三頭犬の左側 1


「うーん」


 目が覚めると同時に感じたのは、眩暈がするような酷い頭痛だった。


「あてて、頭、痛っ。なんだ、これ」


 プラス、体中もなんか強烈に痛い。具体的には大型のトラックにでもはねられたような、そんな感じの痛みだった。


「ていうか」


 気になってあたり一面を見回せば、周囲は全て真っ暗闇で。


「ここ、どこ?」


 おかしいボクは、さっきまで……。


「あれ」


 さっき、まで?


「なに、してたんだっけ」


 前後の記憶がやけに曖昧だった。

 いや、前後の記憶だけじゃない。記憶が全体的になんだかはっきりしないような、どこかぼんやりとした感覚を覚えるし、なによりも。


「ボクって、いったい」


 そう呟くと同時に、パッ、パッ、パッ、という音がして、目も開けてもいられないような光が頭上からボクに向かって降り注いできた。


「え、なに!なに!!」


 思わず顔を腕で覆って明かりを遮る。状況を確認しようと腕越しに薄目で周囲を見渡せば、三本の光がボクのことを中心に交差しているのが分かった。


 つまり、ライトアップされているのだ。


 いや、何故に。

 ボクが突然の状況に混乱していると。


「パンパカパーン!」


 突如として鳴り響く。


「パンパカ、パーン!!」


 いや、訂正。肉声だ、これ。

 ファンファーレ、のつもりなのだろうか?

 思ったよりもゆったりとした声が真正面から聞こえた。


「おめでとうございまーす!」


 そしていつの間にか、目の前には見知らぬ女の人が。


「は?」

 

「あなたには、不遇なる者の永遠の夢!誰もが羨む幸福の証!誰が呼んだか、チート付き異世界転生の被験者に選ばれました!わー、パチパチパチ」


 うん?


「はーい、拍手」


 あなたも一緒に、という感じに両手を前に差し出されて、思わずぱち、ぱちと力なく両手を打ち合わせる。

 いや、なに、これ?


「はい、ありがとうございます。いやー、ノリの良い方ですね!悪い見本ですと私のことを頭の悪い人を見るような目で見てくるもので」


「いや、あの」


「信じられます?こんな麗しき女神捕まえといてそんな、失礼な話ですよねぇ」


「はあ、その、ですね」


 色々と気になったことはある。けど、まず最初に。


「ボク、もしかして死んじゃった感じですか?」


「あはは、何言ってるんですか」


 あ、よかった。どうやら勘違いだったみたいだ。


「死ななきゃ、転生なんてできるわけないじゃないですか」


 勘違いじゃなかった。


「え、じゃあなんですか、そのノリ」


「ノリ?」


「死んじゃった人に対して、軽くないですか。なんか、こう色々と」


「厳かな感じをお望みですか?」


「まあ、はい。せめて、最初くらいは」


「無理ですね。私、生まれた時からこんな感じなので。生来のものはそうそう変わりません」


「っていうか、さっき被験者って……」


「そもそも!!」


 自称女神さまは、こっちのテンションを置いてけぼりにして、ぐっとこぶしを握りこんで熱弁を始める。


「死んでしまったことは、それはもう残念なことでしょう!分かります。私は死んだことがないので本当のところは分かりませんが、理屈では理解できます!」


 サイコパスかな?


「ですが!あなたにはセカンドチャンスが与えられたのです!それも、転生特典付きで!これは見方を変えればとても喜ばしいことではないでしょうか!」


「いや、そうかもしれませんけど、ボクにだって切り替えってものが」


「どうせロクな人生じゃなかったんですし?」


「おい」


 張っ倒すぞ。


「それに!」


 勢いで押し切ろうとしているのか、ぐいぐいっと女神さまが前のめりになる。


「先ほども申しましたが、あなたには転生特典のご用意もしてあります!」


「え」


「あら、その反応。もしかして心ちょっと、揺れました?」


 感嘆の声を出しかけて、いやいやとすぐに自分を戒める。


「そんな、いいですって、そんな」


「そんなこと言ってぇ。隠しても浮ついた感じ、出ちゃってますよー」


「まさか、そんなことないですって」


 ここでガッつくのはカッコ悪いのであくまでちょっと控えめに。

 けど本当は心の中は夢と期待でいっぱいだった。

 お約束の展開である。

 そりゃ期待も膨らむ。

 膨らますなという方が無理である。


「まあまあそう言わずに。話だけでも聞いてくださいよう」


「いやまあそりゃあね。そういうんなら話だけはね!せっかくのご用意を無下にするのも悪いですしね!」


 実にありがたいことにこの女神様はお約束というものを心得ていらっしゃる方だった。ここで、えー、じゃあ別の人にとか言わない辺り、流石は女神様である。

 ボクから期待のこもった視線を感じ取ったのか、こほんと一つ咳払いをしてから。


「ではまず」


 ちょっともったいぶった感じで進める。


「なんといっても最初はこれ!強靭な肉体!」


「おお!」


 STR!!どんなビルドにも必ず必要!!


「そして高い魔力適正!!」


 来た!高INT来た!!異世界に行くならこれは外せない重要な要素!!


「さらには由緒正しき血統!!!」


 貴族!!そしてEDU!!貧乏に苦しまない!!イージーモードも完備!!


