1-2-1『俺はお前らの兄ちゃんだからな』
心牙は精神的疲労感を抱えたまま帰路に着く。意識不明の重体から蘇生したことよりも、何だか面倒事に巻き込まれたことのほうが心牙の心身に重りとなって伸し掛かっている。
「ファロゥマディンってやつ、何かやたら俺を気に入っていたみたいだが、何だったんだ」
神の加護を受けた勇者でありながら、我道心牙は神の存在を信じない無神論者だ。神は神を信じる者を好むから、心牙は神々からあまり良く見られていない。唯一ナビゲーター役であり――本来はエジプト神話の猫と豊穣の女神バステト――ジャジャミラ・バステットだけは違ったが、彼女はナビゲーター役故に勇者相手なら誰に対しても優しく接するから例外だった。心牙も心牙で神々を今更敬う気など毛頭ない。
神々からの冷ややかな視線には慣れたつもりだったが、まさか熱視線を受けるとは思っておらず心牙は困惑している。
「あの視線は推しのアイドルを見つめるファンとかそういう類のものだと思う。ファロゥマディンなんて名前の
自身の考えを纏めるため、あえて小声で口に出しながら数分も歩けば、自宅の玄関まで辿り着く。本来の家主が家を開けがちということ以外は何の変哲もない一戸建て住宅が心牙を待つかのように佇んでいる。扉はすっかり夜色に染まっており、時刻は7時半ほどだ。
心牙は頭を降って勇者ゲームに関する思考を頭から無理矢理追い出す。
それは心牙の一種のルーティンであり、愛する家族の下に帰るための儀式に近い。
(大丈夫。今日も気付かれない、気付かれない、気付かれない)
心の中で三回唱えてから鍵を開けてドアノブを回し戸を開いた。
「ただいまー」
「おかえりー!」
「ぉぁ、ぇり…な、さぃ」
帰宅を告げる声に間髪入れず、元気と威勢の良い声と蚊の鳴くような小声で返事をしたのは、玄関の
目元まで覆う前髪からは左右対称の片目が心牙を親愛の眼差しで見つめていた。
「……おー“
心牙は靴を脱ぐ前にそのちょうどいい位置にある二つの頭に軽くチョップをする。
「…ぁ…ぅ」
「ちぇーっ、なんでスグ分かるのさ」
心牙に指摘された少女らはすぐさまお互いの身に着けているものを交換し始める。すなわち、ぬいぐるみとヘッドホンを脇に置き、立ち上がり一方が脱いだワンピースをもう一方が着て、お互いの手櫛で整えて髪の分け目を変え、ゴムとリボンを交換して髪型を入れ替えて、最後にぬいぐるみとヘッドホンを交換してお互いに装着した。
「そりゃ、俺はお前らの兄ちゃんだからな」
「答えになってなーい!」
頬を膨らませてわざとらしく怒ってみせたのは心牙の妹でヘッドホンとポニーテール、そして少し釣り上がった目がトレードマークの我道家次女、
「お前らこそ、帰ってくる時間、よく分かったな。」
「そりゃぼくらはお兄の妹だからねー」
「……ねー」
二人の少女はお互いの顔を見合わせて言った。
ちょっとイタズラ心が芽生えた心牙は雛泰のその軟らかそうなほっぺたを右手で摘む。つきたてのお餅のような童女特有の高体温と柔らかさが心牙の指先から神経を伝って脳に到達する。
「やーめーれー」
雛泰が抗議の声をあげるが本気で嫌がっているそぶりは見せない。
「にぃ…さま」
ねだるように心牙の空いている左手をそっと掴み、自らの頬に誘導したのは大きなリボンとぬいぐるみ、そしてやや垂れ目が特徴的な我道家長女、
要望に応えて心牙は雛凪の頬っぺたを摘まむ。雛泰とはまた微妙に違う蒸かしたてのお饅頭のような童女特有の高体温と感触が心牙の指先から血液を伝って心臓へ辿り着く。
そうして脳と心臓で愛する
「にぃ…さま、ぉふろに、する? ご…はんに、する?」
「それとも、ぼくらにする!?」
からかうようにじゃれ付くようにいつもの問いが二人から発せられたから、心牙はいつも通り即答する。
「風呂。」
その後、何故か背中を流したいからとわざわざ学校指定の水着に着替えてまで一緒に入浴しようとする双子を「お前らもう
風呂から上がり部屋着に着替えたら双子が既に準備していた遅めの晩餐会が始まる。
食事の準備はすれども自身が心牙たちと共に食べることは少ない家主に感謝しつつ、心牙の帰りを待って空腹を我慢していた双子と食卓を囲む。今夜のメニューはオムライスとサラダ、コーンスープだ。
「先に食べてりゃいいのに」と毎度のことながら愚痴る心牙に対して雛泰と雛凪が「お兄と一緒に食べたいじゃん!」「……ねー」と毎度のことながら返す。そうして始まる晩餐会は毎度毎度双子が「今日、小学校であった出来事」を面白可笑しく話し、それに心牙が相槌を打つ、というのがお決まりだった。
双子の話しぶりから、どうやら学校でも時折入れ替わって周囲の反応を観察しているが同級生や教師含めてまったく気付かれる様子がないこと、双子それぞれに好意を持つ男子が複数いるらしいことを心牙は何となく察している。
(こんなに分かりやすいのに見分けがつかない奴に妹はやれんな)
と心牙は常々思っているが、それは死んだ両親よりも双子と同じ時を生きている兄の奢りに過ぎない。
「かて…ぃかで、カレー…つくっ、た、けど、にぃ…さまのカレーの、ほぅが、ぉぃしかっ、たな」
「そりゃ、我道家秘伝のレシピは門外不出だからな。もう少ししたら二人にも教えるよ」
我道雛凪は生来の人見知りと引っ込み思案な性格に加えて、現在は精神的な理由から吃音を患っているから、心牙はいつも注意深く彼女と会話する。
「そんなこと言わないで、今教えて!いーまー!」
身を乗りだして机をバンバンと叩いて急かすのは我道雛泰だ。生来活発で勝ち気な気質で、今ある理由からヘッドホンが手放せない。大抵の場合、雛泰はわんぱく小僧のように騒がしい。
「たーぼう、座れ。あと口の周り拭け。」
心牙はナプキンを手に雛泰の口を拭う。オムライスのケチャップが雛泰の口の周りをべちょんべちょんに汚していたからだ。
「へっへー」
何が嬉しいのか、雛泰は心牙にされるがままにこにこ笑顔だ。
対して雛凪はテーブルマナーに限らず基本的に行儀が良い。ウサギとクマとペンギンを合体させたような不思議なぬいぐるみをいつも抱えていること以外は。
「入れ替わり出来るなら、たーぼうはもっと行儀よく出来るだろ。なぎを見習え。なぎはたーぼうの積極性を見習えば丁度いい」
「やーだよ!メンドーじゃん!ねー」
「……ねー」
いつものお小言はいつも通り受け流される。いつもと変わらぬ心牙と雛泰と雛凪の日常風景だ。
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