揺らめき .4
自室に戻った僕は特に何もする気にならないまま、ごろんとベッドに横になった。友達を亡くした後って、何もやる気にならないものなんだよ。何をやるにしても、自分はこんなことをしていていいのかって気になってくるし、何もしていなくても、それはそれで後ろめたくなってくるものなんだ。八方ふさがりなんだよ。寝転がりながら天井を見つめる。こういう時、宗教がある人が羨ましく感じることがある。わかるよ。君が言いたいこともわかる。宗教ってやつはさ、基本的に何か深いことを言っているようでその実何を言ってるのかさっぱりわからないんだ。あれはインチキだと僕は思うね。それっぽい言葉を並べてるけど、実際のところ、何も言っていないのと同じなんだよ。特に新興宗教的なやつはダメだね。胡散臭くて仕方ない。でもさ、同時に自分が救われているならそれでいいとも僕は思うんだよ。他人に迷惑をかけていないならね。例えば、こういう一人取り残されたような気持ちになったときにさ、友人の死について神かなんかに祈ったとする。死者のために祈るんだ。そうすればさ、自分は死んだ人のことを思って何かをしているってことで、自分自身を納得させられるんだよ。仮に死者の方がそれを疎ましく思っていたとしても、死者は僕たちに反対することはできないんだから、一方的に押し付けられるんだよね。自己満足ができる。結果自分は宗教によって救われてるわけだから、それはそれでいいんじゃないかと僕は思うね。
でも僕は何の宗教も信仰していなかったから、祈る対象もいなければ祈り方もろくに知らなかった。だからこうして、何もない空間に放り出されたみたいな感覚に、じっくりと身を蝕まれているわけだ。正直に言うと僕はこれまで、人を失った実感というものをちゃんと心の芯から捉えられたためしがないんだ。親戚が亡くなった時も、葬式で周りの人たちが泣いている中、僕はいまいちつかめなかった。自分がどこにいるのかわからなくなるんだ。間違いなく悲しいんだけど、その輪郭がはっきりしないというか、どちらかというと無に近い状態になる。その点で言えば、感動系の映画なんかを見た時の方がよっぽどはっきりと悲しみを感じられるね。思いっきり泣いちゃったりもできるんだ。こういうと、僕のことを冷たい人間だという人もいるけど、自分としてはそれもなんだかしっくりこない。冷たいとか人情味あふれるとか、そういうことじゃないんだ。うまく言えないんだけどさ。
そんなことをあれこれベッドで考えながら、僕は軽く目を閉じた。こうやって考えていると、途中で脳内の壁に当たったみたいに思考が止まることがある。ちょっと意識して力まないと、その先の思考にいけないんだ。場合によっては、力んでもその先を考えられなくなってしまうこともある。そういう場合、途中で考えるのを諦めるか、無理にでも考えようとして結果思考が混乱するかの二択になるんだけど、僕は昔からこの脳内の壁みたいなものがひどく煩わしく感じていた。ちょうど今回も、それが邪魔をしてきて思考が止まる。本当に頭がいい人っていうのは、この壁を感じることなくどこまでも思考し続けられるんだろうか。だとしたら、それを羨ましいと僕は思った。
しばらく無のまま横になっていると、携帯から通知音が鳴った。腕を伸ばして見てみると、井波からメッセージがきていた。いつの間にか時間は一時間以上たっていて、時刻は三時手前になっている。
「ちょっと話したいんだ」
井波からのメッセージに同意のスタンプを送ると、僕は体を起こして部屋を出た。部屋を出ると、すぐ隣の坂本の部屋で、権田さんと桐原さんが会話していた。どうやら様子を見に来た桐原さんに、権田さんが色々と質問しているらしい。米山さんと小倉さんは自室にいるのか、今は桐原さん一人だった。それを横目に見ながら、左手にある井波の部屋の扉を叩く。ものの五秒もしないうちに、扉は開いた。中に通され、二人並んでベッドに腰かける。部屋の中は予想通りというか、しっかり整理されていた。
「ちょうどよかったよ。僕からも康介に聞きたいことがあったんだ」
隣に座る井波は、やっぱりまだ何か思い悩んでいるみたいだった。二日酔いはおそらく抜けているだろうが、その顔色は朝よりも悪化している。
「それで、話ってなんだ?」
「順平の方から話してよ。僕はまだ心の整理がつけられてないからさ」
