羊飼いはダンジョンを目指す

カフェ千世子

羊飼いはダンジョンを目指す

 メディナ建国の祝賀会が開かれている頃、羊飼いのデビーはいつも通りの仕事をしていた。

 動物を扱う仕事に明確な休みはない。羊達の世話は放り出せないのだ。

 羊達を連れていき、いつもの放牧地で彼らを放った。草を食む彼らをデビーは見守る。

 デビーは山羊も飼っていた。山羊達は乳をとるために世話をしていた。多数の羊と数頭の山羊を一緒に放す。


 いつも通りの風景だった。青天の下、ほのぼのとした風景が広がっている。

 そこへ、地震が起こった。突然のことで、デビーはなにも出来ずにいた。地面が割れ、羊達がそこへ落ちていく。

 手を伸ばすも、到底助けることはできなかった。

 デビーと側にいた牡山羊一頭だけが取り残された。



 メディナ祝賀会の最中、突如現れた悪魔アロケルにより城の地下に建設されたダンジョン。それは城の床、壁を崩壊させて外まで続いていた。

 ドロシーは騎士を連れて、その崩壊がどこまで続いているのかを確認しに行った。

「城を北端として、南に3マイルン、東西に2マイルンほど十字の形に崩落が続いていました」

「……下手くそか!」

 思わずドロシーは悪態をつく。いびつで不格好な地割れは長々と続いている。その割れを覗けば、下には人工的な廊下が見える。

「ダンジョンには、魔物が現れて人を襲うと言います。この割れ目から、魔物が溢れてくるかもしれません」

「そうね。危ないわ。塞ぎましょう」

「城の地下を入口のひとつとして、東西南北それぞれの端に入口を設定してはいかがでしょう」

「そうね。出口はひとつだけじゃ不安ね」

 騎士の提案にドロシーはうなずく。

「あなた、もしかしてダンジョンに詳しいの? だとしたら、攻略のお手伝いをお願いしたいのだけど」

「いやー。詳しいというほどでもないのですが、そういうダンジョンが出てくる物語が好きなんですよ。傭兵で各地を回ってたときは、そういう伝承がある土地を積極的に回って話を聞いてました」

「へえ。私はそういう知識がないから、教えて欲しいわ」

「ええ、ですがー」

「教えて差し上げろ!」

 照れて謙遜しようとする騎士を、もう一人の騎士が背を叩いて囃す。


「頼むよ! 中に入りたいんだ!」

 彼らの前方から、もめている声が聞こえてくる。

「羊達が全部下に落ちたんだ!」

「気の毒になあ」

 羊が落ちたと主張する羊飼いと住民をダンジョンに近づかせまいとする騎士が言い合いをしていた。

「気の毒だが、まだ誰も中に入れるわけにはいかないんだ」

「魔物が出るらしいし、罠もあるらしいぞ」

「それに言いにくいが、ここから落ちたんだろう? この高さから落ちて無事でいられるかどうか……無事でいても、中の魔物達にやられているかもしれん」

「それでも! 死んでしまったなら、その肉をちゃんと頂いて弔ってやりたいんだ!」

 騎士達は心底羊飼いに同情していたが、羊飼いの安全を考慮して彼のダンジョンへの侵入を拒んでいた。


「ああ。本当にもう……」

「気の毒ですねえ。彼みたいに、財産を失った民が他にもいますよね」

「なにか彼らの生活を補償しなくてはいけないわ」

 ただでさえ、城の地下を占拠されてしまったのだ。新たに城を建築することも含めて、やることが山積みである。



「ダンジョンは一般的には攻略を阻むために、罠や魔物が配置されています。その多くは廃城や遺跡などに造られた地下迷宮です」

 城の地下が正体不明のダンジョンとなってしまったので、宰相の私邸を一時的に城の代用として使うことになっていた。戻ってきたドロシー達は、その一室で話し合いをすることにした。

 ダンジョンに詳しい騎士からその知識を教えてもらう。

「人工的な構造をしているかと思えば、非現実的な異世界の自然が広がっていたりと、地上での常識が通用しません。階層ごとに気象が大きく違うことなどもあり得ます。灼熱の砂漠地帯から一階層降りると極寒の雪と氷の世界だったなんて話も聞きます」

