第5話
春本番という穏やかな陽気の中、俺は周囲に咲く花に目を向けながら松原さんと歩いていた。
「こんなところしか思いつかなかったんですけど」
照れ臭そうに顔を向けると松原さんは花にも負けない笑みを浮かべた。
「一度来てみたかったんですよ。だから連れて来ていただいて嬉しいです」
喜びはその歩調からも感じとれる。ローヒールの音も今日は軽やかだ。
「そう言ってもらえると助かります。いかんせん女性を誘うなんてことがないですからね。それで前にお花が好きだって聞いてたからここを選んでみたんですが、やっぱりお家でも育てられたりしているんですか?」
晴天に恵まれた日曜ということもあって県内にあるフラワーパークは花を見る人で賑わっていた。
「ええ。でも私のところは市営住宅ですからベランダにいくつかプランターを置く程度で。だから数は少ないんです。それに陽当たりもあまり良くないのか思ったように育たなくて」
咲き誇る花に目を細めながら松原さんが応える。
「八神さんのところは戸建てでお庭もあるからお花もよく咲くんでしょうね」
今朝、家を出る時に庭を見てここを選んだ俺は問いかけに思わず苦笑を浮かべた。
「お恥ずかしい話、独り身になってからはすっかり荒れちゃいましてね。この間も何か咲いてると思ったら雑草の花だったなんて具合で。以前は女手があったからいろいろ咲いてはいたんですけどね」
バツが悪そうな顔で頭を掻くと、無理もないと松原さんは瞳で労ってくれる。早くもなく遅くもない。歩くスピードは今の二人の関係性を表している気がする。遠からず近からずの距離も同様だろうか。
「
しばらく歩いたところで園内のベンチに腰を下ろす。
「認知症とわかってからは一度も。しばらくは妻も家で面倒を見ていたんですけどね。だんだん手に負えなくなって来たというのか」
「ご自宅で介護をするのは大変だってお聞きしますものね。ましてや認知症となると―――」
色取り取りの花を見つめながらもきっと寂しい眼をしているに違いないと思った。それは俺なのか、松原さんなのか。じっと組んだ手を見つめていると隣から声が届いた。
「お元気なんですよね?」
「…ええ。足腰は弱って今は車椅子が中心ですが、立ち上がるくらいのことはなんとか。ただ、面会に行っても俺だとわかったりわからなかったりするから、最近じゃ月に一度行く面会もちょっと億劫になるというのか」
話してから俺は鼻で一つ笑った。
松原さんとはそれから一時間ほど園内を歩き回り、その後、目についたレストランでお茶を飲んだ。
翌日の三時休憩の時、倉庫の外の喫煙コーナーで配送の
するとそのまま社長は軽く手を挙げて俺達の前を通り過ぎて行く。無言であっても会話は十分に成立している。これも長年の付き合いが成せる技なのだろう。俺は口角を上げながら煙を空に向かって吐き出した。
仕事を終えいつものように一杯やってると、スマホがブルブルと震えた。濡れた髪にタオルをあてがいながらそれとなく目を向ける。短い振動が二回。様子からして大方、会社の誰かが仕事のことで訊きたいことでもあるとメッセージを送ったのだろう。電話じゃないので急用でもない。そう思った俺はすぐにスマホは手にしなかった。
こういうところも年齢が影響しているのかもしれない。若い奴らならきっと獣のようにそれに飛びつくのではないか。
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