揺らめき .3
僕たち三人がロビーに降りると、浅田さんを含めた全員がすでに集まっていた。千代さんの姿もそこにはあった。きっと響さんが何とか説得したのだろう。彼の顔には疲れが見てとれた。一方で千代さんはというと、僕ら全員を怪しんでいるのか、腕を組みながら一人一人を睨んでいた。僕も当然睨まれたんだけど、もうほんとにちびっちゃうかと思ったね。昨晩響さんに向けられていたものよりもさらに鋭い視線なんだ。たぶん彼女はこの世のすべてが敵だと思ってるんじゃないかな。響さん含めてね。
「よく集まってくれました」
立ったままコートのポケットに手を突っ込んだ黒沢さんが見回して言う。現場は今誰もいない状態になっているが、浅田さん含めこの建物にいる人はみんな集合しているのだから誰も現場には近づけないだろうという判断だった。当然、会議が終わるまではロビーを離れてどこかへ行くことは禁止されている。
「警察の方が来るまでの間に、私たちでもある程度情報を整理しておきましょう」
「その前になんだが、どうして黒沢くんが仕切っているのかね」
一人がけの椅子を向かい合わせて座る相川夫妻のうち、響さんの方が黒沢さんに尋ねる。別に怒っているとか疑っているというわけではなく、あくまで公平性を保つために、というニュアンスでの質問だった。
「君が議論の方向性をコントロールしようとしているように見えなくもないのだが」
「なるほど、確かに」
黒沢さんは少し考えてから頷いた。コートのポケットに手を突っ込んで頷いてる人って、どうしても胡散臭く見えちゃうんだ。特にその人が「なるほど、確かに」なんて言ってるときはなおさらね。
「わかりました。ではどなたか別の方が進行役を務めてください。できれば昨夜の間ずっとアリバイがある方がいいんですが」
全員がお互いに目をやる。僕は進行役なんかやりたくなかった。小学校の時からそうなんだ。こういう会議みたいなものって、踊るだけ踊って進まないのが世の常なんだ。互いを疑い合ってるときなんかは特にね。そんなものをまとめるなんて、たとえお金をもらったとしてもごめんだった。
「そんな人いないでしょ」
ソファに三人腰かけた女子たちのうち、桐原さんが指で髪をくるくるいじりながら足を組む。ギャルだからとか関係なく、そういう仕草って自然と目につくんだ。彼女のことを性的に見てるとかそんなんじゃないよ。ただ単純にね、人が死んでるのにそんな適当な態度でいることが不快だったんだよ。つまりね、ようやく今更にして僕は、坂本が死んだことの実感がわいてきたということなんだ。
「事件は夜中に起きたんでしょ。夜通し自分の無実を証明してくれる人なんているわけないじゃない。みんな寝てたんだから」
「まだ事件と決まったわけじゃないですが」
口を滑らせたな、とばかりに黒沢さんが怪訝な顔を彼女に向ける。桐原さんは呆れたようにため息をついた。
「馬鹿じゃないの? 事故にも自殺にも見えないし、どこからどう見ても殺されてるじゃない」
そう言われると、黒沢さんは何も言えず黙り込んでしまった。要するに、この程度の探偵なんだ。ろくに推理なんかできそうにないんだよ。まったくの話ね。
「では、私が進行役をやりましょう」
このままでは埒が明かなそうだったので、浅田さんが手をあげた。
「一応、私は一晩中起きてましたので」
「助かります」
「しかし議論を始めるその前に――」彼は全員をにらみつけた。浅田さんが厳しい表情をしたのは初めてだったので、ロビーは軽く緊張に包まれた。
「昨日の夜十二時半ごろ、トイレが詰まっていると千代さんから報告を受けました。その後一時十五分まで私はトイレの修理をしていたんですが、原因はトイレットペーパーを芯ごとまるまる流そうとしたことによるものでした」
「本当だよ」
浅田さんの言葉を裏付けるように黒沢さんが言う。
「私が一時にトイレに行こうとしたとき、浅田さんは絶賛修理中だったから」
報告した当人である千代さんもそれに頷いていた。
