第4話 後悔はないよ
それからどれくらいの年月が流れたのか、想像もつかなかった。眠りの中で夢すら見ることはなかったからだ。
だから知らなかった。自身が極刑ではなく、永久氷壁の中へと封印されていたことを。
俺は死んでいなかったんだ。
無意識に息を吸う。大きく、大きく。胸いっぱいに。水の中に長く潜り続け、いままさに水面へと浮上したかのように。
「~~~~ッ!?」
これが俺の蘇生だった。
強烈な寒さによって目を見開いたとき、俺は真っ暗な空間にいた。
寒い。とにかく寒い。それに指先の感覚がない。半身が水に浸かっているし、凍ってしまっている箇所もある。
震えながら呪文を唱えて指先に小さな炎を灯し、そこが狭い地下室であることを知る。王城の地下ではない。天井がずっと低く、そしてひどく狭い。壁がすぐそこだ。
「いて……」
手足の指先が黒ずみ、腐っていた。凍傷だ。旅でもなったことがある。
震えながら回復魔術をかける。
「……どこだ……?」
しばらくすると、血色が戻ってきた。
身を起こす。屈まなければ歩けないほど天井が低い。出口どころか窓すらない。これは牢よりひどい。生き埋めだ。呼吸が戻った以上、このままでは遠からず窒息してしまう。
耳を澄ませば微かに天井から足音のようなものが聞こえる。
「上……?」
一か八か。俺は拳に魔力を宿し、目一杯の力で岩石の天井へと拳を突き立てた。
ゴッと音がして天井が抜ける。突き立てた部分は遥か上空にまで吹っ飛んだが、その周辺は瓦礫や砂となって降り注いできた。
「おわわ!?」
頭を両腕で守る。しばらく崩れていた地面だったが、大腿部あたりまでを埋めたあたりで止まった。
「眩し……」
陽光に目が眩んだ。眼球が炎の中にあるかのように橙色に染まった。日射しが皮膚に突き刺さり、微かに痛みを感じる。
ああ、でも、気持ちいい。土と、風と、太陽の匂い。
目を閉じて光を浴びる。植物の気持ちがわかるようだ。
「は~……」
そっと目を開く。橙から白へと変化し、徐々に周囲が見えてくる。
最初に目に入ったのは墓石だ。先ほどぶん殴って上空まで吹っ飛ばしたせいか、墓石は逆さになって地面に突き刺さっていた。どうやら墓所だったようだ。しかし危うく生き埋めだ。いや、もう生き埋められていたか。
土だ。大地にできた窪みの中にいた。
とりあえず地面から下半身を引き抜き、クレーターのようになってしまった斜面を上がると、金色の瞳と銀色の体毛を持つ人狼と出くわした。
「うおわっ!?」
驚いた俺は背中から転がり、再び地面にできた窪みの中へと落ちた。だがすぐに膝を立てる。
総毛立つ。人狼は上位魔族だ。鋭い牙は頭蓋であっても噛み砕くし、その爪は触れただけで骨肉を抉り取る。そして何より野生の狼以上に素早い。
とっさに腰に手をやって戦慄した。
聖剣がない。
途端に記憶が巻き戻った。
そうだ。俺はパドラシュカ国王アルフェリクトによって極刑に処されたのだった。
人狼がガパリと口蓋を開けた。攻撃――かと思ったら。
「お、おい、大丈夫か? なんか突然爆発した墓ん中から出てきたように見えたんだが」
その言葉に戸惑う。なぜ魔族が人間の心配などをするのか。理解に苦しむ。
その足下を、小さな――人……狼? いや、瞳は金色で耳と尻尾こそあるものの、肉体は人間そのもののように見える生き物が走り抜け、目の前の人狼へと飛びついた。
「お父ちゃ~んっ」
「お、っとと。はっは、追いつかれたか~っ。足が速くなったな~」
耳と尾のついた小さな女の子は、人狼のふさふさとした腹に顔を埋めて笑っている。楽しそうにだ。遅れて、今度は人間の女性がやってきた。
ブラウンの長い髪をした、普通の女性だ。平民服を着ている。
「もー、そんなに走らないでよ。お母さんは人間なんだから、あなたたちには追いつけないの。――あら? どちら様? 主人のお知り合いかしら?」
「あ、いや……俺は……」
主人……。
人間と魔族が結婚をして、ハーフの子どもが生まれた家族であると、ようやく理解が追いついた。
あり得るのか、そんなことが。魔族と人間だぞ。信じられない。だが、この子は確かに存在する。
よく見れば墓所には他にも人間や魔族が数組いて、花を供えたり、墓石を掃除したりしていたようだ。いまはみんな、墓の下から這い出てきた俺を、怖々とした視線で見ているけれど。
まあ、そらそうか。
人狼が俺を気遣うように首を傾げた。
「おまえ、名前は?」
「フランシ――。……いや」
当然〝勇者〟であることは名乗れない。俺は本来、生きていてはならない身だ。
ふと、墓石に刻まれた文字が目に入った。
自身が埋まっていたらしき墓だ。墓石は逆さになって地面に半分ほど埋もれてしまっている。墓石の裏、本来地面に接しているはずの部分に、小さな文字が見えた。
――偉大なる者、いつか貴男が創りし平和な世に再び目覚めんことを願う。 A/P
アルフェリクト……パドラシュカ……?
そうか。王が俺を。ただ切り捨てられたわけではなかったのか。
俺は墓石の正面に刻まれた名を口に出す。
「フリッツ……シュトルム……」
おそらく国王アルフェリクトが俺のために用意してくれた新たな名だ。
「へえ、フリッツか。俺はアーデン・ワルドだ。見ての通り獣人族の人狼だ。こっちの娘はトリム。妻は人間族のナイアだ。――ところで、生き返ったおまえに助けは必要か?」
「生き返ったわけじゃない」
鋭い牙を見せた人狼の、肉球のついた前脚だか腕だかが伸ばされる。
魔族の手だ。俺は少し躊躇ったあと、思い切ってそれをつかんだ。ぐいと強い力で引っ張られ、窪みから引き上げられる。
「死んでなかっただけだよ。ありがとう、アーデン」
「気にすんな、フリッツ」
あれから何年、何十年経過したのかは知らないが、どうやら世界から力の象徴である〝勇者〟と〝魔王〟がいなくなって、本当に平和な世の中になってしまったらしい。
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