三つ川の字に並べて兄妹三人で寝るのが日課だった。
しかし、妹たちが小学五年生になったからそろそろ一人でも寝れるようにと心牙は特訓をさせている……筈なのだが、どうにもうまくいかないのが悩みの種だった。
「ナギ、引っ付かないの!たーぼうは重い、どけ」
双子の真ん中に兄。それが定位置。心牙の右が雛凪か雛泰か左が雛泰か雛凪かはその日の双子の気分による。兄に拒否権はない。今日は心牙の右に雛凪が、左に雛泰がそれぞれ陣取っていた。兄に拒否権はない。
「にぃ…さま、は、ぃゃ?」
お互い自分の布団の中に留まり心牙とは手を繋ぐだけ、という約束の筈だが、雛凪は国境侵犯をして兄の躰にその身を寄せている。
「嫌とかじゃなくて、や!く!そ!く! 一人でも寝れるように訓練しなきゃ」
「こわぃ、ゅめ、また…みるのぃゃ。だから…ダメ?」
潤んだ瞳の上目遣い。心牙の弱点部位だ。
雛泰は雛泰で心牙の左腕を枕にして既に寝息を立てている。
「……今日までだからな!」
兄に拒否権はない。
そうして三人兄妹の体温が融けて一つになる頃、心牙は深い眠りに落ちた。
そして、我道心牙は夢を見る。
それは星空を焦がす業火の悪夢。
暗雲と見分けが付かない程の黒煙が夜の帳を焼いた日の夢。
俺の瞼と眼と脳と神経と心と体に焼き付いて離れない火の日のいつもの夢。
全てを変えたあの日、全てを変えるあの火。
燃える焔はまるで地獄のようで。
でも地獄の業火なんて言いたくなくて。
だってだってだって俺の俺たちの母さんと父さんがその火の燃料だから
妹たちが泣いている。
雛凪と雛泰が泣いている。
俺のせいで泣いている。
俺たちが買ってプレゼントした服が俺たち兄妹に受け継がれた黒髪が俺たちを愛しく見つめたあの瞳が俺たちを愛したあの手が俺たちを呼ぶあの声が燃える、燃える、炭になるまで、灰になるまで。
今でもずっと覚えている。覚えてなきゃいけない。
どうしてなんで父さんと母さんが生きたまま燃えている?
理不尽が炎となって俺たちを焦がす。
涙は雨の代わりにはならない。
誰のせいかと言われれば俺だ。俺のせいだ。俺のせいで両親は炭と灰と煙になった。
妹の雛凪は両親が目の前で焼け死んでショックで
妹の雛泰は両親が目の前で焼け死んだ時の悲鳴と炎の音が耳から離れないから
両親を殺した俺は、この悪夢を見続けるだろう。俺が俺を許すまで。
「そうだ、
道化師が嘲笑う。ケタケタと嘲笑う。首だけで器用に嘲笑う。
ロプトール……俺はお前に怒るのにもう疲れたんだ。涙の雨は憤怒と憎悪の炎を消した。
「怒れ!怒れ!!怒れ!!!そうじゃなきゃ、俺ちゃんがお前に殺された意味がない!」
どうでもいい。
俺の復讐はお前の
両親のカタチをした炎が俺に歩み寄る。
そうだ、地獄の業火。俺を燃やせ。理不尽を燃やせ。理不尽に燃やせ。涙の雨でこの怒りの炎は消えない。
いつもの夢、いつもの悪夢。
焔の両親が俺の首に手を掛ける。焔なのに凍える手。命持たぬ灰、残り火のない冷炭。俺がそうなるべきだったのに。
いつもの夢、いつもの悪夢。早く俺をあるべき
だが、今日は少し違った。
いつもなら両親が俺の首を絞めている途中で目覚める筈だ。
「勇者よ!」
地獄の業火を吹き飛ばして柘榴、暗黒、そして人骨が現れた。
「我を倒すは汝、汝を倒すは我なり! 勇者よ、立つべし!」
凍える冷気が焔を砕く。氷が妹たちを暖かく癒す。目茶苦茶だ。俺の悪夢が台無しだ。
遭ったばかりの魔王め。ファロゥマディンめ。
「我は理不尽の化身、摂理への反逆者、堕落を愛ししかして怠惰を許さぬ神! 神を差し置いて自らを罰するとはなんたる傲慢、天への素晴らしき冒涜!か弱き勇者よ、これが我が褒美の神罰と識れ!」
ファロゥマディンが口から黒い焰を吐く。
そうか、それが俺の罰か。
黒い焰の塊が俺の顔面に直撃する。
顔面に雛凪の寝返り裏拳と雛泰の寝相悪いキックがそれぞれ炸裂した痛みで、心牙は目覚めた。
そしていつもの悪夢はいつも忘れる。
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