「一時十五分すぎに、浅田さんは修理が終わったと部屋まで報告に来てくれました」
「問題はですね、そんなことは普通にトイレを利用していただければ起こらないということなんです。つまり、誰かが意図的にトイレを詰まらせたということになります。何か知っている人はいますか?」
浅田さんは怒っているみたいだった。恐る恐る、といった感じで、僕は口を開いた。まったく、気軽にしゃべれる雰囲気じゃないんだ。一言しゃべるだけで窒息しちまうんじゃないかと思ったね。僕が詰まらせたわけじゃないのにさ。
「十二時に僕がトイレに行ったときは、何も問題ありませんでしたよ」
「本当に?」
千代さんが疑うような視線を向けてくる。まるで僕がやったと思ってるかのような口ぶりだった。勘弁してほしいよ。何か情報を落とすたびにその人が疑われるんだから、議論なんか進みようがないじゃないか。
「ではその三十分の間に、誰かがやったということになります」
黒沢さんが僕をじっと見て言った。でも何のためにトイレを詰まらせたのだろう? 僕はわけがわからなかった。みんながみんな、お互いに視線をやるが、結局誰も名乗り出ることはなかった。
「ほかの皆様の迷惑になりますので、二度とこんなことをなさらないようにお願いします」
そう言いながら、浅田さんがちらっと米山さんに視線をやった気がした。でも彼は全員のことを見ていたし、それは単に僕の気のせいだったのかもしれない。
「では本題に入りましょう。昨日の晩、最後に坂本さんを見た人はいますか?」
それで僕と井波は、桐原さんの方に目を向けた。浅田さんにいれてもらったお茶を飲んだ後、十一時四十五分くらいから、彼女は坂本の部屋に入っていったのだ。実際、その一時間後くらいに誰かと口論する声を僕らは聞いている。
「桐原さんじゃないんですか?」
僕が聞くと、彼女はちょっとだけ目をそらした。
「確かに私は彼女の部屋に行ったわ。それでちょっとだけ会話して、自分の部屋に戻った」
「何分くらいですか?」
「さあね。十分くらいじゃない?」
僕はどうしたものかと考えた。それを証明できるのは坂本だけだが、彼女はすでに死んでしまっている。それで僕は、少しかまをかけてみることにした。この時の僕の機転はなかなかにクールだったと自分でも思うね。
「嘘ですね。実はあなたと坂本さんが口論をしているのを、僕は十二時半ごろ聞いています。となると、少なくとも四十五分間、あなたはあの部屋にいたことになる」
僕が言うと、彼女は「しまった」とばかりにぐっと唇を噛んだ。実際のところ僕は坂本の声しか聞いていないんだけど、どこまで自分の声が聞こえているのかは、喧嘩している当人にはわからない。
「認めるわ。確かに私は彼女と喧嘩した」
「どうして嘘をついたんですか?」
「疑われるからよ。あなたたちは馬鹿だから、被害者と喧嘩していたとなればそれだけで私を犯人だと決めつけるでしょう。それが嫌だっただけ」
「喧嘩の原因は?」
浅田さんが尋ねると、彼女は隣に座る小倉さんの方をちらりと見てから、「言えるわけないでしょ」と首を振った。
「それで、その後は?」
少し騒然としたのを黒沢さんが制し、質問する。
「喧嘩した後どうしたんだい?」
「どうもしないわよ。ちょっと彼女がヒステリー気味に叫んだから、うんざりして部屋に戻った。言い争い自体は十分もしてないわよ。その後はすぐに寝て、七時までぐっすり」
「それは嘘じゃないだろうね?」
「ほんとの話よ。証明できる人はいないけど」
「では、その後坂本さんを見た人は?」
黒沢さんの問いかけに答える人は誰もいなかった。彼は千代さんから時計回りにぐるりと全員を見た後、また千代さんのところで視線をとめると、「うむ」と考えこむように腕を組んだ。しばらくそのまま無言の時間が続いたので、響さんが口を開いた。
「米山さんは? 今朝七時に私がロビーで読書していたら、十五分くらいに風呂から出てきたみたいだが、君は何時に起きたんだい?」