自分から呼んだくせに、井波はそう言ってうつむいた。もともとメンタルが強い方ではないから、彼なりに色々と頑張っているのだろう。別に断る理由もなかったので、僕の方から尋ねることにした。さっきの会議の時に、疑問に思ったことだ。
「じゃあ早速聞くけどさ、自分の部屋で一人で飲んでたっていうの、あれ嘘だろ」
僕の言葉に、井波はぴくりと肩を震わせた。
「どうしてそう思うんだい?」
「お前の酒癖が悪くなるのは、決まってイライラしている時だ。イライラしていないときのお前はちゃんと飲む量をコントロールできる」
「いや、そうとも限らないよ。順平が知らないだけで、実は僕はどうしようもないアル中なんだ」
「そんな嘘が通用すると思ってるのか? もう長いこと一緒にいるんだぞ」
僕は少し語気を強めた。彼が僕に対して嘘をついているということは間違いない事実だった。そして実際、井波だってそんな嘘を僕が信じるとは思っていないだろう。彼は小さく唸るような声を出してしばらく考えた後、覚悟を決めたように口を開いた。
「実は僕さ、昨日の夜の記憶がないんだ」
その事実は、僕を少しだけ驚かせた。ロビーで潰れていたなんて話もあったから、もしかしてとは思っていたけど、こうして本人から聞かされると何とも言えない気持ちになる。
「でもお前、三時に水を貰いに行ったってさっき言ってただろ」
「それは本当さ。なんとなくその瞬間の記憶だけうっすら残ってるんだ。でもその前のこととか、ロビーで浅田さんに起こされたこととかの記憶は全然ない」
「まじかよ……」
頭を抱える。殺人が起きた夜の記憶が全然ないとなると、それはとても不利になることだ。寝ていたとかの方がまだマシだ。夢遊病でもない限りその人は、間違いなく睡眠以外の行動をとる心配がないのだから。
「それで、誰とどこで飲んでたんだよ」
僕が尋ねると、井波は黙り込んでしまった。言うべきか言わないべきか、それを考えているようだった。要するに、僕のことを信用に足る人間かどうか考えているわけだよ。僕は話してほしいと思ったけど、それを強要はしなかった。「俺たち友達だろ」とか言うやつに、ろくな人間はいないからね。僕としては井波が話したくないと思うんだったら、最悪それでもかまわないと思っていた。恋人だろうが家族だろうが親友だろうが、結局は自分とは違う存在だからね。たっぷり数分考えた後、井波は意を決したように口を開いた。井波がイライラするような相手だから、おそらく女子三人組のうち誰かだろう。小倉さんはわからないが、少なくとも桐原さんや米山さんは何か隠しているみたいだった。
「……やっぱり、言えないな」
井波はじっと口をつぐむと、そのままベッドの上で膝を抱えるようにして丸くなった。足先が冷えるのか、時折手のひらで指をさすっている。
「……まぁ、無理には聞けないな」
正直僕としては少なからずショックなことではあった。だけどさっきも言った通り、僕は彼にそれを強要するつもりはなかった。誰かに何かを話すって、責任が伴うと思うんだ。噂話なんかがいい例だけど、それがほんとか嘘かに限らず、口にしたことっていうのは何かしらの影響を周りに与える。だから同様に、誰かに何かを話させるということも、無遠慮にすべきではないと僕は思っていた。
それから一時間くらい、僕らは無言のまま携帯をいじったりして過ごした。正直心のどこかで、井波のことを疑うような気持ちがわいてしまっていたことは事実だけど、僕はそれから目をそらすようにして、携帯でSNSを漁った。どこかの動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたらしい。おめでたいことだ、と僕は思った。
「ちょっと坂本の様子を見に行かないか?」
このままこの部屋でじっとしているのも限界がありそうだったので、僕はそう提案した。この部屋に井波を置いて自室で昼寝でもする、という選択肢もなくはなかったけど、なんとなく井波を一人ここに置いておくのは気が引けた。彼はあまり乗り気じゃないみたいだったが、ほかにやることもないので大人しく僕についてきた。
井波の部屋を出ると、桐原の姿はすでになくなっていた。今は権田さんが一人、坂本の部屋の中を調べまわっている。中に入ると、彼女の死体の上には白いシートのようなものがかぶせられていた。
「ああそれ、さっき私がかけたんです。ずっと野ざらしのまま放置しておくのは、さすがにかわいそうでしょう」
