第45話 不急と至急
近頃は各地の情勢が不安定だ。
現皇帝であるブラン陛下の命により最優先が聖女の支援となっている騎士団でも、暴動の気配がある場所が他にあると聞けば向かわざるを得ない。
住民と自警団、騎士団の衝突を未然に解決も終えた。この様子ならあとは任せても問題ないだろう。
……ついでに騎士団の再訓練をしたほうが有益だろうが、どうにも後ろ髪を引かれている。
魔鉱産業の発達により馬以外の移動手段が拡充したのは不幸中の幸いだが……そこまで考えてネグロは首を横に振る。
山間の街はイーダルードからは馬車ならば半月以上かかる場所だ。火急の用件がない以上、使うとしても速馬までだ。移動用の魔鉱機は費用負担が大きい。
理解できているのに、感情に折り合いがつけれなくなるのは何年振りか。…‥理由はわかっている。本来ならもう焦る必要がないことも。
「……信頼していないわけではないのだがな」
敬愛する彼の人と同じ名を持つ青年を思い出す。誠実な青年だ、約束した以上何も告げずに消えることはないだろう。
万一を考えることそのものが彼に対する侮辱だと理解しているのに、こうも自らの思考が儘ならないのは久方ぶりのことだった。
「団長。通信が入っております」
思考を止めたのは足音と声だった。敬礼をしている騎士に「分かった」と頷きを返して通信室に向かう。
「連絡先は」
「はっ、イーダルードからになります!」
「……」
今あの街にいて連絡権限があるのはツィルハネかユーリスだ。定期連絡以外であの街から何か便りがあると、それだけで自然と足は速まった。
通信室に入れば、敬礼をした通信兵が部屋を入れ替わりで後にする。魔鉱石を使用した通信機は通信兵がおらずとも
凹凸がいくつもある無機質な板を決められた手順で押し、魔力を注ぐ。
「……私だ。どうした」
『お忙しいところ失礼します。ネグロ団長。そちらの状況は如何様で?』
聞こえてきたのはユーリスの声だ。
鋭く端的な言葉にこちらも端的に返答をする。
「こちら側の問題はおおよそ解決済みだ。事後処理は残るもので十分賄える範囲と判断。明朝には馬でこちらを発つ予定だ。二週間もあれば戻れるだろう」
『……二週間、ですか』
「どうした。懸案事項があるのなら言え」
ユーリスらしからぬ歯痒さを滲ませた言葉にこちらも声が早くなる。追及に対して率直な返答をしてくる男ではないと、重々理解していたつもりだが。
『ネグロ団長。騎士団の規律を曲げることをいかが思います?』
「…………」
唐突な話題変換に口を噤む。
が、これでも騎士団で上に上がると決めた十年余りの付き合いだ。この二ヶ月間の出来事を鑑みれば、自ずと言いたいことは察せられた。
「聖女か……ヴァイスに、何かあったのか?」
『まだそう決まったわけではありません。が、ここ暫く商会側が聖女さまに多少の介入をされていたようで』
「そうした報告は上がっていないが」
『当然です。問題になる前にヴァイス本人が根回しをして片っ端から潰していたようですから。本当に有能なものです、聖女の名代として名を借りただけで遠方にいるモーガルの息のかかっていない商人たちを抱き込むなどと』
やはりうちにほしい人材ですねと愉しげに転がる喉の声は長くは続かない。
『ですがその後はまだ若いと言いますか、青いと言いますか……。何を考えているのか分かりませんが、今日一人で改めて黒百合商会に話を聴きに行ったそうで』
苦々しい声に言葉が詰まる。
──ヴァイスが、一人で、奴らの元に?