「六時よ。寝たのは十一時半。恵と彼女の喧嘩の件も知りません。それから一時間くらいお風呂に入って、その後は朝食まで恵と桃花とロビーでしゃべってました。それは響さんも見てたから知ってますよね?」
「ああ。確かに」
響さんは頷いた。どうやら朝食の前から、女子三人組と響さんはすでにロビーにいたらしい。浅田さんはキッチンで作業していて、千代さんと黒沢さんは僕と同じくらいのタイミングで起きたみたいだ。
「そういえば……」
ふと昨晩トイレに行った時のことを思いだし、僕は言った。
「昨日の夜十二時、浅田さん二階にいましたよね?」
僕の質問に浅田さんは一瞬だけうろたえたようだった。でもそれはすぐになりを潜め、平然とした顔で彼は言う。ともすれば僕の気のせいだったんじゃないかと思ってしまいそうなくらいだった。
「いえ、誰にも会いに行ってはいませんよ」
「でも僕見ましたよ。浅田さんが階段を下りていくところを」
「ああ! あれは二階の廊下の汚れをチェックしていただけですよ」
たった今思い出したかのように浅田さんは手を合わせる。僕にはそれがひどく嘘っぽく見えたのだけれど、それを証明する手段を、僕は持ち合わせていなかった。僕の中で、途端に浅田さんの信用度がなくなっていく。信頼ってやつは、築くのは大変なのに失うのはあっという間なんだ。しかしどうしたものか、と僕は頭を抱える。こうなると、みんなが嘘をついているように思えてきて、不信感ばかりが募っていくのを感じた。僕に限らず、ここにいる全員が疑心暗鬼になっている。井波はまだショックから立ち直れていないのか、一言もしゃべらず、ただ黙って下を向いていた。
「井波さんは?」
そんな彼に、黒沢さんが声をかける。井波はゆっくりと顔を上げると、黒沢さんのことをじっと見た。
「昨日の夜、何をしていましたか?」
「僕は……」と一呼吸おいてから話し始める。急に話を振られたせいか、彼は少し動揺しているみたいだった。
「僕は昨日一時十五分くらいまで順平の部屋でゲームをして、その後は自分の部屋でお酒を飲んでいました。それから寝たんですけど、ちょっと飲みすぎてしまったので途中で目が覚めて、三時くらいにキッチンに水を貰いに行きました。それは覚えていますよね?」
「ええ、確かに」
浅田さんと黒沢さんが頷く。どうやら二人とも、三時くらいまでキッチンで作業していたみたいだった。
「どうして黒沢さんがそんな時間にキッチンに?」
米山さんが訝しげに二人をにらむ。黒沢さんは焦ることなく淡々と答えた。
「夕食がとても美味しかったのでその作り方なんかを教えてもらっていたんです。それから浅田さんは朝食の仕込みをするっていうので、少しだけそれも手伝いました。結局僕が寝たのは三時半です。浅田さんも同じタイミングで自室に戻っていましたね」
「ええ、ですがその時ロビーで井波さんが爆睡しておられたので、私は黒沢さんが階段を上がるのを見送った後、井波さんに毛布をかけました。それから朝食の支度を始める六時まで自室でのんびり過ごして、部屋を出たらまだ井波さんがロビーで爆睡してらっしゃったので、さすがに二階の自室で寝るよう促してから、キッチンで朝食の支度をしていました」
「それは確かか?」
僕は井波をじっと見た。彼はばつが悪そうに目をそらすと、「ほんとだよ」と頷いた。
僕は呆れてしまった。知人が朝まで宿のロビーで爆睡していたというのだから、僕にとっても結構恥ずかしいことだった。想像してみてほしいよ。朝起きたら、君の知人がホテルのロビーで酔いつぶれているんだ。知らない人のふりをしたくもなるさ。でも恥ずかしさのほかに僕はもう一つ、今の井波の話に違和感を覚えた。でもここでそれを指摘するのは、全員の中での彼の印象が悪くなりそうだったのでやめておいた。これは後で彼に直接聞くとしよう。僕がため息をついた時だった。
「こんにちは」
