第9話 方向性を間違っている




 犬がウッキウキで俺たちに言った。


「ゴチソ、持テキタ! 三匹デ食ベルベル! ワッホ、オ食事、多イホガ楽シナ? イターキマッスルコソ正義ィ!」

「……いただき」

「……ますぅ……?」


 フォークの先にぶっ刺して、まじまじと眺める。

 だめだこれ。何度目を擦ってみてもドッグフードだ。

 保存食って言っただろ。そりゃカリカリはある程度保存が利くだろうけれども。

 犬だけが皿に顔を埋めるようにして、うまそうにがっついている。ナイフとフォークはどうした、おい。


「ウマ、ウマヨ」


 咀嚼音はうまそうだ。

 カリ、ジュ、ハグ、カリ、ムッチャムッチャ、グビ、ハグ、カリ、ムッチャムッチャ。

 匂いは香ばしい。案外うまいかもしれん。だがここで手を出せば人間失格な気がする。しかしこの匂いの誘惑よ。ヨダレが。

 葛藤しているうちに、レイリィナが一粒指先で摘まんだ。


 マジか。

 そのまま躊躇いながら一粒口に入れる。

 カリ……。


「~~っ!?」


 だがすぐに表情を泣きそうなほどに歪ませ、犬からは見えない角度で口から出し、チーフで包んでポケットへとねじ込んだ。優しい。


「オイシ?」

「え、ええ。おいしい……わね。でもちょっといまは食欲がなくって……。よかったらわたしの分も食べる?」

「わぉん!? アリリガター!」


 だよな~……。

 俺もそっと自らの皿を、犬の方へと差し出した。犬は大喜びだ。かわいいなあ。

 せめてウェットなタイプだったら、塩でも振ればあり得た可能性もなきにしも非ず――いや、ないか。ドッグフードだしな。

 などと考えた瞬間、大地から突き上げられるかのような途轍もない震動が起こった。


「うおっ!?」

「なにっ!?」


 ほとんど反射的に椅子を蹴って立ち上がった俺たちとは裏腹に、犬だけが椅子ごと真後ろにひっくり返る。


「ギャッフンダ! ナナナヌゴトォ? ――ホア!? 犬ノ、ゴッハンガ~!」


 俺とレイリィナは走り、スイングドアから外に出る。

 直後、凄まじい熱波が俺たちを襲った。


「うわっ!?」

「きゃあ!」


 視線をあげる。空が燃えていた。

 建物という建物から人々が飛び出してきて、空を見上げる。影が通りすぎた瞬間、突風が吹き荒れた。それは見上げた人々を炎とともに大地へと叩きつけ、建造物の屋根を暴風で巻き上げて通りすぎる。

 勇者の力を持つこの俺でさえ、魔力を全身に回して足を踏ん張らねば耐えきれないほどに、暴力的なまでの突風だ。

 ハッと気づく。


「レイリィナ!」

「これくらいなら平気」


 驚いた。

 レイリィナは俺の隣に立っていた。叩きつける風に髪とスカートを揺らしながら、視線すら逸らすことなく空を見ている。身体の軸が少しも揺らいでいない。

 本当に何者だ? 腕っ節に自信があると言ってはいたが、まさかここまでとは。


「いたわ」


 レイリィナが太陽を指さした。

 俺は手を翳しながら視線を向ける。

 光の中に翼竜の影があった。そいつは凄まじい速度で旋回すると、地上を逃げる人々を目がけて急降下を始めた。

 赤く輝く鱗は――火竜だ! 

 およそ考え得る限り最悪の敵。かつて未熟だった頃、旅の最中、冬のメキア山脈で全滅の憂き目に遭いかけたのを思い出してしまう。


「まずいぞ!」


 がぱり、と口蓋が開かれる。渦巻く炎が吐き出された。火竜のブレスだ。だが、炎が吐き出される寸前にいくつもの矢が飛来し、火竜の鱗へと突き刺さる。いや、すべて竜鱗に弾かれている。

 それでも火竜は警戒し、一旦空へと逃れた。だがすぐに別の場所へと急降下をし、今度は炎を吐いて街を灼いていく。

 レンガート全体が大混乱だ。悲鳴と怒号が飛び交っている。


 たかが火竜。いまの俺なら剣さえあればやれる。しかし、目立つ場で人並み外れた力を行使すれば、五十年前に処刑されたはずの勇者が生きていたと知られる恐れがある。それで拘束されるのは構わない。

 問題は、人類と魔族の間で結ばれた協定だ。

 勇者リンドロートが生きていたなどと魔族側に知られてみろ。人類は約束を破ったと見なされ協定は破棄、最悪の場合は第三次人魔戦争の開戦だ。そうなれば火竜被害どころの話ではない。


 レイリィナは、空を見上げて歯がみしている。

 それはそうだ。腕っ節に自信があっても手の出しようがないのだから。それに火竜ともなれば、人類はもちろん魔人であっても捕食対象だ。

 俺は再びギルド内へと駆け戻り、這いつくばってしょんぼりとドッグフードを拾い集めていた犬をワシっと捕まえた。


「ノワァァ!? ナヌゴト!?」

「おい、犬! なんか剣と、あと服とヘルムはないか!?」

「ワホ?」

「ヘルムは顔を隠せるもんならなんでもいい!」

「ホアー? 剣ナイ。他アル。チョト待テテ?」


 いつの間にか背後に立っていたレイリィナが叫ぶ。


「ふたり分よ! 急いで!」


 犬がトテテテとギルドの奥の闇へと消えていった。

 だがすぐに赤と白の縞の入った、やけに陽気な服と帽子を持って戻ってくる。


「コレデイ?」

「なんでもいい!」


 俺は着ていた服を脱ぎ散らかして、そいつに袖を通す。


「ちょ、ちょっとあんた!」

「うるせえ! 見たくなきゃ向こう向いてろ!」


 こちとら事実上は七十の爺だ。いまさら下着を見られたくらいで別に恥もねえ。それよりこのままではとんでもない被害が出る。


「あんたがそっち向いてなさいよ!」


 あ?

 振り返ると、なぜかレイリィナも服を脱いでいた。下着姿だ。とんでもなく均整の取れた身体だ。女性らしさを失わずに引き締まっている。何か武術でもやっていたかのようだ。素晴らしけしからん。


「ちょっと、何鼻を膨らませて親指立サムズアップしてるのよっ」

「いや、あまりにも眼福で」

「バ~カ、正直すぎっ」


 ふたりして着替え、布製のとんがり帽子を被る。互いを見て、自分がどういう格好をさせられたかにようやく気づいた。


「……」

「……」


 これ道化師だ。要するにパーリーグッズというやつだ。

 犬が遠い目でつぶやく。


「ゴスジンタチ、コレ着テ騒イダタ。楽シカタ、アノ頃ヨ……ヨヨヨヨ……」


 この野郎。だがこれではだめだ。顔が丸出しでは意味がない。

 そう言おうとすると、犬が仮面を差し出してきた。お貴族さまが社交パーティなんかでつけるようなやつだ。あるいは肉体をシバかれて興奮する極一部の変態と呼ばれる男性らを、鞭で叩いて悦に浸るニッチなお店の女性店員らが装着しているもののようでもある。


「コレ、ソービスル。トツテモ陽気ナ気持ティ。不思議ソービ」


 こんなものまで用意があるとは、実に助かる。レイリィナと顔を見合わせてから受け取り、装着する。

 ここにふたりの道化師あそびにんが誕生した。

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