第10話 やるときはやりますよ




 俺たちは再びギルドを飛び出した。先ほどよりも火の手が広がってしまっている。感じる熱波に顔をしかめながら見上げると、火竜はまだ空にいた。

 矢を避けるためだろうか。意図的に太陽を背負い、急襲を繰り返しているように見える。

 レイリィナがどういうつもりかは知らないが、おそらく役には立たないと考えたほうがいい。だが剣がなくては、俺だって決め手に欠ける。


「ここから先は別行動だ」

「ええ」


 竜が降下する。俺は足に魔力を込めて地面を蹴り、ギルドの向かいにあった建造物の屋根へと一息に飛び乗った。ほとんど同時に、真横でした足音に視線を向けると、驚いたような目でレイリィナが俺を凝視していた。

 おいおい……。

 魔人であることを考慮に入れても、ただ者ではない。少なくとも魔力の扱いに長けている――どころか、なんだこの息苦しく感じられるほどの膨大な魔力は。

 先ほどまで猫を被っていたとでも言うつもりか。


「……」

「……」


 しかしいまは彼女に驚いている場合じゃない。レンガートの被害は相当だ。建物のおよそ三割程度が崩れているか燃えていて、橙色に染まった空を覆うように焦げ臭い黒煙が漂っている。火の手は各地で起きているから、被害はまだまだ広がるはずだ。

 早くあの火竜を仕留めなければ。

 再度火竜へと視線を向け、俺はやつのいる方角へと走り出した。


「鈍ってなきゃいいが……!」


 冷凍保存されていたとはいえ、何せ五十年もの眠りだ。

 屋根を蹴って飛び、別の建造物の屋根へと移り、さらに走って跳躍する。風を切って空を走れば道を順に行くより格段に早い。

 全身に魔力をまとって大炎を突き破り、直線で火竜へと近づいていく。上昇と降下を繰り返している火竜だが、先ほどまでとは違っていまはあまり場所を移動していない。

 どうやら矢を放っている集団を狙っているようだ。


 彼らは火竜の炎をあたふたと躱したり、瓦礫に身を沈めてやり過ごしながらも、どうにか抵抗を続けている。だが、放たれる矢の数は徐々に減ってきていた。

 間に合うか――?

 屋根を蹴り、地面に降りて、俺は前傾姿勢となって疾走する。

 見えた。半身を焦がされ呻きながらも、広場で矢を番える集団は、もはや死に体だ。


 周囲には黒焦げの瓦礫しかなく、すでに身を隠す場所すらない。

 火竜が旋回し、太陽の中から襲いくる。

 ぷくり、と火竜の喉が膨らんだ直後、やつは迷うことなく弓兵らへと炎を吐いた。

 だめだ! 間に合わねえ!

 歯がみした瞬間、地に伏した彼らを覆うように透明の膜が張った。


 火竜のブレスはその膜を突き破れず、両者は大きな爆発音とともに大量の湯気となって相殺される。

 その段に至ってようやく気づいた。俺の背後から魔法を放った少女の存在に。

 レイリィナだ。ついてきていた。俺の移動速度に。そして人類が使う魔ではなく、魔族のみが使用できる詠唱を不要とする魔を使ったんだ。

 こりゃアリサちゃんよかすげえ。人類の魔術師ではない。魔族の魔女だ。


「援護するから先にいって! できるんでしょ、それくらいは!」

「あったりまえだ!」


 その声に押されるように、俺は両足に魔力を込めて跳躍する。高く、高く、空へと上昇すべく、地表近くで旋回を始めた火竜の背に飛び乗って。


「おおぉぉぉらあああああ!」


 魔力付与した拳を火竜の背中へと叩きつける。

 メギリ、と音がして鱗がヒビ割れ、飛翔する火竜が悲鳴を上げて高度を下げた――瞬間、ヒビから噴火するように溶岩のような血液が噴き上がった。


「うお!?」


 上体を傾けて躱すも、頬を掠める。鋭い痛みとともに、ジュッと肉の焦げる音がした。火竜はすぐさま体勢を整えると、俺を背中に乗せたまま風を切って滑空する。

 図体がでかすぎるせいか、大したダメージにもならなかったようだ。


「ぐ……ッ」


 だめだ。拳で貫けば俺が自滅する。竜鱗を安全に破るには、やはり剣が必要だ。聖剣じゃなくてもいい。一度きりで壊れてもいい。とにかく剣があれば。

 それに――。

 背中に飛び乗ったことで、履いていた靴が燃え始めた。見れば道化師の服にも小さな炎が躍っている。火竜の体温が高すぎるんだ。

 竜が上昇を始めた。こうなれば一旦背から降りるしかない。

 そんなことを考えた瞬間、遙か下方、地上からレイリィナの声が響く。


「だめよ! そのままもう一度――!」


 火竜の上昇が鈍る。ふと気づけば高熱の背が、腹側から霜に侵蝕されてきていた。

 レイリィナか! なんてやつだ!

 驚きを通り越して呆れ果てる。腕っ節云々のレベルではない。火竜を凍らせることのできる魔人など、まさに魔王クラスだ。あの時代に彼女が生まれていたら、このレイリィナこそが魔王だったのかもしれない。


 霜はみるみるうちに俺の足下まで侵蝕し、火竜はもがき苦しみながらもかろうじて水平飛行を保ち、レンガートからの逃走を開始した。

 だが、俺が背中にいる。

 体表が凍るほどにまで冷えているのであれば、背中を貫くのに何も問題はない。

 俺はもう一度右の拳に魔力を込めて持ち上げる。


「おまえにとってはただの食事だったんだろうが、レンガートの人々にとってはひどい厄災だ。運が悪かったな。お互いに」


 そうつぶやいてから、俺は己の拳を全力で突き下ろした。


「墜ォォォちろォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 凍った竜鱗を割って入った魔力を纏った拳は、やつの肉体を魔力の嵐で貫いて、半分ほど凍った肉片や臓物を、マグマのような血液ごと地面へと叩きつけた。返り血も多少は浴びたが、先ほどまでの熱はない。

 背中から腹へと続く大穴を空けられた火竜の高度が、一気に下がる。


 墜落する――!


 それは都市が揺れるほどの凄まじい衝撃だった。凍った竜鱗を粉々に砕きながら胸部から地面に落ちた竜は、その身を地面に砕かれ削られながら大地を滑走し、都市を防衛する防壁に激突して突き崩す。


「うおっ!? いでッ!! アダダダダ!!」


 降り注ぐ瓦礫が頭や肩口にあたったのはほんの一瞬。都市を飛び出してなお勢い止まらず、俺は凍った火竜にしがみつきながらしばらく地面を滑り、その滑走が完全に止まってから、ゆっくりと降りた。

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