エントランスの扉から、三十歳くらいの比較的若めの警官服を着た男が顔を出した。時間を確認すると、すでに十一時近くになっていた。議論なんかまるで進んでいないのに、時間だけが過ぎていくんだ。誰かが一言しゃべるごとにざわつくからね。警察官の人は足元についた雪を手で払うとそのまま扉を開けてロビーへと入ってきた。
「ああ、警察の方ですか」
比較的ほっとしたように浅田さんが胸をなでおろす。たぶんオーナーとして相当な責任を感じていたのだろう。彼の登場は浅田さんにとっては安心できるものだったのかもしれない。しかし黒沢さんは彼を見ると「身分を証明できるものは?」と尋ねた。警察の方は「ああ」と言って笑うと、ポケットから警察手帳を取り出した。そこには「権田蒼」と言う名前とともに、顔写真が載っていた。
「念のため、君が本当に警察なのか、今から本部にもう一度電話して確認してもいいかな?」
黒沢さんは彼を警戒するような目つきで言った。わけが分からない人も中にはいたんじゃないかな。実際、権田と名乗る男の人も驚いて固まっていた。つまりだね。黒沢さんはこの人が偽造の警察手帳を持った偽の警察官で、実は犯人の協力者なんじゃないか、なんて疑っているわけだよ。ミステリーの読みすぎで、頭がおかしくなっちゃってるんだ。通報したのは自分のくせにね。僕が思うに、彼はお金を使うたびに一枚一枚光にかざさないと気が済まないタイプなんじゃないかな。世の中のすべてを疑ってるんだ。宇宙人はすでに僕らに接触してきているし、地底には大文明が築かれているんだよ。僕らが気づいていないだけでね。
「……? ええ、いいですけど……?」
権田さんが戸惑ったように言うと、黒沢さんはそれをじっと見て、ざっと十秒くらい見ていたんじゃないかな。それくらい長い時間疑うような視線を向けた後、「わかりました。信じましょう」と握手した。
「では、早速ですが現場を見てください」
浅田さんが権田さんに詰め寄りながら言った。たぶん早く解決してほしくて仕方ないんだね。もう手まで繋いで走り出しちゃうんじゃないかと思うくらいの勢いだった。権田さんは気圧されながらもそれに従い、二階へと進んでいく。僕らもそれに続いて階段を上った。
坂本の部屋の前につくと、「ここですか?」と指さして、権田さんはためらうことなく中に入っていった。
「なるほど……って、ちょっと入らないでください」
あごに手を当てた彼は、続いて入ってこようとした桐原さんを手で止める。まるでライブで前に来ようとする客を押さえようとするスタッフみたいだと思った。彼女はそれが気に入らなかったのか顔をしかめつつも、さすがに警察には逆らえないのか大人しく部屋の外に出た。
「どうですか? 何かわかりましたか?」
浅田さんが首を伸ばして中にいる権田さんを見つめる。最初、ドラマとかで見るようなキープアウトの黄色いテープみたいなものを張るんじゃないかと僕は思っていたんだけど、彼はそんなことはせずに、ただ坂本の死体に触れることなくその様子を観察していた。
「えっとですね……あ」
彼は浅田さんの方を見て、何か言おうとした後、まだその場にいる人の名前を全く聞いていないことに気づいたのか、そそくさと部屋から出てきた。そのせいで、僕たちは大体十分くらいかけて、改めて彼に自己紹介をする羽目になった。こういう時の自己紹介って、学校とかでやらされる自己紹介の百倍くらい間抜けなんだ。一刻も早く終わらせたいんだよ。それで僕はとりあえず、坂本の友達だっていう最低限の情報だけを彼に伝えた。
「皆さんありがとうございます。それでですね、さっきの話の続きですが」
権田さんは僕らを見回すと、浅田さんの方へ向き直った。申し訳なさそうに後頭部に手を当てて、まるで電話越しに謝るときみたいに小さく腰を曲げる。
「私は一応警察官ですが、一人で何かできるほど優秀じゃないんです。ドラマや小説に出てくるような名探偵でもなければ、敏腕刑事でもありません。ごく普通の、人の数で何とか事件を解決に持っていく現代の警察の、そのうちのたった一人にすぎません」
