第5話 なんかいいなっ




 街を歩けば驚くことばかりだ。人と魔族があたりまえのように入り乱れて歩いている。

 楽しそうな声と笑顔で、子供たちが俺たちを追い抜いていった。ケット・シーの子供がとんでもない速さで走り、人間の子供らがそれを追いかけているようだ。


「はは……」


 ああ。こういう光景を見せられると、あのときの決断が無駄ではなかったのだと思える。アルフェリクト王は正しかった。その意思に従って本当によかった。無駄ではなかった。それだけで報われる。たとえあの時代のすべてを失ったのだとしても。

 いまが輝いて見える――!

 目頭が熱くなり、掌で覆った。

 前を行く人狼アーデンが、俺を振り返って尋ねてきた。


「フリッツ。おまえ、もしかして記憶喪失か?」


 俺は慌てて目元を拭いながら掌をどかして誤魔化す。


「あ、ああ。まあ、そんなとこ……かな」


 魔族と人間が完全に共存している。パドラシュカ王国も魔都ロズヴィータも統一国家ウルズに吸収され、いまは一都市にすぎないのだとか。

 あの頃と変わらないのは町並みくらいのもので、そこを歩く人々は人間、魔族、ハーフと様々だ。

 魔族とすれ違うたびに緊張してしまうのだが、彼らに敵意は感じられない。ことあるごとに俺が立ち止まり視線を向けるものだから、アーデンの娘であるトリムと妻のナイアは先に帰ってしまった。

 元勇者の俺に対して魔族のアーデンが一番親切とは、なんとも皮肉な話だ。


「どこにも見覚えはないし、知人もいないようだ」


 そうこたえるしかなかった。

 あれから何年が経過したのだろう。少なくともあの少女トリムの年齢は超えているはずだ。ならば十年そこいらか。


「そっか。この街はレンガートっつうんだ。第二次人魔戦争が終結して最初にできた、魔族と人類の混生実験都市だ」


 その賜物がトリムのような人魔ハーフというわけか。犬耳と尻尾をつけた陽気な仮装人間にしか見えないが、相当な運動能力を秘めているらしい。

 俺は隣を歩く巨体のアーデンを見上げて尋ねた。


「人魔戦争が終わってから何年経過しているんだ?」

「そんなことも忘れちまったのかよ。ちょうど五十年式典が各都市でやってるぜ」

「五十年!?」


 俺はそんなに長い間封印されていたのか!?

 だったらもう七十の爺さんじゃねえか……。なんて人生だ……。

 怒りをぶつける対象ももういない。同じく父や母も。帰る故郷も失った。


「レンガートの式典、観にいくか?」

「……いや、いい」


 見たくもねえ。


「それより仕事を斡旋してもらえる場所を教えてくれ。冒険者ギルドとかないか? 魔物とか狩る感じの。腕にはちょっとした覚えがあるんだ」

「冒険? 冒険だって? はっはっは! 子供かよ!」


 アーデンが腹を抱えて豪快に笑った。


「そんなにおかしいか? 冒険者ギルドなんて珍しくもないだろ」

「ああ、おかしいね。半世紀前かよ。冒険なんざどこでできるってんだ。いまや大陸中、ダンジョンを含めたって未踏の場所なんざないぜ。冒険したきゃ海を越えな。魔物を狩りたきゃ狩人ハンターズギルドだ」