権田さんは僕たちの侵入に気配で気づいたのか、こちらを見る前に話しかけてきた。プライドが高い坂本のことだから、僕たちがもっと早くにかけてあげるべきだったのだろう。そのことを少し後悔しつつ、僕と井波は彼に感謝した。
「二人は大丈夫かい?」
権田さんはこちらを振り返ってじっと僕らに目を向けてくる。
「友達を亡くしたんだ。つらいのも無理はない」
そういうと、彼はつけていた白い手袋を外してぱたぱたとそれをはたいた。
「何か困ったこととかがあれば、相談に乗るよ」
「助かります」
僕はそれだけ言って、坂本を見下ろす形でベッドの隅に立った。
「何かわかりましたか?」
「まあそうだね。わかったこともあればわからないこともあるね」
「例えば?」
「それはまだ言えないな。今夜十時からもう一度、全員そろっての会議をやるから、その時に少し話すよ」
そういうと、彼は白い手袋をズボンのポケットに入れた。代わりに手帳とペンを取り出し、それを両手に持つ。
「みんなやっぱり気になるみたいだね。かわるがわるここに来てる。まだ来てないのは、相川夫妻と浅田さんだけだ」
「そうなんですか」
井波の返答にかぶせるようにして、僕は彼を見つめ返す。その含みを持たせた言い方がちょっと引っかかったんだ。
「犯人は現場に戻る、と?」
「そういうわけじゃないよ。すまないね。仕事柄ジャブを打つのが癖になってて」
彼はそう言いながら、何かしらを手帳にメモした。なんとなく嫌な感じだ、と僕は思った。面接とかでもそうだけどさ、話の途中にメモをされたりすると、なんかこちらが悪いことをしたのかな、っていう気になってくる。やめてほしいよね。ほんとにさ。
「お、高津くんと井波くんか」
その時、黒沢さんが部屋に入ってきた。彼は相変わらず例の黒いコートを着ていた。
「またですか?」権田さんは彼を見て言う。「さっきも話したじゃないですか」
「さっきは小倉さんに話を聞くのがメインだったからね。できるだけ多くの人から話を聞きたいんだよ」
黒沢さんは僕らを見て軽くウインクをした。僕はもうすっかりこの人を好きになれないと思っていたから、何も言わずにそっと目をそらした。
「何か、ほかの宿泊客について気になることはあるかい?」
探偵気取りの黒沢さんが尋ねてくる。僕としてはこの人と話したくないと思っていたけど、一応引っかかることがあったので伝えておく。
「昨日の夜十二時、浅田さんが二階に来ているのを見ました」
「さっき言ってたね。たしか廊下の汚れをチェックするためだとか」
「ええ。ですが僕はどうにも誰かと会っていたような気がしてならないんです。僕としては、相手は米山さんなんじゃないかとにらんでるんですけどね」
会議中に向けた視線といい、なんとなく二人の間で秘密が持たれている気がする。特に根拠とかがあるわけじゃないただの直感だったが、権田さんはメモをしながら尋ねてきた。
「つまり、二人が協力して何らかの方法で坂本さんを殺したと?」
「そこまでは言ってませんけど……」
僕は肯定とも否定ともつかない曖昧な感じでそれに答えた。繰り返しになるけどさ、何かを話すってことには責任が伴うんだ。だから基本的に、僕は物事にかかわっていこうとするタイプじゃない。僕自身その姿勢は嫌いじゃないけど、同時に悪いところも確かにあるんだ。ことなかれ主義の弊害というか、例えばさ、もし事件が起きた時に、この人がもう犯人だろ、ってなったとする。でも僕は、もし違ったら、ってことを考えちゃうんだ。仮に僕が警察になったとしたらだよ、世の中から悪人なんて一人たりともいなくなるんじゃないかな。誰一人として逮捕や起訴なんかできないんだから。
「やっぱり、高津くんもそう思うかい。私もあの二人には何かあると思ってたんだ」
黒沢さんが僕に同意する。でもこの人の同意なんか大した意味を持たない。どうせ何も考えていないんだから。そう思っていたら、「でも」と彼はつづけた。
「でも、私はあの二人が犯人だとは思わないな」
それは結構意外なことだった。なんでも疑う人なのかと思っていたから、黒沢さんがこうしてはっきりと否定の意を唱えたことに僕は驚いた。
「浅田さんはさ、米山さんのことが気に入らないように私の目には見えるね。あの視線は共犯者に向けられたものというよりは、そうだな、もっと嫌悪感の混じったものに思える」
「そうですかね」