蟻の群れを想像してくれ、と彼は言う。たくさん集まってようやく自分より大きな獲物を運ぶことができる。それが警察だ。一匹だけじゃ大したことはできないんだと。
「私個人ということでいうなら、あなた方とほとんど変わりません。せいぜい、警察という権力を盾に皆さんに安心感を与えるくらいです」
「そうなんですか……」
残念、と言ったように浅田さんが肩を落とす。その気持ちはわからなくもなかった。僕だって、警察と言えば問答無用で事件を解決してくれる絶対的な存在だという認識を持っていたし、こうして面と向かって「力になれない」と言われてしまうと、誰に縋ればいいのかわからない気持ちになってしまう。
「ただ、少しでも何かわかることがないか調べてみます」
そういうと彼は坂本の部屋の中をいろいろと歩き始めた。もうすっかり集中しているようで、僕らのことなんか目に入っていないみたいだった。
「――では、そろそろ私は昼食の準備に取り掛かります」
彼の到着からしばらくたった十一時四十五分ごろ、浅田さんが言った。僕らは入り口のところでただ部屋の中を調べる権田さんの背中を眺めることしかできていなかったから、すっかりこの場に居続ける意味を見失い始めているころだった。米山さんに関しては、若干うとうとしているようにすら思えた。
「あ、私手伝いますよ」
そんな浅田さんに、響さんが言う。落ち着いたように見えて、きっと響さんも退屈してたんだと僕は思うよ。退屈するのに子供も大人も関係ないからね。
「本当ですか? 助かります」
浅田さんはそんな響さんの提案を快く引き受けると、二人で一階のキッチンへ降りていこうとした。
「ではお二人以外の皆さんで、昼食前に一度話し合いをしませんか」
そんな会話が聞こえたのか、権田さんが部屋から出てきて言う。僕らは大人しくそれに頷いた。警察の提案ってさ、断れるわけがないんだ。ずるいんだよ。職務質問だとか任意同行だとか、任意と謳っておきながらその実ほとんど強制なんだもの。仮に断ったとしたら余計に面倒になるだけなんだ。僕たち一般人には権利なんか持たされていないんだよ。
階段を下り、ロビーで各々好きなところに腰を下ろす。千代さんや井波なんかは死にそうな顔をしていた。もしこの世界にゾンビがいたとして、この二人はもはや襲われないんじゃないかな。それくらいひどい顔をしていたんだ。でも彼らに限らず、みんな程度の差こそあれ、多少は疲れているみたいだった。壁にかかる風景画も、不思議と昨日とは違って見える。こんなに暗い印象を受ける絵だっただろうか? まるで木陰から何かがこちらを覗いているみたいだ。
浅田さんも響さんもいなくなった今、権田さん以外で自分から話そうとするものはいなかった。黒沢さんは、何やら一人で考え込んでいるみたいだ。考えるふりをしているんだね。まるで探偵みたいにさ。皆が座って黙り込む中、壁際にある暖炉だけが、まるで何事もなかったかのように昨日と変わらぬオレンジの輝きを放ちながら揺らめき続けている。
「では私から、わかったことをお話しします」
権田さんは立ったまま、手帳にペンを走らせながら話した。
「被害者は坂本香織さんで間違いありませんね? ベッドでなくなっているのを今朝高津さんと井波さんが発見し黒沢さんが通報。死亡推定時刻は午前一時で死因は不明。ドアには鍵はかかっておらず、自殺や事故には見えないことから他殺で間違いないでしょう。それから――――」
「ちょ、ちょっと待って!」
小倉さんが驚いたような声を上げた。さっきの会議の時もそうだが、基本的に彼女はずっと黙って話を聞いているだけだったから、それは比較的珍しいことだった。
「どうしたの桃花?」
桐原さんがびっくりしたように彼女を見る。仲のいい彼女からしても、小倉さんのその声は予想外なものだったのだろう。小倉さんは、どうして誰も反応しないのかといった様子で権田さんから目を離さない。
「なんでしょう?」
権田さんが彼女を見つめ返す。すると小倉さんは、ふと冷静になったのか恥ずかしげに視線を逸らすと、ぽそぽそと唇をはじいたみたいな声で権田さんに尋ねた。
