第十三話 彼が遺したもの


 あれからもう間もなくで一月ひとつきが経つ。

 野村直人の死因は心不全で、死後3日ほど経っていたと言うことだった。

 身内、親族の発見には至らなかったため、必要な手続きを取るよう、警察が彩春に連絡をしてきた。

 漸く警察の許可が下りたので、母と近所に住む、野村が亡くなったことを確認したあの日、寄り添ってくたれた山中にも声を掛けて、野村直人の自宅の掃除に訪れた。

 

 一応警察官立ち会いの下、玄関に打ち付けた板塀を外し、ドアを開けた。

 すると中からえたような臭いがしてきて、鼻を突いた。彩春たちは、すべてのドアを開けてまずは室内の換気をした。

 部屋の中に風を通した後、おそらく彼が倒れていたであろう、居間の畳についた汚れを見つけ、三人はそこに向かって手を合わせた。

 三人は、ぽろぽろと涙を流し、暫く声もなかった。


 漸く落ち着きを取り戻した三人は、居間のテーブルに置いてあったノートを見つけた。彩春と虹華はそれが何のノートかすぐに分かった。野村がいつも読書感想会でメモをとっているノートだ。表書きには「読書ノート」とあり、開始の日付と108と言う番号が振られていた。

 彩春は、この数字が仏教では悟りや宇宙の完全性を表す数字として重要視されていると、どこかで聞いたことを思いだし、野村が何か悟りを拓いたのではないかと、何か運命的な物を感じた。


 彩春がノートを持ち上げ、パラパラと捲ると、中からパサリと封筒が落ちてきた。

 封筒の表書きには「遺書」とあった。

 警察官立ち会いの下、三人は戸惑いながらも、この遺書を開封することにした。


 遺書には、こうあった。

 親族がいないため、身元引受人を北窓虹華、北窓彩春にお願いしたいこと、全財産を二人に相続したいこと、遺骨は市内の公園墓地にある野村家の墓に納骨して欲しいこと、押し入れにある父の遺産であるスクラップブックを図書館に寄贈したいことなどが、野村の達筆な字で事細かに書かれていた。


 彩春は手に持っているノートを何気なく開いてみた。最後のページにも彩春と虹華に向けた言葉が書かれていた。

 おそらく言いたいことを纏めていたのだろう。「北窓さんにお願いしたいこと」とあり、その下に、遺書の内容が、そのまますべて箇条書きで並べてあった。

 読書感想会の時にでも、彩春たちに渡すつもりだったのだろう。


 そして、その箇条書きで書かれた遺書の下に、北窓虹華さんへとあった。

「北窓虹華さんへ。

 これをお読みになっている時は、既に私はこの世にはいなくなっているのでしょうね。あなたと再会した後の日々は、とても素敵な時間でした。

 あなたと読書感想を話す時は、いつも何か懐かしく、学生時代の頃をなぜか思い出しました。母にしか感想を語ったことない私にとって、とても不思議で、素敵な体験でした。

 あなたがミス翠風だったと知った時、まったく興味のなかったミスコンで、あなただけが眩く輝いていたのを思いだし、そんな素敵な人が自分のような凡人と友人になって貰えたのは、この上ない幸せでした。

 お渡しした遺書で、あなたに多大なるご迷惑をおかけすることになるかも知れませんが、身内もなく、頼れる人もいないので、あなたに是非お願いします。

 最後に、素敵な日々をありがとうございました。来世でお目にかかれることがあれば、是非また友人になってください。」

 彩春は、母にこの文章を読んであげると、母はまた大粒の涙をこぼし、声を上げて泣いた。


 続けて、彩春宛てにも文章があった。

「北窓彩春さんへ。

 彩春さんには感謝しかありません。私のような冴えない老人に声を掛け、読書感想会という、素敵なサークルに誘っていただいたことは、私にとって最高の出会いでした。

 あなたに誘っていただかなければ、ただ日常を繰り返し、消え去るのみでした。

 読書感想会で、友人ができ、人付き合いが苦手だった私が、人と会話ができるようになったことは、偏に彩春さんのお陰です。

 また、初めて知った本も沢山ありました。特にライトノベルとの出会いは、衝撃的でした。こんな世界があるのかと、自分が本好きを自認していたことが恥ずかしく思うほどでした。