「……ただでさえ、持てる道具に限りがあるのに、それは困るわ」

 ドロシーは話を聞いただけで、その攻略の困難さが想像できて難しい顔をする。

「そうです。だから、一気呵成にすべての階層を攻略するなどまず不可能です」

 ドロシーはぐっと言葉に詰まる。一気に攻略して、あの悪魔アロケルの鼻を明かしたかったのだ。


「まず、一階層を確実に攻略してから少しだけ先に進んで次の階層を確認してから、一旦戻る。そして、装備などを確認し、体制を整えて改めて攻略に向かう。こういう攻め方をするのが現実的かと思います」

「そう、ね……」

 一筋縄ではいかなそうだ、とドロシーは先行きに不安を抱えた。

「でも、不思議のダンジョンだったらどうするんだ?」

「不思議のダンジョン?」

 別の騎士から何かの固有名詞かのように言われて、ドロシーは首をかしげる。

「一度入るごとに、ダンジョンの構造が変わるタイプのダンジョンです。せっかく攻略しても、マップが作れないんですよね」

「えっ……それは、本当に困るわ!」

 より一層困難を極めることを言われて、ドロシーはまた憂いを増やした。

「でも、このタイプのダンジョンは入るごとにまたアイテムを手に入れられることが多いんです。そして、出てくる敵や罠の難易度は大体同じくらいのことが多いです」

「なるほど……腕を上げたければ何度でも挑んでいけばいいのね。そうやって対応を学べるのね」

 攻略の糸口がほんの少しだけ見えた気がした。

「では、次に持ち込む武器などを検討しましょうか」

 話し合いは続いた。



 ユリシーズは夢を見ていた。

 女のさざめく笑い声が響いている。

 どこかの石造りの神殿のような場所だ。そんなところで、女達が敷物の上でだらしなくくつろいでいる。しかし、それが下品には見えない。

 女達のプライベートな時間を盗み見してしまったようで、ユリシーズはバツの悪い思いをする。

 くすくす笑う女達の顔が、知り合いと同じ顔に見えた。どこか異界のような空間なのに、そこに出てくる登場人物が身近な人に見えるところに、違和感を覚えた。


 女の一人と目が合った。その女はホリーの姿をしていた。

「こっちへどうぞ」

 女は気兼ねなくユリシーズを手招く。ユリシーズはためらいながら、一歩ずつ前に進む。

「おひとついかが?」

 差し出される果物を、受け取るかどうかためらっていると、もう一人の女が立ち上がった。

 立ち上がった女が、ユリシーズを小突いて転がす。彼女は床にへたり込んだユリシーズの肩を足で踏みつけながら見下ろしてくる。

「食べさせてもらいたいの? 図々しい男」

 その女はドロシーの顔をしていた。

「いじめちゃかわいそうよ」

 ホリーに似た女がドロシー似の女に抱き着く。女達はけらけらと笑っている。

 ユリシーズは彼女達の体の間でつぶれて形を変えている胸を見て、苦々しい思いをした。



 ユリシーズははっと目を覚ました。起き上がりながら、なんとなく腕をさする。傷ついた腕は完治しているはずだが、無意識にさすってしまうのだ。

「気持ち悪い夢だ……」

「おや。気持ち悪かったんですか。あれはあなたの欲望を見せたつもりだったんですがねえ」

 独り言に反応があって、ユリシーズはすくみ上った。声なき叫びが、体中を駆け巡る。

「どうもどうも。またお会いしましたね。あなたの夢を叶えるお手伝いをいたしますアロケルですよ」

「あの時の悪魔……」

 暗闇の中から、陽気な声とともに現れたのはダンジョンを作った悪魔アロケルである。

「なんのためにここに……」

「勧誘でございますよ。あなたの欲望を叶える手段がそこに転がっているとお伝えしに参りました」

「俺にダンジョンに行けと」

 ユリシーズの言葉にアロケルはにんまりと笑ってみせる。

「ダンジョンはいつでもあなたを歓迎いたしますよ。でも、攻略は早い者勝ちですからね。お早く動かれることをお勧めします」