「今、死亡推定時刻が一時って言いましたよね? どうしてそれがわかったんですか?」
彼女の言葉で、その場にいた何人かが「あっ」と声を上げる。僕もその一人だった。たしかに、何も疑問に思うことなく平然と聞き流してしまっていた。こういうあたり、まるでセンスがない。
「時計ですよ」権田さんは言う。
「彼女の左手首には腕時計がついていました。跡もついていましたし、彼女が殺されたときに身につけていたのは間違いありません。その時計が止まっていたんですよ。正確には、一時三分四十六秒ですが」
「なるほど。そうか。時計か」
黒沢さんは腕を組んで納得するように頷いた。
「もがいたり暴れたりした衝撃で壊れたんだ」
自分じゃ全く気付かなかったくせに、探偵役のように口元に手を当てて眉を顰める。この時の彼の姿をいろんな人に見せてやりたいよ。もうほんとに、自分が推理小説の主人公にでもなった気でいるみたいなんだ。とにかく胡散臭いんだよ。思わず鼻を覆いたくなっちゃうくらいにね。まったく、何がミステリ好きだよ、と言ってしまいたくなる。
「それから、足跡を見るに、私が来るより前に誰かがこのペンションに来た形跡はありませんでした。外部犯という可能性は低いと思われます。犯人はこの中にいると考えるべきでしょうね」
「そんな……」
千代さんが口元を押さえて僕らをにらむ。僕からすると、彼女のそういう仕草の方がインチキなものに見えるんだけどね。事実、彼女はどこか焦っているように感じられた。
「昨日の深夜一時、何をしていたのか、一人ずつ話していただけますか?」
権田さんは手帳から目を上げると、僕たちを交互に見て言った。「ではまず、高津さんから」
「僕と井波は、僕の部屋でゲームをしていました。十二時四十五分から一時十五分くらいまでです」
「その間不審な音などは?」
「特に。何しろゲームに集中していたもので」
「どんなゲームを?」
「パズルゲームです。つまらないゲームですよ」
「つまらないのに集中を?」権田さんが片眉を上げて訝しげな視線を送ってくる。僕は慌てて訂正した。昔からある悪い癖だ。つい考えなしに口にして、妙な誤解を生んでしまう。
「ああ、気にしないでください。ゲームをやってる人って、自分がやってるゲームのことを、自分が思ってる以上に悪く言いがちなんです」
「ツンデレというやつですか」
「ちょっと違う気がしますけど、まあ、そんなものです。ちゃんと面白いゲームですよ」
「では井波さんも一時は高津さんの部屋にいたわけですね」
「はい」今度は井波が答えた。
「では高津さんと井波さんはアリバイがあるということになる」
「でもそれは知り合い同士のものじゃない。二人で口裏を合わせてる可能性だってあるわ」
それに対して、千代さんがピッと指をさしてくる。今にも「異議あり!」と言ってきそうな勢いだった。
「ええ、ですが、何もないよりはいいです。立派なアリバイですよ」
権田さんは冷静にそれに答えると、今度は女子三人組に目を向けた。黒沢さんも静かに頷いている。
「桐原さんは?」
「私は……」
彼女は少し言いにくそうにして、でも言わないわけにもいかないと決心したのか、権田さんの目を見て答えた。
「私は十二時半ごろ坂本さんの部屋で彼女と口論になって、四十五分には部屋を出て自室に戻りました。それからすぐに寝たので、一時には眠っていたと思います」
「口論ですか……どんな内容の?」
「言えません」桐原さんはさっきと同じように詳しいことは口にしなかった。
「話してください」
権田さんがお願いすると、彼女はたっぷり十秒くらい逡巡した後、「マスコットキャラの推しについてですよ」と口にした。
「彼女と私で意見が食い違って、それから口論になりました」
それはなんとなく嘘のように思えた。説明するのは難しいんだけど、不思議とそんな感じがしたんだ。だけどそう感じているのは僕と小倉さんだけのようで、ほかの人たちはそれで納得したようだった。