井波が首をかしげる横で、権田さんは熱心にペンを動かしていた。それからもしばらく四人で話していると、四時半くらいになっていた。井波は「疲れたから」と言って部屋に戻っていってしまった。僕としては、まだもう少し彼らの話を聞いていたい気分だったから、その場に残ることにした。
「相川夫妻についてはどう思う?」
井波の背中を見送って、黒沢さんは僕に尋ねてきた。
「特に何とも思いませんよ。神経質そうな千代さんと、ある種自由な響さんが上手いこと支え合ってるなって感じがします」
「怪しいとは思わないかい?」
「別に」
部屋の中を眺めながら、僕は答えた。権田さんはあまり触らないようにしているのか、部屋の中で変わったところは特に見られない。黒沢さんは何か言いたそうに腕を組む。実際、僕は相川夫妻が坂本殺害の犯人だとは一切思っていなかった。夕食のときの反応からして、もし千代さんたちが誰かを殺すとしたら、桐原さんか米山さんのどちらかだろう。そんなことを思った。
「そうですかねぇ……」
しかし黒沢さんはそうじゃないらしく、何かを言うか言うまいか悩んでいた。
「話してくださいよ」
権田さんが黒沢さんに言う。黒沢さんは「ちょっと待ってください」と言ってたっぷり五分くらい考えると、ゆっくりと口を開いた。
「いいでしょう。ここにいる二人には教えます。千代さんはね、私たちに嘘をついてるんですよ」
「え?」
自分でもびっくりするくらい間抜けな声が出たことに驚き口をふさぐ。彼女が嘘をついている? 意味が分からなかった。
「バイアスがかかるのを避けたいので、ギリギリまで指摘するつもりはなかったのですが」
と前置きして、彼は話す。
「さっきの会議で、最後に坂本さんを見た人はいますか、という質問をしたでしょう? あの時、桐原さんが彼女と喧嘩して、十二時半までこの部屋にいたことが分かりましたよね?」
「はい。それで僕は、彼女が怪しいと」
「確かに桐原さんの後、坂本さんを見たと名乗り出る人は誰もいなかった。ですがね、実は私、一時にトイレで浅田さんと話に行くとき、ロビーから食堂の方を覗いて見かけたんですよ。坂本さんと千代さんが二人でお茶を飲みながら話しているのを」
「本当に?」
それはかなり衝撃的な情報だった。漏れそうになる声を押さえるのが大変だったくらいだ。もし黒沢さんの話が本当なら、桐原さんは坂本と口論をした後、本当に一時になる前にこの部屋を出て行ったことになる。
「でもどうして千代さんはそれを黙っていたんでしょう?」
ページをめくりつつ、権田さんが首をひねる。唇の下にペンを当てて、今にも食べだしちゃうんじゃないかという格好だった。小学校の時にいただろう。先の方を噛むせいで歯形だらけになった鉛筆を持ってる子が。雰囲気で言うと、あんな感じなんだよ。当然、権田さんはペンを噛んだりはしなかったけどさ。
「それが分からないんだよ。浅田さんとの会話を終えて戻るころには二人ともすでにいなくなってたし」
「つまり、最後に坂本さんを見たのは千代さんということになります」
これは決定的な情報が出たぞ、と僕は思った。犯行時刻が一時過ぎで、その直前に千代さんが坂本と会っていたのだ。もちろん、黒沢さんが言っていることが本当ならの話だが。彼もこの事件の容疑者の一人なわけで、どこまで信じていいのかはわからなかった。
「そもそも、どうして相川夫妻はこの時期にこんな山奥に来たんだろう。何か知ってるかい?」
黒沢さんは僕に尋ねてきた。僕は昨日の夜、彼らから聞いた話を二人に話した。
「登山が好きみたいですよ」
「失礼ですが、あの歳で?」
権田さんが目を丸くする。
「千代さんの方はもともと体が強くないらしくて、かなり強めの鎮痛剤を医師から処方されてるみたいです。でも二人にとって登山は特別な時間だから、たまにこうして山に登ってるんだそうですよ」
「なるほど」
黒沢さんは納得したように腕を組んだ。
「それは素敵な話だ」
そういうと、彼はぐっと伸びをして小さくあくびをした。携帯を見ると、時刻は五時になっていた。
「そろそろ私は部屋に戻ろうかな」
「貴重な情報、ありがとうございます」
メモを閉じた権田さんが礼を言う。彼は背中を向けたまま手をひらひらと上げると、こちらを見ることなく出て行った。僕と権田さんと、それから坂本だけがこの部屋に残される。窓の外を見ると、いつの間にか太陽は山の影に隠れようとしていた。
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