 言うだけ言って、アロケルは消えた。

「簡単に言ってくれる……!」

 ユリシーズは唇をかんで、シーツを握りしめるのだった。




 夜も更ける中、ダンジョンに通ずる穴を見張る騎士達は寝ずの番をしていた。

「誰だ!」

 近づいてくる足音に、騎士達は声を上げる。

「お疲れ様です。差し入れを持ってきました」

「昼間の……」

 近づいてきたのは、昼間中に入らせてくれと懇願していた羊飼いである。

「どういう風の吹き回しだ」

「だって、俺達のためにお仕事をがんばっておられるんでしょう」

 羊飼いはワインを小鍋に入れると、はちみつと果汁を足してたき火にかけた。

「パンとチーズもありますよ」

「……もらおうか」

 漂ってくるいい匂いに騎士達は顔を見合わせて、ひとまず厚意を受け取ることにした。



「ちょっと気分転換に一曲披露しますよ」

「おお。聞かせてくれ」

 腹を満たして、騎士達の態度は軟化した。羊飼いが角笛を取り出した。

 羊飼いの奏でる曲は素朴ながら落ち着いた音色で、張りつめていた騎士達の精神を優しく解きほぐしていく。

「いい音色だな」

「ああ。心が落ち着く……」

 腹が満たされたところに、ゆったりとした気持ちのいい音色を聞いて、騎士達は心と体を寛がせて休めていく。


「あれ?」

 羊飼いが一曲終えた頃、騎士達は静かに寝息を立てていた。

「……俺、またやっちゃいましたかね」

 羊飼いはニヤッと笑うと、そそくさと片付ける。

「それじゃあ、お邪魔しまーす!」

 羊飼いは音を立てないようにしつつも、意気揚々とダンジョン内部へと入っていった。




「ドロシー!」

 朝、日が高く昇る前にとドロシーとダンジョンに詳しい騎士は荷物を整えて、城内部のダンジョン入り口前に来ていた。

 そこに、ホリーが見送りにやってくる。

「ホリー、見送りありがとう」

「ドロシー、気を付けてね」

 二人は抱擁しながら別れを惜しむ。


「ユリシーズ様?」

 ドロシーはホリーの肩越しにユリシーズの姿を見つけて、声を出す。

 抱き合うドロシーとホリーを見て、ユリシーズは苦い顔をした。昨夜の夢の内容を引きずっているのだ。

「ドロシー」

「はい」

 ユリシーズがドロシーに声をかけたのを受けて、二人は体を離す。

 ユリシーズに向き直るドロシーに、ユリシーズは険しい顔のまま、口を開く。


「俺は、お前の愛に応えられない」

「愛?」

 重々しく告げるのに対し、ドロシーは首をかしげる。その意外そうな声の響きに、ユリシーズは驚きを返す。

「なぜだ! お前は俺が傷ついたから、ダンジョンに挑もうとしているんじゃないのか!」

「ええ? ……えーと、まあ、愛はありますよ。親愛とか友愛とか……」

 ドロシーの答えに、ユリシーズは愕然とする。

「ならば、なぜダンジョンに挑むんだ」

「だって、悔しいじゃないですか。あの悪魔の勝手な行動で、せっかくの建国が台無しにされて」

 言いながら、ドロシーは悪魔アロケルの行動を思い出してまた怒りを再燃させる。

「絶対に! あの、悪魔をギャフンと言わせてみせます!」

 怒りに燃えながら、ドロシーは声を大きくする。

「そうか……がんばれ」

「絶対に! あいつを! 泣かせてみせる!」

 ユリシーズが小さい声で応援して去る中、ドロシーはホリーや騎士達と檄を飛ばして吠えていた。



「わー、なんかすごい」

「ヴェエエ」

 羊飼いは、ダンジョンを進んでいた。その傍らには、山羊が一匹ついてきていた。

 クルークをふるって、向かってくる蝙蝠をバシバシと打ち落としていく。山羊も時折角を振って戦いに参加する。

 その歩みに迷いは一切なかった。

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