「そもそも夜九時半くらいの段階で彼女と米山さんは坂本さんと一度喧嘩になっているからね、私からしたらだいぶ怪しいよ」
「さっきからろくに推理もできていないくせに適当なこと言わないでよ」
黒沢さんの言葉に米山さんが反抗すると、彼はそっと口をつぐんだ。こういうのを見てると、なんだかかわいそうになってきちゃうよね。嫌いだと思ってた人が必要以上につらい目にあってたりすると、ざまあみろ、という気持ちより心配が勝っちゃうあれに似ている。
「米山さんは?」
「私は十一時十五分にお風呂から戻って、それからずっと部屋にいました。寝たのは十一時半ごろです」
「小倉さんは?」
「私は十一時に寝ました。起きたのは六時半です」
「ふむ……」
権田さんは、手帳にメモを進めていく。人がペンで何か書いてるところって、魔法みたいなんだ。さらさらとペンが動いて、いつの間にか真っ白だった場所に文字が生まれている。
「千代さんは?」
「私は十二時半にトイレが詰まっていると浅田さんに報告して、その後はずっと部屋にいました。一時十五分に彼が部屋に来てくれて、修理が終わったと聞きました。それからトイレに行って、寝たのは一時半です」
「本当に?」
黒沢さんが千代さんに疑うような目を向ける。彼女は一瞬だけ露骨にうろたえた後、すぐに「本当よ」と言って彼をにらんだ。どういうわけかさっきから黒沢さんが何か知っているみたいなんだけど、彼は疑うばかりでそれを話そうとはしなかった。
「その間響さんは?」
権田さんが尋ねる。
「主人はいつも早寝なんです。私が十一時にお風呂に行くとき、ちょうど寝てました」
「では最後に、黒沢さんは?」
「私は一時にトイレに行って、トイレの修理をしている浅田さんに会いました。寒い中五分くらいそこで彼と会話して、部屋に戻りました」
「一時三分に犯行は不能と?」
「そう思います。浅田さんにも聞いてみてください」
一通りの聴取を受け、権田さんは「ふむ……」と手帳を見つめる。
「アリバイがあるのは高津さんと井波さん、黒沢さんと浅田さんの四名。アリバイがないのは桐原さん米山さん小倉さん響さん千代さんの五名ってことでいいですかね」
「そうなるわね。悲しいけど」
桐原さんが腰に手を当てて顔を背けると、ちょうどキッチンから浅田さんと響さんが顔を出した。
「お待たせしました。お昼ご飯です」
それから僕たちは席についた。携帯の時刻は十二時十五分を示していた。
昼食はオムライスだった。デミグラスソースのやつじゃなくて、ケチャップのシンプルなやつだ。この辺りはかなり好みが分かれるところだと思うけど、僕個人としてはこっちのケチャップのやつの方が好きだった。食欲があるかは別として。
「いただきます」
目の前に置かれたそれを食べながら、僕らはさっきの会議の続きをしていた。と言っても、権田さんが浅田さんや響さんに色々と尋ねていただけだったが。それ以外の人たちは、黙ってそれを聞いていた。特別何か新しい話が出たわけじゃないけど、響さんは昨日の夜中、一時四十五分ごろに目が覚めて、トイレに行く途中、ロビーで読書をしていた黒沢さんと数分だけ会話したらしい。二時過ぎからキッチンで作業しようとしていた浅田さんも一瞬だけそれを見ており、キッチンに浅田さんの話を聞きに来た二時四十五分まで、黒沢さんはロビーで読書していたらしいということが分かった。
耳だけをそちらに向けながら、手と口は料理に集中する。食べ始めて自分でも驚いたのだが、意外にも僕はそれなりに食欲が回復していた。あんなことがあった後でも関係なく腹がすくんだな、と悲しくなる。井波と千代さんは食欲がないらしく、三十分ほどで食事を終えると、そのまま部屋に戻っていった。その都合で権田さんも坂本の部屋を見張る必要が出てしまったので、彼は残念そうにしつつも、二人に従って二階に上がっていった。