慌てた響きで甲高い、女性特有の声が割って入る。
『ま、魔鉱産業について話を聞くだけだから、大丈夫だと仰ってましたし、ヴァイスさんなら切り抜ける準備はしてると思うんですけど……!でも何も言わないのは違うかなっていうか、万一のためにお伝えした方がいいかなといいますか』
聖女の声は歪なまでに上擦っていた。緊張と混乱からなるものだろうと察しはできた。
さてどうするかと思案する。否。反射で取ろうとした行動を咄嗟に理性で押さえつけたという方が近しかった。この通信が声だけでなくこちらの様子も見えていたなら、踏み込みかけた自重を元の姿勢に戻そうとするのに気が付かれたことだろう。
「……ヴァイスのことだ。言葉の意図は貴公を気遣わせぬ為だろうが、勝算がないわけではなかろう」
「そうかもしれません。聞けば彼は法術に長けている模様。あるいは多少の罠すらも、くぐり抜けてくるやもしれません。それならばなんの心配も懸念もないと仰るのでしたら、我々も彼を信じて待つとしましょう」
ユーリスという男は元来が迂遠な言い回しを好む。だが今日の彼の言葉はその中でも一等こちらを針で苛んだ。聞こえてきた音量を絞りながら、それでも会話を止めるボタンには指一本触れない。
「……それが出来ないと、言いたげな物言いだな」
『出来ないとは申しません。貴方は辛抱強い方ですから。……ですが、きっと後悔はする』
今のユーリスの表情が見れなかったのは惜しいと思うのは久しぶりのことだった。それほどまでに、彼の声色は鋭いながらも柔らかさを帯びていたから。
『私は騎士団に入団して間もない頃からの貴方を知っています。ヴァイス皇太子殿下に傾倒し、彼の力になりたいと瞳を輝かせて剣を握っていた頃も、それを全て喪ったと理解した時の姿も』
──何も喪ってなどいないと、声を大にして言えたらどれほど良かっただろう。
ヴァイス様が行方不明になって五年目までは、声を荒げて言えていたはずだ。あの方が身罷られた筈がない。況してや自ら消えるなどと。何者かに囚われているのならば御助けせねばと。ツィルハネのあの時の顔は今でも脳裏に刻まれていた。
断言できなくなったのは、いつからだったか。もうネグロには思い出せなかった。
『私は実のところ、彼の才の在り方ならば騎士団に囲い込まずともよいと思っています。置かれた場所がどこであろうと、そこを良くするとともに騎士団にも益を還元するでしょう。
ですが、それを貴方が望むのならばいかなる手段を使うことも厭う気はありませんよ。我らが騎士団長が腑抜けでは、末端の騎士たちまで影響がありますから』
『うわ……』
『何がうわ、ですか。貴方だって同じような考えでしょう、ツィルハネ』
「…………本当に、私は部下たちに恵まれているな」
役割としての分担とその能力面は遺憾なく評価していたつもりだが……それはあくまで表面の数値だけだったようだ。
「ユーリス、ツィルハネ。これはあくまで私情だ。費用の請求が商会からあったのならば私個人に請求させるといい。……その上で頼む。ここから最短の都市に置かれている、飛行船の調達をしてもらえるか?」
『ええ、畏まりました。飛行船ならば二週間を半分に抑えることは可能でしょう。今取れる手段としては最短ではありますが、心配でしたらうちの若いものと聖女に商会の様子を見にいかせますか?』
公私混同を重ねることになることに罪悪感がないとは言わない。だが、ヴァイス様が今の私を見たところで苦笑こそすれ、見限ることはないだろう。あのお方は優しいから。
ならばと口を開きかけたところで、通信機の奥で低いくぐもった音が聞こえてきた。
『なんですか、今通信中ですよ?後になさい』
ユーリスの鋭い非難にも、向こう側にいる騎士の声は止まらなかった。震えた声は聞き取りにくいが声量の大きさがそれを打ち消した。
『いっ、いえ……お話中申し訳ありません!! 先ほど黒百合商会のマルグレリン様が緊急事態だと来訪してきまして……至急、ネグロ騎士団長と連絡がしたいと……!』
聞こえてきた内容に、反射的に唇を噛み締めた。
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