第8話 五十年ぶりのごちそうだ
話はあっさり通った。犬はふたつ返事で得体の知れん俺と少女レイリィナを、このギルドに受け容れると言ったんだ。とはいえ、この平和な世だ。勇者ギルドは当然のこと、傭兵ギルドでもいずれ遠からず破綻するだろう。というか俺の目にはもう倒産しているように見える。
だからここはあくまでも腰掛けだ。稼げる仕事を見つけたら、俺はここを出る。ものすごく稼げる仕事を見つけた場合には、犬を連れて出る。かわいいから。
テーブル越し。目の前に座っている少女のことまでは知らん。少々気の毒ではあるが、人間まで飼う余裕はさすがにないからな。
しかしなんだ。じっとこっちを見ているな。
俺が凍結されてから五十年。勇者リンドロートの顔を覚えられていたとしても、さすがに同一人物とはバレないはずだが。
恐る恐る尋ねてみる。
「…………なに?」
「名前。わたしの名前は聞いたわよね」
「あ、ああ。レイリィナ・ルシュコバだっけ。俺は……フリッツだ。フリッツ・シュトルム。よろしくレイリィナ」
「ふーん。たぶん短い間になるとは思うけれど。よろしく、フリッツ」
素っ気ない言い方だが、そりゃあお互いさまだ。
うなずき、薄っぺらい愛想笑いを交換する。
「でもよかった。今晩は食事にありつけないかと思ったわ」
「俺もだ。人の好い犬だな、あいつ」
「そうね。ここに保存食がいっぱい残されていてよかったわ」
今度は苦笑いだ。
犬は今晩の晩餐を三人分用意すると、キッチンへと向かったばかりだ。
俺たちは傭兵ギルドに置かれた小さなテーブルについて、向かい合って座っていた。
「なあなあ、あの犬ってコボルトか?」
「どうかしら。言葉を喋るから魔物じゃないことだけは確かだけど、コボルトも人狼も、もっと言えば犬科魔族全般的に幼体の見分けはつかないから。コボルトだけは成体でも、あんな感じだけれど」
人狼アーデンも、かつてはかわいかったのだろうか。あいつの顔、すげえ怖えんだが。
その点、娘のトリムはかわいらしい。人間の血が半分混ざっているから耳と尾のある少女の姿をしていたようだ。
「へえ。レイリィナは魔族のことに詳しいんだな」
少女――レイリィナがギョッとした表情で俺を見てきた。
「え? あ、え、ええ、そうね。……あは、あはは」
その後は視線を逸らして、誤魔化すように笑う。
沈黙が訪れた。何やら少し気まずくなった気がする。
俺は脳内で話題を探す。当たり障りのないところで。
「レイリィナはどこからきたんだ?」
「わたし? わたしの故郷はロズヴィータだけど」
魔都だ。信じられない。
「ってことは、もしかして人間ではない?」
「ええ。魔人族よ」
俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ま、魔人族ぅ……!?」
人類。そう呼ばれる存在が三種ある。
まずは最も数の多い人間、そして数は少なく魔力に優れた美しいエルフ、岩窟に好んで住むずんぐりむっくりとしたドワーフだ。
かつてはその三種族が同盟を結び、魔族と呼ばれる存在と戦っていた。それこそがすなわち人魔戦争というものだ。
「ええ」
レイリィナは苦笑いを浮かべて、指先で頬を掻いている。
そして魔人族とは、多種多様な魔族を統べる最強の種族。魔王と呼ばれる存在は、いつの世も魔人族から排出される。
勇者である俺の役割は、それを倒すことだった。まさか目の前の少女がそれとは。遭遇したのはこれが初めてだ。
「だからさっき腕っ節に自信があるって言ってたのか」
「そうね。……え~っと、多少は、ね?」
「それで魔人族がどうして家なしなんてやってんだ?」
「ぅ……。あ、あなたこそどうしてなのよ?」
「俺は~……その」
五十年前の過去からやってきたからだが、そんなことを言えるはずがない。封印魔術など前代未聞の行為だ。自力蘇生ができたのは奇跡だろう。ましてや本来ならば生きていてはいけない身でもある。
「言いたくなければ言わなくていいわ。わたしも言いづらいから。お互いさまね」
「ああ。でも故郷の名前くらいは言えるよ。あんたに聞いてしまったしな」
「気にしなくてもいいのに」
「気が済まないんだよ。俺の故郷はパドラシュカだ」
パドラシュカ王国はいまは解体され、ただの一都市として残っているらしい。アーデンがそう言っていた。いつかは帰ってみたいが、いまは見たくない気持ちの方が強い。
両親はもうとっくに他界している年齢だし、宮廷魔術師オーゲンの娘だった麗しのアリサちゃんだって、生きていてもご老人だ。俺は結局その身体に触れることもできなかったけれど、彼女がその後の人生をよき伴侶と幸せに生きてくれていたらいいとは思う。
嘘。いまのやっぱ嘘。半分くらいは嘘。想像したら嫉妬で狂いそう。
結婚、したかったなあ……。
レイリィナが焦ったように両手をわたわたと振った。
「ちょっと!? 自分から勝手に語っといて何いきなり泣き出してるのよ!? いい大人がホームシックなんてやめてよね!?」
「ななな泣いてねえわ! 額から出た汗が目に入って染みただけだ!」
俺は慌てて袖で拭うと、レイリィナは若干引いたような目でつぶやいた。
「ま、まあその。あんたのことを詳しく知りたいわけじゃないから、嫌なことは黙ってていいわよ。わたしも言いたくないことは黙ってるから。屋根なしの理由とか」
聞くな、という釘刺しだ。
俺は「わかった」と返事をした。
ちょうどそのとき、奥へと続く通路から大きなトレイを頭にのせて、よろよろと左右によろけながら運んでいる犬の姿が目に入った。
クソカワイイな、こんにゃろう。
「ワッホ、ワッホ……、ホ? ワホホホホゥイ!?」
慌てて立ち上がり、俺はやつが転ぶ寸前にトレイを取り上げる。
貴重な食糧だ。ひっくり返すわけ――に……は……?
「……」
受け取ったそれをテーブルに置いた。レイリィナにもよく見えるようにだ。
「……」
三枚の皿に山盛りにされた、かぐわしき香りの漂う茶色のつぶつぶした物体だ。あとはグラスに水と、ナイフにフォーク。他には何もない。
俺は思った。
これ、ドッグフードじゃね?
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