 もっともっと沢山の本を読んで、彩春さんや虹華さん、サークルの皆さんとも共有し、色んな話をしたかったです。

 お母様には、あるお願いをしました。色々負担になることもあるかと思いますので。老人の最後の我が儘ですが、お母様を手伝って差し上げてください。

 もう一つ、私の父が残したスクラップブックが大量にあります。資料的価値は私には分かりませんが、是非図書館で保管していただき、広く市民に閲覧して貰えるとありがたいです。量が多いので、大変かと思いますが。よろしくお願いします。

 最後に、お母様を今まで通り大切にして、是非親孝行を続けてください。

 素敵なお嬢さんに出会えて、私はとても楽しかったです。ありがとうございました。」

 彩春は、声を上げて読み上げた。我慢していた涙が溢れ、止まらなくなった。


 そして、もう一人山中京子宛てにも文章があった。彩春は涙を拭いて読み上げる。

「京子おばさんへ

 小さい時から、こんな僕の面倒を看てくれて本当にありがとうございました。

 京子おばさんに気に掛けて貰えたのは、偏に京子おばさんの人柄であり優しさだと思います。それに甘えて、色々と迷惑を掛けたことも沢山ありました。

 一言のお詫びで済むものではないですが、最後にお詫びいたします。本当に済みませんでした。そしてありがとうございました。

 こうして文章を書いていると、京子おばさんとの思い出が次々と思い出されます。

 僕が小さい頃、高熱を出して倒れた時、父も母も仕事でいなくて、京子おばさんが病院に連れて行ってくれたことは、今でも感謝しています。

 時々、田舎から送ってきたと言って、沢山の野菜や果物をくださったことは、父も母ももちろん僕も感謝しきれない思いです。

 最後になりますが、いつまでもお元気でいてください。」

これを聞いていた山中も、声を上げて泣いた。


「まったくなお君はいつも、こんなことばっかり言って、気ぃ遣ってばかり。

 本当に良い子だったのに。なんでこんなことになっちゃったかね。私の方が送って欲しかったのに。先に逝っちゃうなんて。」


 おそらく、これは下書きなのだろう。何度も何度も書いては消し、書いては消し、をした後が見受けられたし、テーブルには新しく買った封筒と便せんが置かれていたのだ。

 しかし、直人の思いは三人に無事届けられたのだ。


「この遺書は、公証人が作成した正式なもののようですので、内容には法的効力を持ちます。もし受諾されるにせよ、拒否されるにせよ、法的な手続きが必要となりますね。」

 警官は気を遣いながらも、そう教えてくれた。


 漸く落ち着きを取り戻した彩春は、母に声を掛けた。

「母さんどうする。野村さんの最後の望みだし、きちんと叶えてあげたいと私は思うんだけど。」

「そうね。私たちには過ぎた申し出だけど、野村さんの望み通りにしましょう。最後に私たちに託してくれたのだから。山中さんもそれで良いかしら。」

母も涙を拭き、いつもの気丈な母の顔になっていた。


「ええ、私に否やはないですよ。なお君が二人に託したんなら、彼の思うようにしてあげて。小さい頃から人付き合いが苦手だったから、酷く心配したもんだけど、ちゃんと託せる相手を見つけたんだから。ねぇ。」

 山中は、目頭を押さえながら、そう言った。


 その後、押し入れの中や、箪笥、台所の棚などを確認し、後日改めて大掃除をすることにした三人は、またこの家で遺品整理することを約束して、野村直人の家を後にした。

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