第6話 お犬さまの事情では




 廃墟かな?

 それが最初に持った感想だった。


 アーデンの言っていた通り、傭兵ギルドの建造物はいまにも崩れそうなほどに朽ちかけていた。やはり人魔戦争が終結して、傭兵需要そのものがなくなってしまったようだ。

 だが、その掲げられた看板を見て俺は目を見開く。


「『雷神の祝福ライトニング・ブレス』……?」


 傭兵ギルドの名ではない。これはかつての勇者ギルドだ。

 本来〝勇者〟は身分にかかわらず、血筋によって任命される。数百年前に起こった第一次人魔戦争で、当時の魔王を討った戦士リンドロートの血筋だ。彼は数名の子を残し、子らはさらに多くの孫を残した。俺はそのひとりだ。


 だからもちろん、俺以外にも多くの勇者が存在する。

 第二次人魔戦争時には、判明しているだけでおよそ三十名ほどいたか。その中で剣や魔術が使えたのは俺を含め、わずか十数名だった。

 その集まりこそが勇者ギルド――ではない。


 勇者ギルド『雷神の祝福』とは、そんな彼らに手を貸す凄腕の戦士や魔術師を募ったギルドのことだ。つまり勇者が優れた仲間を無償で雇えるギルドというわけだ。無償といっても、ギルドからは支払われるわけだから、彼らはただ働きではない。

 魔術師のアリサちゃんと出逢ったのも、この勇者ギルド『雷神の祝福』だった。


「懐かしいな~……」


 アーデンは『雷神の祝福』を勇者ギルドではなく傭兵ギルドだと言った。

 おそらく講和条約が締結されて勇者の存在が不要となり――いや、むしろ生きていては困る存在になり、ギルドはその役割を変えたのだろう。あるいは、勇者が仲間を雇う場なのだから、本来『雷神の祝福』は、正しく傭兵ギルドであったと言えなくもないだろう。


 しかし、そもそもこれが比較的新しい都市のレンガートにある時点で、勇者ギルドからただの傭兵ギルドに変化したのかもしれないな。


 先ほどから入り口近くを眺めているが、一切、人の出入りがない。真っ昼間であるにもかかわらず入り口向こうは真っ暗で、開いているのか閉まっているのかさえわからないほどだ。建造物そのものも、思っていたより小さく狭い。

 錆びた看板だけがキィキィと軋みながら風に揺れている。


「……」


 夜になればゴーストでも現れそうな雰囲気だ。

 信じられない。かつては勇者に雇われずとも、魔物被害や国家からの依頼で常に忙しかったというのに。五十年か。時代の流れを感じてしまう。


 このまま踵を返そうかとも思ったが、ここまできてしまったのだから一応中も見ておきたい。何せいまの俺は無職の家無しだ。技能といえば、勇者として培ってきた簡単な魔術と自慢の剣術くらいのもの。

 アーデンの言った通り、この平和な世の平和な都市で俺の技能を役立てられる場所など、本当に限られている。


「こんちはー」


 スイングドアに手をかけて、そっと押し開いた。

 キィと蝶番が鳴――った瞬間、トタタタタタタタタタと凄まじい勢いで闇の中から小さな魔族が走ってきた。


 警戒は……するまでもなさそうだ。

 小型だ。成人男性の腰ほどしかない。ゴブリンほどの背丈をした、毛むくじゃらの……なんだこれ、犬だ。二足歩行の犬だ。茶色と白の、とびきりかわいいやつだ。

 すんごい尻尾を振りながら、首を真上にして見上げてきている。


「ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ」


 魔物か? 魔族か? それともただの駄犬か? アホ面が微妙だ。

 他に何者かが出てくる気配はない。この二足歩行の犬に留守を任せているのだろうか。

 俺はどうしていいか戸惑った。


「……ああ、えっと……」

「ぎ、ぎるめん? キボ? キボスル? 犬ノぎるど、ハイ~ル?」


 そう言って、やつは可愛らしく首を傾げた。

 喋った。一応魔族のようだ。勇者ギルドになぜか魔族がいる。


 魔物と魔族の違いは、言葉を喋るかどうかだ。つまりコミュニケーションが可能な知能があるかどうかだが、どうやらこの、おそらくコボルトと思われる犬は間違いなくいま喋った。ぎりぎりだが魔族であると言える。

 ちなみに魔物と動物の違いは、ヒトに直接害を及ぼすかどうかだ。畑荒らしなどは間接的被害だから動物の中の害獣、日常的に人間を狙い襲いかかってくるような生物を魔物や魔獣と呼ぶ。


 こいつはさしずめ、ギルドで飼っているペットだろうか。

 お目々キラキラで千切れんばかりの尻尾振りだ。それどころか嬉しそうに後ろ足でぴょんぴょん跳びはねて、抱っこをせがんでいるようだ。キュンとくる。


「かわ……っ!?」

「皮? 犬ノ皮カ? 剥グンカ!?」


 嬉しそうに言うな。怖いだろ。


「いや、見学希望だ。ご主人様はいるか?」

「ゴス、ゴスジン? ゴッスジィィィン……!」


 なんだ。いきなり膝から崩れ落ちたぞ。

 犬が四つん這いとなって、テシテシと床を叩き始めた。いや、犬だから四つん這いがあたりまえなんだが。


「……ゴスジンハ、永遠ノ、オサンポ……。……犬、捨テレレレタノカー……?」

「知らんけど」


 泣いてる。かわいそう。情が移る前に帰ろう。てかもう飼いたい。


「ごめんな。出直すよ」

「アッ、待、待ツガイイ、人間サァ~ン!」


 犬がジタバタと四肢を動かして、俺の右足に絡みついた。そのまま潤んだ視線をあげて、上目遣いで俺を見上げてくる。


「犬ハ、犬ガ、寂シイ……。クゥン……」


 うひぃ、クソカワだ。媚び媚びしやがって。

 むしろ立場的には家も知人も名前や財産さえも失った俺の方こそ寂しいくらいだ。飼いたいのはやまやまだが、こちとら今晩の食事にも事欠く有様。たぶんギルドがこの有様では、この犬も余裕のある暮らしではないだろう。


「すまない。俺には何もしてやれそうにない」


 しがみつく前脚をそっと手で解き、俺はスイングドアのほうへと歩き出した。

 犬はまた四つん這いになって、いや、普通の犬は四つん這いなのだが――テシテシと床を叩き始めた。


「ソンナ、ソナバナナァ~……」


 振り返りはすまい。なんとかしてやりたいけれど、いまの俺には何もできない。


「ゥゥ……ゥゥゥ……」

「……」


 んがあ、もう!

 ガシガシと頭を掻き毟り、ついに俺は振り返ってしまった。


「わかった! わかったって! いい仕事が見つかったら、戻ってきてやるから!」

「……人間サァンハ、スグ嘘ツク……。……ミンナ、ソウ言ゥ……。……ゴスジンモ……ソーダッタッタ……。……ソシテ、誰モガ、永遠ノオサンポ……。……コレガ孤独シ……」


 お、おおぅ。可哀想。

 てか『雷神の祝福』は夜逃げでもしたのか?

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