昼食の間思ったことなのだけど、浅田さんは結構限界のようだった。話を聞くに、いつもはお客さんが出ていったあと、昼間のうちに眠っているらしい。しかし今回は僕たちがずっとここにいるせいで一睡もできていないみたいだった。
四十五分くらいかけて僕と女子三人は食べ終わった。黒沢さんと響さんはまだのんびり食べている。黒沢さんに関しては、昨日の夜は一番に食べ終わっていたから、僕はこの人のことがよくわからなくなった。もしかするとデミグラス派の人間だったのかもしれないけどさ。
「よければ昼食の片づけは僕がやりますよ」
眠そうな浅田さんを見るに見かねて、僕は言った。「いいですよ」と浅田さんは最初断っていたが、睡眠の魅惑には勝てなかったのか、結局最後には折れた。
「私も手伝います」
小倉さんも手を挙げる。正直一人でやるには何かと心細いところもあったから、それはありがたい申し出だった。桐原さんと米山さんはなぜだかニヤニヤしながら「頑張りなよ」と小倉さんに言い残して、そのまま二階へと上がっていってしまった。彼女たち二人は一切手伝う気はないらしい。初めて彼女たちを見た時からわかっていたことだけど、自己中心的なんだ。二人とも。他人のために何かをしてあげようという気概が、致命的に欠けている。
「では、すみませんがお願いします。五時くらいまで眠らせていただきます」
浅田さんは僕と小倉さんに頭を下げると、食堂のところのドアから自室へと入っていった。今の時刻は一時だから、四時間くらいは寝れるだろう。食堂で黒沢さんと響さんが食べ終わるのを十五分ほど待って、それから僕たちはキッチンでそれの片づけを始めた。
「へえ、意外だな」
二人で並んで皿を洗ったりしながら、僕たちは互いのことを話し合った。どうやら三人の中で、小倉さんが一番スノボが上手いらしい。僕が昨日スノボでひどい目にあったことを多少脚色しながら話すと、彼女は心配しつつも笑ってくれた。昨日初めて会ったにしては、かなり彼女と仲良くなったような気がする。彼女としても、僕と似たようなところを感じてくれていたんじゃないかな。正直に言うとね、僕はもう結構彼女のことが気になり始めていたんだ。どうやら彼女の家は、小さめのトイプードルを飼っているらしかった。僕は犬が大好きだったから、当然その話に興味を持った。どれくらい僕が犬好きかと言うとだね、もう犬を見かけるとところかまわず抱きつきにいって、お腹の中に顔をうずめちゃうくらいには好きなんだ。その意味で僕は変態なんだよ。犬を見ると、どうしてもお腹のにおいを嗅がなくちゃ気が済まないんだ。それで大抵は嫌われて噛みつかれるんだけど、僕はそれで満足するんだ。エゴだって言われるかもしれないけどさ、好きって気持ちは、いつだって一方的なものなんだよ。
そんな話を彼女は笑って聞いてくれた。内心では引かれてたかもしれないけど、今度スノボを教えてくれると彼女は言ってくれた。三十分くらいそんな話をしていたんじゃないかな。話を終えるころには、もうすっかり昼食の片づけは終わってしまっていた。
「お疲れ様」
階段を上りきって彼女の部屋の前に着いたところで、僕らは手を振って別れようとした。その時ちょうど井波が部屋から出てきた。彼と目が合う。彼は少しだけ気まずそうな顔をしていた。たぶん友達のデート現場に居合わせてしまったみたいな気分にでもなったんじゃないかな。全然そんなことないから、気にする必要なんてないんだけど。あるいは坂本のことを考えて、僕を軽蔑していたのかもしれない。
「浅田さんの代わりにお昼の片づけをしていたんだ」
「そっか。ごめんね。完食できなくて」
「いや、まあ僕は別にいいんだけどさ」
それから井波は「じゃあ僕、トイレに行くところだから」と階段を下りて行った。僕と小倉さんもそこで別れて、僕らは自分の部屋に入っていった。坂本の部屋の前にいた権田さんはそんな僕らのやり取りを見ていたみたいだけど、特に何も言ってくることはなかった。
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