……ワンワン!!Oh……!! 1
「ふむ、そうであるか」
父上は複雑そうな表情をしながら、それでもボクらの話をちゃんと聞いてくれた。
「人の世界へと行くのか」
「はい」
「うむ」
「……(コクリ)」
これは三頭で相談して決めたことだ。
ボクはもう少し体が大きくなってから、それこそ成犬になってからでもいいんじゃないかって思ってたんだけど。
『……それは、やめたほうがいい』
ライトが、そう言ったのだ。
『……オレたちの体は、段々とこの魔界に馴染んでいくことになる』
『ふむ、そうなのであるか』
『……ああ、たぶん成犬になるまでこの魔界で過ごしたら』
ライトは右手を挙げて、月に手をかざした。
魔界の月は、ボクの知っているものとは違って、紅い。
『人の世界で生きられるようには、なれない』
それが、理なのだと言う。
「だから、一刻も早くあの門の向こう側に行きたいんだ」
ボクらの必死の訴えに、父上は大きく息を吐いた。
「……いつかは、お前たちもいつかは我が輩のもとを去っていくと、そう思っていたが。よもや、これほど早くになろうとはな」
父上が乱暴に、ボクらの頭に自らの額を擦り付ける。
「ち、父うえ」
「ははは。親父殿、痛いのである!」
「…………ガゥ」
「なに、すでに我が輩は自らの役割を奪われ……。いや、終えた身だ。そんな我が輩が、お前たちの未来を縛ることがどうして出来ようか」
ボクらの存在を、確かめるみたいに。
「行けばよい。我が輩は共に行くことは出来ぬが、力にはなってやれる」
少し待っておれ。
そう言うと父上は巣穴の奥のほうに向かい、すぐに、なにか板のようなものをくわえて戻ってくる。
「これをお前たちにやろう」
「親父殿、これは?」
「うむ、わが一族の者のみが使うことの許された特別な通行証である」
「これが、ですか?」
銀色に輝くそれには、不思議な文様が描かれていた。
「これもまた、門を守り続けた我が輩たちへの慰労品の一つである。しかし」
父上は、遠い目でそれを見つめていた。
「我が輩があそこに行くことは、あの門を通ることは」
もう過ぎ去った、思い出の欠片のように。
「もう、ないのである」
「でっかいなぁ」
「で、あるな」
「…………(コク)」
大きな門がある。
これこそが、人の世界と魔界を分かつ、境界であるという。
「ここが父上の守っていた」
「……門」
見上げるほどに巨大な、圧倒的な存在感。
誰が作ったのか、そして誰がボクたちの一族にこれを守る使命を与えたのか。
全てが、謎の場所。
「……凄いな」
「うむ」
「ああ」
ボクたち三頭はその威容、圧倒されながら。
「…………」
「うむ、うむ」
「…………」
その横の物は見ないようにしていた。
「…………」
「……うむ」
「…………」
いや、だってさ。
「…………」
「………うーむ」
「…………」
あの世界遺産にでも対抗できそうな門の横に、しょぼい通用門みたいのがあって、そこに小さな列ができているのだ。
景観とか大事にしてほしい。
「して、兄弟よ」
ボクらの中で、兄者の切り替えが一番早かった。
「あの横の小屋に向かえばいいのであるか?」
兄者が示したのは大きな門の横にある寂れた掘っ建て小屋だった。
「まあ、そういうことでしょうね」
「ではこうしていても埒が明かぬのである。向かおう」
そう言って、兄者は意気揚々と言った体で掘っ立て小屋に向かった。
「あのー」
掘っ立て小屋には門番なのだろうか、二人の衛兵が眠そうな顔で座っていた。
暇そうなのは、こっちの門を行き来する人はそんなに居ないってことだろうか。
「ん?」
そのうちの一人が、ボクたちの存在に気づく。
「なんだ、こいつ」
けど、ボクたちの存在に気が付いても、しっし、と手で追い払うような動作をするだけで立つことさえしなかった。
「帰りな。こっちの門は特別な許可証がないと通れないようになってるんだよ。門を通りたきゃ、あっちの受付いきな」
「ああ、それなら」
ボクは兄者の首元にかかっている通行証を誇示するように突き出す。
「ここにあります」
「ああん?」
衛兵は怪訝な顔をして、その通行証をまじまじと見る。
「おい、これって……」
「大門、開けていーよー」
衛兵は二人だと思っていたけど、違った。
奥に、もう一人いる。
「それはねー」
座っているどころか、奥でソファーに寝っ転がって、こっちに顔すら向けない。
「その子が特別って証なんだよー」
顔も姿もほとんど見えなかったけど。
この場に似つかわしくない、女の子の、声だった。
「だからこっちを開けてあげなー」
「は、はい」
そんな女の子の声に、大の男二人が慌てて立ち上がって。
「「開門!!」」
そう言って二人が何かを掲げると、どういう仕組みなのか、巨大な音とともに門がゆっくりと開かれていく。
ボクらは一抹の名残惜しさを感じつつ、その境界を通ろうとして。
「行ってらっしゃい」
誰かの声が、聞こえた気がした。
(え?)
けれど、それが誰の声だったのか確かめる間もなく。
「あ」
門は閉じて、二つの世界を再び分かたれる。
ボクらは。
「行ってきます」
「うむ」
「……ああ」
足を踏み入れる。
「ここから先が」
「……人間界」
「で、あるな」
こうして、ボクたちの冒険は始まったのだった。
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