第44話 それぞれの名代
部屋の形こそ変わらぬが、先ほどまでとは決定的に違う空間。窓へと視線を向ければ日差しは絶え、暗黒だけが広がっている。
目の前にいたはずの商人の男は消え、魔王の名代と名乗る存在と二人きりの空間。
『ピィ!!』
……いや、二人と一羽の空間か。
肩に乗っているバラッドが威嚇めいた鳴き声を上げた。
「おや、流石にNPCと自覚しているモノまでは追い出せませんでしたか。折角元皇太子殿と二人での商談が成せると思っていたのですが」
《……注意ください、ヴァイス。魔王の名代である以上、彼が使用するのは魔法のはずですが、それでもこのような異空間を生み出す魔法など、存在した記憶がありません》
「魔鉱産業の偉大さを鳥風情が理解できるはずもないでしょう。前作品の遺物ともあれば尚のこと」
嗚呼、どうやら彼もこの青い鳥の言葉が理解できるようだ。理解と共に嘲るような言葉に腹の奥がふつりと揺れる。周囲を探るべく向けていた意識を目の前の男にと集中した。
「俺の
「……これはこれは、失礼しました」
大仰な素振りで一礼をする男に向けた視線は外さない。部屋の内装は変わらないのをいいことに足を組みなおす。ラウディカが俺を弑する事のみを目的とするのならば、この空間に彼と志を同じくする狂信者たちを配置しておけば済む話だろう。
「それで、商談と言ったな。イゼルマの名代とやらが気に召すような取引材料を俺が持っているとは思えないが?……ああ、それとも俺のかつての立場を利用してあの子たちを強請るつもりか?」
──そうだったら容赦はしない。
「……ふ、くっ、くく……」
言外に告げれば返ってきたのは苦笑まじりの笑い声だ。それまでの得体の知れない威圧感が一瞬ほどけ、人間味のある顔を歪めた。
「まさか。重要なのは貴方です。私の対、女神の名代。魔王イゼルマの設定を生み出すだけ生み出して放置された私が実となったのは、貴方の存在あってこそなのですから」
「…………はぁ……?」
『ぴ、ぴぃ……?』
珍しく私と青い鳥の動きがシンクロするように首が斜め横へと傾いた。
◇
彼曰く、商談のテーブルに着くのならば積むべき誠実さがあるからと。半刻にも及ぶ話を聞いて私がしたことは机に肘を置いて深々と息を吐き出すことだった。
半月前のアカネには申し訳ないことをした。される側になってようやく、情報を怒涛に流し込まれることの苦労が分かった。
「…………、つまり、お前こそがバラッドが検知したバグそのものだと」
「そうですとも。バグなどと風情のない呼び名は文句の一つ二つつけてやりたいものですが。本来ならゲームには登場することのなかったあぶく。それが私です」
いつのまにかテーブルに新たに置かれていたお茶に口をつけながら、悠々とした素振りで男と、肩に止まるバラッドが語る。
《──ゲームの舞台であるグレイシウス皇国の裏事情については休日の探索である程度知ることは可能です。そうした設定を増やすため、魔王やそれを信奉する悪魔のカイナの存在たちは構築されました。
魔王の名代の設定も物語の一案として構築されており、隠しキャラクターとしても検討されていました。……ゲームの容量とヴァイスの隠しキャラクター化採用に伴い削除されたはずでしたが》
「…………それは」
簡単にゲームの中で削除や採用と表現されるその物言いにを顰める。その表情を見てラウディカは緩やかに首を横に振った。
「同情は不要ですよ、皇太子殿下。物語を構築したものたちの思惑はどうあれ、ここに私がいて魔王の名代として在るのは事実です。
貴方という尊き存在が生き残り、ここで目覚めるという事態を発生させることで、盤面をより相応しくするための物語の修正力が発生した……。言わば、私と貴方の存在はどちらが先か分からぬ存在。世界にたった二人の異物なんです。仲良くしませんか?」
「…………それを何故、私に話した? 」
微笑みを絶やさぬ男に相対する時、こちらから先に笑みの仮面を剥がすのは定石とは言い難い。それを理解した上で表情を消せば、向こうも細まった瞳を丸めさせた。
「お前の言葉を鵜呑みにするならば、私とお前の互いの存在は無関係ではないようだ。が、真逆である以上互いに見逃し合えるものでもないだろう。それとも……女神の力をここで削ぐつもりですか?」
「信用がありませんね……。先ほども申したでしょう?これは取引です。貴方は穏便に眠りにつく。その代わりバグである私はこれ以上女神の──聖女の道中にちょっかいをかけないと約束しましょう」
「……!」
唐突な申し出に瞳を見開く。その眼の奥の意図を探るように椅子から腰を浮かせて覗き込んだ。
「取引ということは双方に利があるものだと思っているが。バグとして発生し魔王の名代として在るお前に、この提案のメリットがあると思えないが?」
「心外ですね。もしや私や悪魔のカイナのことを、世界が滅べばいい狂信者のように思っていませんか?」
その言葉に返す言葉を悩んでいれば、図星ですかとくつくつと笑みをかみ殺すラウディカの姿が目に入る。
「ええ、ええ。私にも望みはあります。ですがそれを聞きたいというのなら、先に貴方自身のことを教えてほしいですね。慈悲深き元皇太子殿下、貴方はこの世界に何を望むのですか?」
見えないように服の裾を握りしめた。私が願うことなど決まっている。
「……弟妹たちが幸せであってくれることだ。それと叶うならばこの皇国の臣民たちも」
「女神の名代らしいお答えですね。ですが、それを今貴方が叶えようとすれば、どうしても致命的な矛盾が起きる。貴方が彼らを救えば貴方がこの世界を滅ぼすのですから」
《…………》
青い鳥が肩の上で揺れる。目だけを向ければ、俯いたように首を下へと傾けていた。指先の腹でバラッドの頭をそっと撫でてやる。──お前の責任ではないよ。
「聖女のサポートに留まろうと画策はされているようですが、すでに貴方の名は広まり過ぎている。白い髪の聖人。かつての偉大なる皇太子と同じ名を持つ再来。
断言しましょう。……貴方が貴方であることをやめられない以上、遅かれ早かれ貴方は政治の場に祭り上げられ、どう足掻いても世界に致命的なバグを引き起こす。騎士団に商会に、既に目をつけられているのですから」
「…………」
テーブルに置かれていたカップを持ち上げる際に、大きく湯面が波だった。
「ならば、いっそまた眠りにつけばよい。眠る術式については生理的変質魔法の応用で事足りるでしょう。必要ならば、この街の皆様方に貴方という存在の記憶を曇らせたって構わない。そして私もまた、聖女へこれ以上の介入をやめて手を引く。……いかがですか?ヴァイス皇太子殿下。
それよりもなお、目覚めていなければならない理由が、貴方にはありますか?」
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