 俺の三年間の冒険はなんだったんだ。

 まあ、考えてみれば大半の期間が魔族領域だったからな。その魔族と講和条約が結べりゃ、人類の持つ地図も広がるってもんだ。同様に魔族の持つ地図もな。

 つくづく、俺は何をしていたんだか。

 魔術師のアリサちゃんも、生きてりゃもうご老人だろうなあ。泣きそう。好き。


「じゃあそれでいいや。狩人ギルドに案内してくれ」

「レンガートにはないぜ。パドラシュカやロズヴィータあたりならあるんじゃねえの。人口多いと肉食の魔物も近寄ってくるからよ」


 故郷だけど、かえって近寄り難くなった気がする。アルフェリクト王の血筋はまだ残っているのだろうか。確か結婚していたはずだが。ぐぅ、うらやましい。


「じゃあレンガートには何ならあるんだよぉ」

「商人ギルドや傭兵ギルド、あとは鍛冶裁縫ギルドだな。ギルドというくくりには珍しいが、後者は女性比率が半分を占めているぞ。おまえにぴったりだ」

「人をスケベ扱いするな」

「嫌いか?」

「好きに決まってるだろ!」


 数字は苦手だから商人はムリだ。鍛冶裁縫も技術がない。だが傭兵と言われても、戦争がないいま何をして食っているというのか。

 五十年前は傭兵ギルドの全盛期だったのだが。王国騎士団だけでは魔族は防げなかったから、民間にもずいぶんと力を借りていた。


「傭兵ギルドってのは何をしてるんだ? 戦争は終わったんだろ?」

「あそこはやめとけ。旅商人の護衛や、稀に出る魔物退治ばっかで、ほとんど金にはなんねーぞ。もう潰れかけてるっつーか、建物見た感じ潰れてんじゃねえかな」

「絶望……」


 俺の肩に手を置いて、アーデンがしみじみつぶやく。


「ま、一攫千金なんざ目指さずに宿屋でもパン屋でも住み込みで働ける場所を探したほうがいいぜ。平和が一番だ。湯浴み屋の番台なんてどうだ?」

「俺をスケベ扱いするな。好きだが。いちいちムラムラしてたら仕事にならないだろ」


 アーデンが鼻で笑って腰に手をあてた。


「ところでおまえ、今日泊まるところあんのか?」

「あ。いや……さっきの墓場……くらいしか部屋がなくて……」


 部屋? 部屋か?


「アホ。リビングデッドじゃあるめえし、墓に帰るつもりかよ」


 魔物だ。死にきれなかった生者が魂を求めて彷徨うアレだ。


「しゃあねえなァ。……うちくるか?」

「悪いしいいよ。つかアーデンはお人好しだな。俺みてえな得体の知れんやつを、子供のいる家にホイホイ招くもんじゃないぞ」


 頭の銀毛を掻いて、アーデンが牙を剥いた。どうやらこれが笑顔のようだ。

 恐ぁ……。


「ウハハハハ。人狼ってのはどうも人間が好きらしい。犬科の宿命かね」

「ははは。さっきから尻尾が揺れてるわけだ」

「ま、泊まるところがなきゃ俺んちこいや。トリムが喜ぶ」

「ナイアさんは?」


 アーデンがうつむいた。


「……人間は厳しい。特に雌は気性が荒い」


 行きづら~い。


「とりあえず傭兵ギルドとやらを見てから考えるよ。それでいいか?」

「おー。傭兵ギルドは北西の歓楽街だ。一番ボロい建物な。んで、俺んちは北側街外れで靴屋やってるからよ。競合がいねえからわかりやすいぜ」


 靴屋の主人なのに裸足なのか。

 まあ人狼が靴だけ履いてたら変だよな。人間だったら逮捕だ。


「わかった。色々ありがとな。助かったよ、アーデン」

「いいってことよ。――んじゃな、夜は外でひとりで過ごすなよ。狼に襲われちまうぜ」

「本物の狼が言うな」

「ウハハ。だがマジな話、夜のレンガートは治安がな。気をつけろ」


 手を振って別れた俺は、町並みを歩く。

 すごいな。人間はもちろんのこと、猫人ケット・シー蛇人イシス、凶暴な鬼人オーガや、滅多に見れなかった竜人ドラゴニュートまでいる。上位魔族がそろい踏みだ。昔じゃ考えられない。


 大半が魔族同士、人間同士のコミュニティだか家族だかを形成しているようだが、中にはアーデンのように人魔でともにいる人々も見える。露店で買い物をしたり、子供を遊ばせたり、みんな楽しげだ。

 俺の足下を、トリムのようなハーフらしき子供らが走り抜けていった。

 しみじみ思う。


「……何かいいな、レンガート……。……俺……いなくなって正解だったのかな……」


 街が暖かい。そんなふうに感じる。氷に閉じ込められる前とはまるで別世界だ。

 青く澄み渡る空に両腕を伸ばし、身体の骨を鳴らす。

 心地よい風が石畳の風景を流れていった。

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