「凄いじゃないですか!そんなの聞いたらテンション上がっちゃいますよ!」


「はい、そんな夢いっぱいの転生特典つきの」



「レフトサイドです」



「ちょっと待って下さい」


 急に、異世界転生に似つかわしくない単語が。


「え、なんですかそのレフトサイドって」


「左側ということですね。細かいことはあまり気にせずとも問題ありません」


「いやだから左側ってなんですか!?」


 おかしい。そういう例え話かなにかだろうか。

 いや、きっとそうに違いない。


「もしかしてあれですか。こう、偉い人の参謀的な感じとか……」


「ああ、はいそうです。大体そんな立ち位置です。知恵担当って感じです」


「なぁんだ、そういうことならそんな言い方しなくてもいいじゃないですか。要は右腕的な感じですよね」


「いえ、右腕というか」



「左の頭です」


「左の頭!?」

 

 まて、いや、冷静になれ。


「い、異世界の慣用句、とかですか?そういう意味合い的な」


「いえ、物理的に左の頭です」


 物理的に頭。


「どういうことですか!!」


 とうとう我慢できなくなった。


「物理的に頭ってなんですか!説明を要求します!!」


「あー、聞いちゃいます?面倒なのは流してさっさと転生とかしません?」


「こっちも一生が掛かってるんで!!」


 それもスタート地点から。


「分かりました、分かりましたよ。……はぁ」


「露骨にめんどくさそうな態度とため息つかないでください」


「まあ、この転生には深いわけが存在します」


 コホンと一つ咳払いをして、自称女神様は威厳に満ちた感じの声音を作って言った。


「実はですね。あなた様の転生先は少しばかり特別な存在でして」


「特別な?」


 存在?


「はい。その存在とは魔界と人間界の境界を守る一匹にして三対の魔獣」


 そう言うと、自称女神様の手にいつ取り出しのか不明なリモコンが出現しており。


「それはそう、伝説に語られる、高名なる魔獣、種族の名は『ケルベロス』」


 そのボタンを押すと、こちらもいつの間にか頭上に出現していたモニターに三つの首を持つ雄々しい獣が映し出された。


「勇者ですら彼の者の守護する門を通ること容易で無し。ギミックボスとしても高度なレベルを維持し、特定のアイテムが無いと倒すことは困難という、最後まで株を落とさないおいしい配役」


 うん。


「その頭の一つは力を。一つの頭は魔を。そしてもう一つの頭は知恵を司る、という触れ込みなんですが」


 うん?


「犬にそのレベルの知恵つけて創るの、面倒だなぁって」


 は?


「そこで私は考えました。最初から知恵持ってる奴を犬の方にぶち込めばよくない?と」


「手間を省こうとするなぁ!!」


「そうそれです」


「え、なにがですか」


「私があなたに目を付けた理由です」


 女神さまが居住まいを正し、すっと真っすぐ、真剣な眼差しでボクを見る。


「知恵とは、なにか。私は自問自答を繰り返しました。新しき摂理を創ること、人々の道しるべとなる光、或いは、あらゆる学問に通ずる賢者。そのようなありとあらゆる可能性を。そしてある結論に至ったのです」


 その白く、造形美すら感じられる右手でボクのほうを指し示して。


「知恵、それはすなわち停滞している物事を前に進める力ではないかと。そうつまり」


「ツッコミ力ことではないかと」


「絶対違うわ!!」


「文句の多い人ですね。もう一度人生をやり直せるんだからいいでしょう」


「まず人生じゃないじゃないですかぁ!!人間型とは言いませんけどせめて個別に肉体くらいあっても」


「もう知りません」


 そう言って女神様が(これまたいつの間にか現れていた)頭上のひもを引っ張ると。


「うぇぇ!」


 なぜ今までそこに立っていられたのか不思議になるほどあっさり足場の感覚が消失して。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 そのまま、ボクは暗い虚ろの穴に、落ちて行った。


「あ、それとー」


 落ちていくボク、ないしぽっかり空いた穴に向かって、王様の耳は的な感じで叫ぶ。


「前世のことを話すのは禁止ですからねー」


「知るかボケェェェ!」


 声だけが空しく尾を引いたまま。

 ボクはそのままどこへ続くとも知れない虚空へと呑まれていった。


「っは!!」


 目覚めて一番最初に思ったのは、おかしな夢を見てしまったな、ということ。


「なんだよ、あの夢は」


 疲れてるのかなぁ。そう思って頭に手を当てようとして。


「ん?」


 違和感に気が付く。身体が、動かない。

 というか。


「あれ?」


 具体的には、首から上しか、動かない。

 そして真横には、あたたかそうな毛皮。


「いや、そんな、まさか」


 冬だから、これはきっと、毛布か何かだよ、うん。

 身体が動かないのは金縛りってやつだな。変な夢も見ちゃったしその影響かなぁ。そういやさっきの女、呪いとか得意そうな外見してしなあ。いや、夢なんだけどさ。


「おお、この子が」


 ふと、目の前を見れば、そこにはデカい。


「我が輩の息子」


 これは、犬の。


「よーしよし」


 喋って、そのデカい舌で舐められて、その時点でおかしさマックスで。


「がはは」


「…………」


 真横の毛布は、毛布じゃなくて、自分の毛で。

 そして何よりおかしいのは。


「父上くすぐったいのである」


 ごく至近距離から聞こえる、声で。


(やべぇ) 


 夢なら早く覚めろ覚めてくれ。

 死んだ先、新しい人生。


(マジで三頭犬の左側ー!!)



 そこに用意されていたのは、頭を抱えることすら自分では出来ない身体だった。

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