魔女の森 1


「あばばばば」


「はっはっは。そのように怯えることはないぞレフト」


「兄者!簡単に言いますが、怖いものは怖いですって!」


 今、頭のすぐ横を蝙蝠が横切って行きましたよ?

 それも不気味な牙をこちらに誇示したまま。


「ギィ!ギィ!」


「っひ!!」


 踏み込むたび、先に進むたび森に住む野生の魔獣が威嚇してくるのだ。流石は野生動物。縄張りへの侵入者には容赦なしである。

 兄者が、そんな蝙蝠たちににこやかに話しかける。


「どうどう、そう叫ぶ必要は無いぞ、蝙蝠殿」


「ギィ!!ギィ!!」


「我らは森を荒らしに来たのではない。あくまで、この奥にいる者にお願いがあって」


「ギィ!!!ギィイ!!!ギィ!!!」


「しつこいのである!!」


 結局は吠え散らかして、その声を聴いた魔獣たちの方が一目散に逃げていくということが繰り返されていた。

 兄者、意外と沸点低い。


「全く、聞き分けが悪いにも程があるのである!」


「そりゃあ相手は獣ですからね」


「何を言うか。我らも魔獣である」


「そうでした」


 側から見ればあの蝙蝠たちと同レベル。

 今や悲しき事実である。


「けどほんとにこんなとこに」


 進めど進めど、森は深くなるばかり。

 人の気配など、皆無。


「魔女が住んでるのかなあ」





 我らが頼れる父上曰く、森の奥には魔女が住む、のだそうだ。


『門を通り人の世界より来訪せし、灰髪の魔女だ。猫ほどの気まぐれさと、猫を殺すほどの好奇心を併せ持った変わり者よ』


 とは父上の言葉。

 そんな変人とはなるべく関わり合いになりたくないというのが本音だが。


(他に知り合いもいないしなぁ)


 そんな理由でボクたちは森を進んでいたん、だけど。


「む?」


 不意に、兄者が声を上げて左右をきょろきょろと見回す。


「どうしたんですか、兄者?」


「いやなに。先ほどよりやけに静かではないか?」


「え?」


 言われて、ボクも耳を澄ませてみると。


「本当だ」


 さっきまで周囲を騒がせていた蝙蝠たちの鳴き声や羽音が聞こえなくなっている。

 というよりも。


「生き物の気配が、ない?」


 不思議に思いつつも、周囲を見回していると。


「……気をつけろ」


 今度は、ライトがぼそっと言った。


「え?」


 兄者越しにライト方を見ると、ライトはその切れ長の瞳で森の奥を睨んで。


「……今、踏み入った」


 何かを察知したのか、額に汗をかいて警戒心を露わにしている。


「ライト、それって一体……」


 ジュワ。


「ジュワ?」


 足元から、妙な音がした。

 見ればボクらの脇にある野草の一部が溶けている。


「は?」


 原因は、ポタリポタリと落ち続けている雫のようで。


「え?」


 液体の出どころであろう頭上を見上げて。


「キシャー!!」


 激しく後悔。

 平和的とは言い難い毒々しい蒼色の巨躯に、禍々しさを隠そうともしない鋭い爪と牙。

 端的に言えば、でっかいクモの化け物がそこいにいた。


「あばばば、食べないで!食べないで!」


「はっはっは!我は食っても美味くないのである!」


「…………!!」


 三人同時に激しく首を振って、三者三葉に命乞い、必死に拒否の感情を表現する。

 少なくとも小型犬くらいはペロリと食べてしまいそうな見た目であったし、ボクたちは今小型犬そのものである。


(あ、死んだわ、これ)


 そう覚悟したボクの耳に。


「こーら、リン」


 そんなのんびりとした女の人の声が、聞こえてくる。


「あんまり、子供をからかうものではないよ」


 次いで、ひょい、と抱えあげられる感触。


「結界に強めな反応があったからどんな人が来たのかと思えば」


 その人がボクら三頭の顔を真正面から覗き込む。


「こんなに可愛らしい子犬君だとはね」


 紫紺の瞳に、短く切られた灰色の髪。

 ゆったりとしたローブで身を包んだ、この人が。


「あの、あなたが」


「そう、森に住む悪い魔女だ」


 その人はニヤリ、という擬音が似合いそうな、そんな笑みを浮かべるのだった。

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