第2話 五十年前の話

 始まりはおよそ三年前。八万からなる人類国家の騎士連合軍が、二百年続いた第二次人魔戦争に終止符を打つべく、魔都ロズヴィータを目指してパドラシュカ王国を旅立った。

 迎え撃つは魔王軍二万。両陣営は緩衝地域となるムティダ大平原で激突。緑の平原が血と炎の赤に染まった。

 数の上では人類が有利。だが肉体面でも魔力面でも勝る魔族らは不利をものともせず、多大な犠牲を払いながらも押し返した。

 結果として騎士連合軍は甚大な被害を負い、撤退を余儀なくされた。


 ――ここまでが、人類側の描いたシナリオだった。


 両軍がぶつかり合う最中、たった四名からなる決死隊が大平原を抜け出して、魔族領へと極秘裏に送り込まれたのだ。

 かつて魔王を単身で討ったとされる勇者リンドロートを祖に持つ、わずか十七歳の少年フランシス、つまり俺を中心とした、たった四人の精鋭だ。

 それは文字通りの決死隊だった。


 俺にとって、長い、長い旅路の始まりだ。

 人類はすでに大きく疲弊していたのだ。嘘くさい〝勇者〟なる伝承や、その血筋にあっただけのこんな平民の俺なんかに頼らねばならないほどに。


 ザラ大峡谷では大量の魔物を相手にした。

 冬のメキア山脈では竜に襲われた。

 ペシェ丘陵ではふたりが魔物の毒に倒れ、ロズウィル街道では魔族の待ち伏せに遭って逃走した。

 何度も何度も、数え切れないほど死にかけた。綱渡りのような旅だった。


 だが俺は生き延びた。あらゆる危機を脱し、徐々に祖である勇者のように強く成長した。旅の開始時には魔族に追い回され、逃げ隠れするようにかろうじて生き延びていた俺たち一行だったが、二年が経過する頃には魔族から恐れられるほどの存在となっていた。

 すべては〝魔王〟を討つために。

 そうして四名は三年間にもわたる旅路の果てに、ようやく魔都ロズヴィータの前に立っていた。もはや魔王ヴェロニカは目と鼻の先だ。

 俺は勇者のように叫ぶ。雄々しく。勇ましく。その瞳に決意を込めて。


 ――世界に平和を! 長きにわたる戦争に終止符を!


 たった四人の決死隊。だが、士気は高い。旅の中で育ててきた互いに対する厚い信頼も。

 しかし、いよいよ魔都へと踏み込み、最奥に位置する魔王城へと突入する瞬間のことだ。俺の肉体だけが地面から浮き上がった。魔方陣に呑まれたんだ。

 それは強制転移だった。魔族の設置した罠――ではない。人類の魔術であることはすぐにわかった。魔族は魔法を使う際、詠唱も魔方陣も必要とはしないから。


 気がついたとき、目の前にはパドラシュカ王国の国王アルフェリクトが立っていた。魔王との決戦を目前にして、遙々引き戻されたのだ。それも三年も前に旅立った祖国へとだ。

 俺はただ呆然とした。

 三年ぶりに見る王と宮廷魔術師が、こちらに冷たい視線を向けている。

 わけがわからず、彼らに尋ねる。


「こ、これはどういうことだ!? どうして俺を引き戻したんですッ!?」


 アルフェリクト王が静かに、有無を言わさぬ口調で告げた。


「勇者フランシス・リンドロートよ。魔族との間に永世講和条約が締結された。もはや人魔戦争は終わったのだ」


 その言葉に唖然とした。頭の中が真っ白になった。思考が止まった。

 パドラシュカ王は続ける。


「これ以上の戦は互いの種族にとり存亡の危機に繋がると判断した。万に一つの可能性にかけ、捕虜を通じ魔族と対話を設けたのだ。そして人類同様に疲弊していた魔族もまたこの提案を受け容れ、条約は即日結ばれた」

「ふざけるなっ! ふざけるなっ! ふざけるなっ!! 俺たちがこの三年間、どれだけの地獄を見てきたと――」

「黙れ。不敬は見逃してやる。口をつぐむがいい。これは人類の総意であると知れ。たかが血筋で勇者などという幻想に選ばれただけの凡俗が口出ししてよい話ではない」

「……ッ」


 いや、わかってる。俺にだってわかる。これは人類にとって願ってもないことだ。ただし、決死隊同然に送り出されたこの三年間の苦労がなければ。

 たった四人で魔王を暗殺してこいという無茶な王命をいきなり呑まされ、勝手に連れ戻されたあげく、仲間の三人は魔族領に置き去りときた。

 やることなすことめちゃくちゃだ。イカれてる。

 だが俺にとっての真の最悪は、ここからだった。俺の心情など察することもなく、あるいは察していたとしても、王は冷徹に続ける。


「ただし、条約の締結には条件がある。――オーゲン」

「は」

「告げよ」


 宮廷魔術師オーゲンが、懐から一枚の紙を取り出した。それを俺にも見えるように、両手で広げてこちらへと向ける。

 俺は視線に殺意を宿して、その様子を睨みつけた。いまにも腰の聖剣を引き抜き、この先の人生をなげうってでもこのふたりを斬り捨てたいという、怒りの衝動をかろうじて抑えながらだ。


「強力無比なる力を秘めた極致戦力〝勇者リンドロート〟の抹殺が、魔族側から提示された講和のための条件です」

「あ?」


 そうか。そういうことだったか。

 だから己はただひとりだけ転移魔法で強制転移させられたのだとわかった。苦楽をともにした仲間が、刑を執行するにあたって万に一つも邪魔などしないように。

 周到すぎて笑える。


「呑んだのか……。あんたたちは……それを……」

「ええ。申し訳ありません」


 宮廷魔術師オーゲンは、一切視線を逸らすことなく、己の感情を殺したような声でそう返事をした。そうしてにべもなく続ける。


「同時に魔族側は反乱による〝魔王〟の抹殺を確約しております。あの凶悪無比なる魔王ヴェロニカさえ消えれば、仮に講和条約が破られたとて人類敗北の可能性は現状以下となりましょう」


 そうか。ようやくわかった。俺たちは最初から期待などされていなかった。ただ民衆の希望を繋ぐためだけに勇者として祭り上げられ、時間稼ぎのためにあの旅をさせられた。

 俺は殺意を込めて右手を聖剣の柄にのせる。

 それでも宮廷魔術師は退かない。冷徹な視線で淡々と。


「あなたひとりの命でこの先失われるはずの数百万の命を救えるのです。それともあなたはここで我々に反旗を翻し、我々と、そして彼らの命を奪いますか。人魔戦争が続けばまた多くが失われる。ならば彼らを殺すのは魔族ではない。あなただ」

「ぐ……っ」


 つかんだ柄がギシリと軋んだ。だが腕が動かない。鞘の中で刃がカタカタと鳴っている。どうしても剣を抜けない。

 わかっているからだ。俺と王、どちらが正しい未来を語っているのかくらいは。

 斬れ……ない……。

 俺は歯がみし、しばらく後にうなだれた。

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