冬の日 .4

 昼食を食べ終わった僕は、スノボとスキーを交換してもらうことにした。お昼を過ぎたこの時間に新しく板を借りる人は少ないらしく、レンタルスペースはひどく空いていた。


「勘違いしないでほしいんだけど、スノボが難しかったとかそういうわけじゃ決してないよ。一応スキーもやりたいからね。残念だな、僕の華麗なスノボ捌きを二人にも見せてやりたかったのに」


「僕も残念だよ。順平が雪にぶっ刺さってるところ見たかったのに」


 僕の必死の言い訳を、井波は「はいはい」といった感じで適当にあしらった。実際、初心者にしては結構いい線いっていたと思うんだ。あと二、三日あればオリンピックにも出れていたかもしれない。でもあくまで今回の旅行の目的はスキーだったから、仕方なく僕はスキー板を受け取った。


 リフトに乗って、三人で山の上の方へと向かう。上級者コースに行くにはいくつかリフトを乗り換えなければいけなかったから、その間を少しだけ滑る必要があった。普段なら面倒に思えるそれも、スノボ明けの僕にはありがたい。まるでリハビリみたいに少しずつスキーの感覚を取り戻していき、最後のリフトに乗るころにはすっかり自信が戻っていた。


「そろそろだね」と井波が言った。


 頂上に行くにつれ、人が少しずついなくなる。選ばれしものだけがたどり着ける場所みたいなこの感じが、僕は結構好きだった。気分は四天王を超えてチャンピオンに挑むチャレンジャーだ。かすかな緊張と自信をまとい、静かにリフトを降りた。


 たどり着いた上級者コースは閑散としているのもあって、初心者コースよりも気温は低く感じた。中年おやじのように葉をすべて落としてしまった木々と、街を見下ろす絶景だけが、時間を止めたみたいにただそこにある。三人で写真を撮ってから、下ることにした。


 坂本が先行し、井波、僕がその後ろをついていく。両足で踏みしめる雪の感覚が心地いい。まるで空を飛んでいるみたいに、白と茶色で彩られた世界が前から後ろへ流れていった。


 時代はスノボよりスキーだ、と思う。ネットやなんかでどう書かれていようと、やっぱり人にはスキーなのだ。板なんて多ければ多いほどいいんだから、たった一つの板で雪の斜面を滑り降りるなんて正気の沙汰とは思えない。一本より二本の方がいいのは、自明の理だった。


 上級者コースは枝分かれしながら中級者コース、初心者コースへと続いていく。僕たちは気分次第でどのルートで行くかを選び、夜の気配がうっすらと漂いだす午後四時くらいまで、その自然あふれる遊びを楽しんだ。




* * *




 後ろ髪をひかれる思いでスキー場を後にした時には、空から雪が降りだしてきていた。都会に住んでいると年に一度か二度くらいしか見ることのない景色だ。雲に覆われた灰色の空を見上げる。ふわふわとした雪が空気抵抗を受けて揺れながら落ちていく様は、人によってはロマンチックに映るかもしれない。


「綺麗ね」


 黒い手袋をした手のひらの上に落ちた白を見て、坂本は言った。井波も「そうだね」と同意する。僕は否定も肯定もせず、ただ黙って空を見ていた。実をいうと僕は小さいころから、降っている雪がそれほど美しいと感じたことがなかった。どうしてかは自分でもわからない。積もった雪は白くきらめいて綺麗なのだけど、空中の雪はどうも汚く思えてしまうのだ。灰色の空から落ちてくるそれは、まるで天上で大掃除でもしているんじゃないかと思ってしまうほど埃っぽく見える。エプロンをして、ぱたぱたと棚の上とかにある埃を落とす神を想像した。自分のいる空間を綺麗に保つためなら、そうやって下界に汚れが降ろうと気にしない。なんて自分勝手なのだろう。「だからこの世は醜く汚いもので溢れてるんだ」なんて言ったら、敬虔な信者たちから暴言を吐かれ、石を投げられ、挙句の果てには磔にされて槍で突かれそうだったので口をつぐんだ。そうはいっても、安心してほしい。僕は僕自身を無神論者だと自称しているけれど、クリスマスはちゃんと祝うし、初詣だって欠かしたことがない。お腹が痛いときなんてもうそれはそれは必死に祈っちゃうんだから、笑っちゃうよね。


 そうやって三人並んで馬鹿みたいに空を見上げていたら、バスがやってきた。旅行客用のじゃなくて、普通に地元の人が使うようなバスだ。時刻表を見たら二時間に一本くらいしか来ないやつ。僕たちはこれから三十分以上、これに揺られる予定だった。バスはびっくりするくらい空いていた。僕たち三人のほかには、目が見えているのかもわからないような老人二人しか乗っていない。しかしそれも無理のないことだった。なにせ今日泊まるペンションはひどく山奥にあるらしく、通常旅行客が泊まるような宿が集まる都市部からは真逆の方向へ向かうバスなのだ。それもこれもお金がないからで、夜と朝の二食付きで相当安い穴場みたいな宿を、三人で調べているときに偶然見つけたのだった。


 僕たちのお尻が座席につくかつかないかくらいの時点で、バスは勢いよく発進した。おかげで僕たちはバランスを崩し、半ば倒れるようにして椅子に座ることになった。運転手は相当なせっかちらしい。バスの運転手って大体がせっかちだから、別に珍しいことではないんだけどね。でももう少し乗客に気を使ってほしいというのも、僕が思うところだった。


 そんな祈りが通じたのか、最初の勢いが嘘だったみたいに、バスはゆっくりと進んだ。一歩一歩着実に踏みしめるように、ろくに雪かきもされていない田舎の山道を進んでいく。もはや歩いた方が速いんじゃないかと思ってしまうほどの速度で、息も絶え絶え、苦しそうに排気ガスを積もる雪に吹きかけている。この調子じゃ、仮にウサギが丸一日爆睡したとしても負けそうだと思った。


 運転席の真横まで行って、「もっと速くできないんですか」と言う。すると運転手は機嫌を損ねたのか、こちらに怒鳴り返してくる。それから僕と彼は口論になって、舌打ちした運転手が吹っ切れたようにアクセルペダルを思いっきり踏み込むと、バスはスリップしてガードレールを突き抜け崖下に落ちていく。


 窓の外を眺めながら、ついそんな場面を想像した。暇すぎると、よく僕はこういうくだらない妄想にとりつかれるんだ。自分から想像しようとしてするんじゃない。どういうわけか無意識に、劇を演じているみたいなイメージが勝手に脳内に流れ込んでくるんだ。授業中教室にテロリストが入ってきたらどう対処するか、みたいなもんだよ。そういう想像を誰しもしたことがあるだろう。あれと同じだよ。


 もちろん、あくまで想像だ。運転席に行って文句を言うなんて度胸は僕にはないし、テロリストが来たら真っ先にパニックになって逃げだすだろう。そして背中を撃たれてあえなく死亡。それが僕だ。


 ゆえに、僕はただ黙っておとなしく席に座っていた。ゆっくりとはいえ、バスは暖房がきいていて暖かい。速度はカメと同じでも、温室でなんの労力もなく目的地目指して進んでくれるんだから、こんなありがたい話はなかった。深夜バスに比べたら、スペースにも余裕があったしね。横を見ると、井波も坂本も眠っていた。疲れていたのだろう。僕も目を閉じると、いつの間にか眠ってしまった。

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