三頭犬の左側 ~残った二頭はバカとエロ~

エル

プロローグ

プロローグ 決して消えないものならば


(ああ)


 体から力が抜けていく。

 歩き疲れた体は、いつしか疲労に耐え切れなくなって、最後には立ってもいられなくなって。

 泥にまみれるように、その場に倒れこむ。


(もう、これはもう、だめだ、きっと)


「ごめん」


 人間界の空気に、この身体が合っていないってことは、知識としては知っていた。

 だけど。


「ごめん、兄者」


 こんな風になるなんて思わなかった。呼吸ひとつを上げるたびに、苦しさが重くのしかかってくる。雨に打たれて、四肢を投げ出すように倒れ伏して、あとは死を待つばかりといった風情のボクら。


「ボクが、ボクがあんなこと言い出さなきゃ、こんな、ことには」


 けど、しかし、ボクの後悔の言葉にも、兄者は満足そうに笑った。


「なに、気にすることなど、ないのである。兄弟の願いならば聞き届けるが、兄というもの」

「うぅ、兄者」


 兄者はこんな身体でもいいと言っていたのに、オレの勝手な願望に付き合って、巻き込んで、ごめん。


「そう悲しそうな顔をしなくてもよい。ライトも気にしてはいないのである」

「…………」


 兄者の言う通り、ライトも露骨にボクを恨みがましい目で見ることはなかった。

 ただぼそっと。


「……みんなで、決めた、ことだから」


 近くにいないと聞こえないくらいの小さな声で、そう言ったのが聞こえた。

 普段無口なくせに、こんなときだけそんなこと言うなんて。


「う、ぐ、ごめんよう、ライト」


 ボクは情けなさで死にたくなる思いだった。

 だけど、しかし。


「うむ、限界、である」


 兄者が、いつになく真剣な声を出す。


「意識が、朦朧としてきたのである。我は魔力を喰う量が他よりも多いゆえ。ここ、までの、ようである」

「そんな、兄者」

「ではな兄弟。できれば、来世でも、いや、それは。難しい、か」


 兄者が目を瞑って、意識を完全に沈黙させる。


「ああ、兄者!兄者ぁ!」


 ボクの呼びかけにも兄者はもう答えない。

 途端に、体の重さが増していく。

 兄者が受け持っていた負担が、ボクとライトにのしかかってきたのだ。


「……オレも、限界、だ」

「そんな、ライト」


 兄者の向こう側の首。

 ライトも、項垂れ、途切れ途切れに言葉を漏らす。


「……じゃあ、な。……オレも、お前らのことは、嫌いじゃ」

「そんなこと、いうなら、もっと、初めから」


 けど、言葉は帰ってこない。いつもの無視とは違う。

 もう、それきり、言葉も帰っては。


「う、うう、二人、とも」


 そして。体を支える二つの力が完全になくなる。

 ボクじゃあ。

 なにも持たずに生まれたボクじゃあ、もう。


(ああ)


 悲しい。また死ぬなんて。

 前とは違って、今度は、とても、悲しい。


(女神様)


 こんなに悲しいのなら、知りたくなかった、です。

 こっちの人生、いえ、魔獣生は、短かったけれど、騒がしくても、兄者たちのおかげで、明るくて。


(冷たいよ)


 雨は冷たく、ボクと身体を同じくする兄弟に降り注ぐ。


「くぅーん」


 ボクも力を失い、最後に、犬のように情けなく、弱々しい声を上げて、最後の時を祈りながら待つようにして。


 ピチャピチャと、足音が聞こえた。


「あ」


 そして、声、それから。


「こんなに、弱って」


 ぬくもり。

 誰かに抱きかかえられる浮遊感を覚えながら、ボクはかすかにその顔を見る。


(だ、れ、?)


 おぼろげながらボクの網膜が写したのは、一人の女の子だった。

 ボクはもう声も出せない。

 だから、鼻を鳴らして、こすりつけて、必死にお願いする。

 どうか、二人を助けてと。


「……生きようとしてるんだ」

 

(違う、違うよ)


 消えそうな意識の中で。


(ボクはどうなってもいいから、二人を助けてほしいんだ)


 それは同じ意味なのだと、そう気が付かないままで。

 ボクの意識を、真っ暗闇に落ちていった。

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